2021.06.20
odolが2年8ヵ月ぶりとなるニューアルバム『はためき』をリリースした。
今作には、radikoブランドムービーオリジナルソング「小さなことをひとつ」をはじめ、森永乳業コーポレートムービーオリジナルソング「歩む日々に」など、バンドが2019年~2020年に書き下ろしてきた5曲のタイアップ曲が全て収録されている。また、新曲のリリースと並行した新たな軸として発表してきた「Rework Series」から「虹の端 (Rearrange)」のほか、デジタルシングル「眺め」「未来」「独り」も収めた充実の1枚になった。バンド内外の大きな変化を経験し、いままで以上に外に向いた制作過程を経て作られたという今作は、同時に聴き手の内面にも迫る普遍的な輝きを放っている。
そんな『はためき』をリリースしたばかりのodolのミゾベリョウ(Vo/Gt)、森山公稀(Piano/Synthesizer)がゲスト出演したFM福岡のラジオ番組「Curated Hour ~FRIENDSHIP. RADIO」6月9日放送回から、オンエアには乗り切らなかった『はためき』に関するトーク部分をお届けする。聞き手は、キュレーターの金子厚武とラジオDJ MISATO。
金子:順を追って振り返ると、2019年に早川くんが脱退して、その頃から過去曲のリアレンジを始めたわけじゃないですか。あれって要は早川くんが抜けて5人になって、一度自分たちを見つめ直そう、みたいな感じで始めたんですか?
森山:最初に始めたきっかけとしては、僕たちには早川が抜ける前にまず「早川が入る」という出来事があったわけで(早川の加入は2016年)。そのときに、5人で作った曲を6人でやることになるじゃないですか。しかも、僕たちはもともとライブでやる度にアレンジを変えているような状況で。毎回時間をかけて、そのときにフィットする形を模索していたんですけど。それがただただ過ぎ去っていくのも、ちょっともったいないというか、名残惜しさもあって。なので、明確な目的があって始めたというよりも、「これを残す枠組みがあってもいいかな」みたいな、そういうときに使えるものとして、シリーズを打ち立てよう、と言うのが始まりでした。
金子:ライブでずっとやっていたことを、音源という形に残してみようかっていう。
森山:そうですね。でも、結局ライブバージョンともまた違うものを作るんですけど。ライブを経て、そのときに一番フィットする形というか、もう一度表現し直したいって思った曲を残すためっていう感じですかね。
金子:ミゾベくん的にはどうですか?その作業をやってみて何か発見ってありましたか?
ミゾベ:「この曲はこのアレンジで」みたいに決まっているよりは、毎回アレンジが変わった方が、僕らのそのときのテンション的にはすごいナチュラルだったんですよ。国民的な曲があって、それをアレンジ通り忠実にやるみたいなバンドでもないし、「ここもっと突き詰めたいな」と思う部分が、すぐ変わっていく印象があって。ライブごとにアレンジが違うぐらいの方が自分たちらしいし、サブスクリプションが主流になってきて、録って、ミックスダウンして聴ける状態にさえすれば、1曲ずつ曲を出していくことが当たり前になってきていた。それが、自分たちの今の気分とか、その曲に対する解釈を出す場としては一番いいなと思ったんです。なので、特別なことというよりは、それまでやってきたことをまた広げたぐらいの感じだったんですよね。
金子:「一人抜けたから、今の自分たちの形を再構築するんだ」みたいな力の入った感じというよりも、もうちょっと肩の力を抜いた感じだったんですね。
ミゾベ:そうですね。いろんな広げ方があって、今回のアルバムに入ってる「虹の端」は、ギター6本にそれぞれの旋律があって、それと歌があるというもともとのアレンジから、バッキングとピアノとリズムがあるアレンジに変わって、コードが分かりやすくなって、聴きやすくなった曲だと思います。もともと「虹の端」はメロディとか歌詞に関してはキャッチーな要素を持っていたんですけど、最初に出したときはコンセプト的にバッキングっていう感じじゃなかったんですよね。でもそれから数年経って、やっと違うアレンジにしてもいいかなと思えた。そういう広げ方ができる、すごく良い方法だなと思っています。
MISATO:アレンジを変えてもいいかなっていう感覚は、どの曲にも起こるんですか?
ミゾベ:ライブから、「この曲変えてみるか、広げてみるか」ってことが今のところ多かったのかなと思います。
MISATO:たぶんそのときのセットリストとか、ツアーを回ったときのテーマによってアレンジを変えてきたと思うんですけど、それを一つの作品として収録するっていうのはまたちょっと違うじゃないですか。その上で、なんで「虹の端」はこうなって、ここに着地させたのかなって気になりました。
ミゾベ:作ったときはバンドが6人になったタイミングだったので、6本のギターと6個の歌っていう曲として作ったんですよ。コンセプトがそもそもそこにあったので、それ以外は考えられない状況だったんです。でも5人になってみて、それでもライブでやりたいなと考え始めて、改めて聴き返してみると、その当時、歌詞を作った自分の気持ちとか、歌っていたときの自分の気持ちと全然違う響きになってることに気づいて、それでリアレンジできたっていう感じでした。
MISATO:当時と歌詞の響きが違うって、どのあたりなんですか?
ミゾベ:〈音楽ってこんなかんじ?遠くだって近くなって〉は、リアレンジを収録したときと、直近のライブでやったときで、もう気持ちが違ってきてますね。当時はコロナを全く意識していなかったので、誰かに会えなくなるとか意識していませんでした。
金子:リアレンジの曲はどれもコロナで響き方が変わってるというか、「狭い部屋」なんてタイトルからしてそうだし、「虹の端」も"集まる"ということに言及してる。「人の海で」もまさにそうだし。それはたまたまだろうけど、やっぱり音楽や言葉って状況が変わると聴こえ方が全然違ってくるんだなっていうのは、リアレンジの曲を聴いてすごく思いました。
ミゾベ:そうですね。自分から出てきたものですけど、ライブでやることによって、自分から出てきたもの以上のものを自分に与えてくれるということを改めて実感しました。ライブをやっているときに、逆に曲が自分に教えてくれている感じというか、そういう感覚が本当にあったので、すごい驚きでした。
金子:「虹の端」のリアレンジはもともと2020年の2月にリリースされていて、作業自体は本格的なコロナ禍の前だったと思うんだけど。それ以降少しずつコロナの影響が広がっていく中で、曲の作り方も変わっていったりしたんですか?リモートになっていった、みたいな。
森山:まさに、リモートになっていきましたね。でもそれ以前からodolは集まらないと絶対に曲作りができないような作り方はしてなかったんですよ。なので、すんなりと移行できて、他のアーティストに比べると、打撃はそんなに多くなかったように思います。スタジオから自宅に機材を運ぶのが大変だったなっていうくらい(笑)。作るときもみんなで一気に作ることはここ数年なかったし、あるとしてもギターのときはギタリストが来て、ベースのときはベーシストが来て、みたいな感じでやっていたので。それが遠隔になったかたちですね。
金子:「リモート」っていう言葉自体は去年世間に一気に広まったけど、それ以前からデータのやり取りで曲を作っていた部分はもちろんあるわけで、そういう意味では大きく何かが変わったわけではなかったと。
森山:そうですね。データのやり取りは、コロナ前から進めていたところではあったので。それぞれがDAWや機材を準備して、多少触れるようにしたりとか、少しは下地があったからそんなに大変ではなかったです。
金子:そうやってできていったであろう新しい曲は、特にアルバムの頭2曲であり、最後の2曲なのかなと思うけど。他の曲はギターがギャンギャンに鳴って歪んでるタイプの曲もある中、その辺の曲はもうちょっとピアノのリフレインとストリングスが中心で、ミニマルミュージックとかポストクラシカル的なものに歌が乗っている、みたいな色合いが強くなっている。それは作り方の変化、時期的な変化、「より森山くん主体になった」みたいな話なのか、それとも音楽的な興味の変化なのか、どういった要素が強かったですか?
森山:それらが全部同時に起こっていた感じではあります。まずは集まれない、ギタリストが呼べないという理由もあるし。でもその集まれなくなる前から、それこそ「虹の端」はピアノリフを中心に据えたアレンジなんですよね。後半はギターで盛り上がっていくけど、ピアノのリフレインが最初から最後まである作りだったりして、気持ちはそっちの方に流れて行ってたんです。そんな中で、一人で作らないといけない割合が増したことによって、より一層そっちに向かって、やってみるとそれが今聴きたい音でもあったっていう。この1年は特にストリングスの音を求めてることに気がついたんです。メンバーにストリングス奏者がいないにもかかわらず、かなり押し出したアレンジにしているのは、半分意識的だし、もう半分は時代や出会いと共にそうなった感じですね。
金子:それは自分のルーツにあるものが出てきたみたいな感じなのか、それとも今の自分がリスナーとしてそういうものが好きだ、みたいなことなのか、どっちの要素が強いですか?
森山:それもどっちもあるんです(笑)。でも、(ルーツが)出てきた方が強いかな。もともとストリングスは使いたいと思っていて。もちろん「視線」だったり「GREEN」だったりは、ストリングスが入ってはいるんですけど、それを主に据えるような意識ではなかったんですよ。6人いたときなんて、まずみんなの演奏するパートをどうするか、ライブでのイメージが絶対的にあったので、そういう思考が先にあって。ただ、バンドの曲はライブっていう目的地もあるんだけど、タイアップだったり、楽曲提供というのは、それが流れるときに一番いい形でっていうものだから、そういう中で選択肢が一気に広がって。それでメンバーのパートに捉われず、好きだった音とかやりたかったことに素直になっていった感じかもしれないです。
金子:それこそコロナ禍でライブもなかなかできなくなったから、ライブの再現性を目標に据えなくても、音源として完成度の高いものをってなっただろうしね。ちなみに、リファレンスは何かあったりしますか?弦のアレンジなのか、音像的な部分なのか。
森山:僕は具体的な何かをリファレンスにすると逆に作れなくなるので、作る時にはあんまり聴かないようにはしてるんですけど。ここ数年で音楽を作らないときに一番聴いていたのはアンビエントミュージックだったので、その影響は少なからずあると思います。音像感や音色の音楽でもありますよね。今作は弦のかすれたサウンドやピアノのフェルトっぽい音とか、すごく小さく弾いた音を後から大きくするっていうこともよくやっていて、それもアンビエントの影響だったかもなあと、今は思いますね。
金子:そういう音像の良さも間違いなくこの作品の魅力になっているから納得です。
MISATO:「独り」はストリングスのアレンジがすごくヒリヒリしてる感じだったり、「歩む日々に」は風がフワッと舞っている感じだったり、歌詞とのリンクがすごく美しいなと毎回思うんですけど、ストリングスが入るのはどのタイミングで設定するんですか?ミゾベくんが歌詞を書いてから?
森山:いや、基本的にはストリングスアレンジまで終わったものをミゾベに送ります。でもその前にコンセプトの話はします。「歩む日々に」は森永乳業さんとのタイアップだったので、曲の形が見える前から共有していたことではあるんですけど、「独り」は最初からストリングスアレンジもメロディもあるものをミゾベに渡すという感じですかね。
MISATO:じゃあ、ミゾベくんが歌詞を書くときは、全ての音の要素から言葉が出てくる感じですか?
ミゾベ:そうですね。そこがないとむしろ結構きついというか。
MISATO:森山くんの仕事次第では、自分の次の言葉が変わるってことですか?
ミゾベ:「小さなことをひとつ」だけかなり急ぎだったっていうのがあって、ピアノとメロディだけの状況から歌詞もアレンジも同時進行だったんですけど、やっぱり、アレンジができてこないと歌詞が全然できなくて。アレンジができてから、それまで書いていた歌詞を全部なくして、もう一回書き直すみたいな感じだったんです。ビートが半分になるか四分になるかで全然印象が違うんで、かなりアレンジによるところが大きいですね。
MISATO:拍数が変わってくるとハメる言葉の数も変わりますもんね。
金子:そうやってアレンジの方向性が少しずつ変わると歌にも影響してくると思うんですけど、去年のSENSAのインタビューで「最近は弱い声をどれだけ強く響かせるかを意識するようになった」と話しているのを見て。その意識がなぜ芽生えてきたのかを聞ければと思ったんです。
ミゾベ:そのときにSENSAのインタビューで言ったのは、単純に音楽的な好みとして、弱い声で歌っているアーティストの方が好きっていうのと、あとはボーカリストとして大きい声でしっかり音量を出して歌うより、小さい声で歌う方が難しくて、あまり日本のアーティストだとそういう人がいなくて。最近だと増えてきていますけど、単純にそこが好きだったっていうのがありますね。弱い声っていうところで振り返ってみると、「小さなことをひとつ」は最初リモートで仮歌録りをした曲だったんです。家で録ったので、仮歌にリファレンス的に入っている声が小さくて、そこからどのくらいの声を出していいのかもわかってきたり。そういう理由も相まって、「小さなことをひとつ」は一番声が小さくなっています。
金子:そこは環境の変化も関係しているんだ。
ミゾベ:昔の音楽は今と比べると音響の環境も悪かったり、イヤモニもない時代だったから、ライブを念頭に置くと、声を張っておかないと絶対ダメで。例えば、オペラとかはマイクすらないのが最初じゃないですか。だから、声が小さくなるのは、マイクを前提と考えると、順当な流れなのかなと思っています。
金子:フランク・オーシャンだったり、ビリー・アイリッシュだったり、それ以降の感覚みたいなことでもある?
ミゾベ:そうですね、ビリー・アイリッシュなんてまさにそうで。普通のライブハウスとかだと聴こえないですよね、あの声だと(笑)。
金子:ビートはそんなに押し出してないけれども、そのボーカルとストリングスで聴かせる感じが今回の一つの色になっていて、すごくいいなと思いました。
森山:前作ぐらいからいろいろ模索はしていながらもそっちの方向に向かっていたところだったので、ようやく形にできたという感じかもしれません。このアルバムの収録曲の一番古い曲は「眺め」という曲で、最近のものとはまた違う音像ではあるけど、当時からしてみるとすごく余白のあるアレンジで、この頃からそっちに向かってきていたんだなって。
MISATO:ミゾベくんが書く歌詞が、「ねえ、みんな音楽聴いてよ」っていう、本当に近しい、手が届く距離の人に歌っているから、そのぐらいの音量がしっくりくるというか。声を張らなくても、「君に歌ってるんだよ」っていう距離感になるのがいいなと思って。
ミゾベ:ライブで何千人に向けて大声を発するっていうイメージよりかは、一対一で聴かせるというか。それこそ歌詞ができると森山に最初に聴かせるので、リスナーの人に関しても、ライブの景色よりは、家で一人で聴いている、みたいな風景を想像しているかな。
MISATO:それを引き立てる音だと思うし、そこの差し引きみたいなのもあるのかなと思う。それが大きなホールとかライブハウスでも一対一で聴かせてくれるアレンジにされているっていう、それはodolのすごさですよね。
森山:これは最近言語化できたことなんですけど、ミゾベの声って匿名性の高い声とも言えると思うんです。さっき「君に向けて」「みんなに向けて」っていう話があったと思うんですけど、ミゾベの歌声は自分が歌ってるみたいに聴こえるというか。ミゾベから言われている感じとか、押し付けがましさが少なくて、自分の歌みたいに聴けるなって、この数年思っていて。
僕たちは「individuals」という「個人個人の」という意味のタイトルを冠したイベントを開催しているんですけど、そこで目指していたのは、"この歌はあなたの歌" であり "この時間はあなたの時間" で、それぞれの時間がただあるみたいなもので。演劇や映画を観て没入していると、世界に自分だけというか、そういう時間が生まれる。その心地よさを僕たちは好んでいて、ミゾベの声はそこに連れていってくれる声だなと思ったんです。そこが他のクリエイターや企業に求めていただける特長の一つでもあるのかな、と最近思いますね。
金子:今回のアルバムはodolのこの2年8ヶ月のドキュメントであり、サウンドトラックでもあるんだけど、でもこれを聴いた人が自分にとってのドキュメントにもできるし、自分にとっての2年8ヶ月のサウンドトラックにもなるというか。その感覚を生み出す上で、ミゾベくんの歌というのはすごく大きな要素なのかも。
ミゾベ:天の声ってことですよね(笑)。誰の声でもないけど、ナレーションみたいな。
金子:面白いですよね。歌詞にはすごくパーソナルな部分もあるんだけど、でもそれがミゾベくんだけのものじゃなくて、聴き手それぞれに変換されていくのは、不思議な感覚でもある。
ミゾベ:僕の中でというか、森山とも共通して持っている認識なんですけど、さっき言ってもらった「僕らの2年8ヶ月だけど、それを聴いた人の2年8ヶ月にもなってほしい」っていうのは、一番思っていることで。4年前に「GREEN」っていう曲を書いたときに、究極的には他者と全く同じ気持ちになることはできないし、絶対的には同情することもできないって気づいちゃったんです。だからこそ、まずはそんな自分のドキュメンタリーをちゃんと描かないと、誰にも共感してもらえないのかなっていうのは思います。
MISATO:嘘がないからスッと入ってくるし、自分と照らし合わせられるのかもしれないですね。
森山:僕たちが昔から言っていることで、バンドは小さな社会で、みんなも社会に暮らしてるわけじゃないですか。だから、バンドのことを歌えば必然的に誰にでも通ずるようなことにもなってくるし、そこがあるから、ミゾベが何を歌っても本当に思ったことだったら、僕も受け入れられるだろうし、自分のことに置き換えられるなって思います。
MISATO:今まで森山くんが「ここの歌詞わかんないんだけど」とか「ここの歌詞を変えてほしい」とか、そういう風に言ったことはあるの?
森山:めちゃくちゃありますよ(笑)。「GREEN」も一回作ったやつを全部書き直してもらいました。今回だと「身体」もそうですね。ミゾベが納得していればいいって思う部分もなくはないんですけど、やっぱり僕の作品でもあるし、お互いの作品でもあるので、そこはどれだけ面倒くさくても、最大限言葉で交わして、歩み寄っておきたいみたいなところがあります。
ミゾベ:「こういう歌詞ができた」「駄目」っていう一工程じゃなくて、森山が気になるところも自分の判断基準に入っているんで。森山が気になって半分とか1曲まるごと書き直したときは、自分も疑問を持っているときが多いんです。逆に、僕はめっちゃいいと思ったけど、ボツになったっていう曲はなくて。
金子:二人の関係性がすごく見えるね。中学生から一緒だもんね?
ミゾベ:中2ですね(笑)。
MISATO:良いパートナーですね。
金子:そんな2年8ヶ月が詰まった作品に『はためき』と付けたのはどこからだったんですか?
森山:ラジオで話したように「これをまとめることができるのか?」みたいに思って、めちゃくちゃ悩んだんですけど、「仮にまとめるとしたら、どんな作品になるんだろう?」って考えたときに、この2年8ヶ月で様々なことがあって。コロナもあったし、僕たちの考えていることも変わったし、それこそ早川が辞めるタイミングもあって、バンドのことを描いた曲もある。そういう人と人との関わり、社会のことを意識していたという一つの流れは見えてきて。
金子:なるほど。
森山:去年出したEPの『WEFT』は、タイアップでバンドの外の人が密に音楽に関わってくる体験をして、そういうバンド外の人の存在のありがたさというか、そうやって作っていくことの尊さみたいなのもすごく感じたんです。WEFTは "横糸"っていう意味なんですけど、横糸を他者の存在に置き換えて、僕たちが縦糸というか、自分自身との関わり合いをイメージして、他者の存在にフォーカス当てていたんですね。その考えが今回も軸にはなっているから、その糸だったり、それが織りなす布みたいなことをタイトルに据えようという話になって。まずその布自体のことを表すために1週間ぐらい色々考えたんですけど、なんかちょっと、僕たちが本当に思ってるのはそのことじゃないなっていう違和感があって。でも、『はためき』っていう言葉に気づいた時は風にこう、社会がはためいてるようなイメージが、今の気持ちにもすごくフィットして、音にも合うなってことで、このタイトルになりました。
金子:布自体を指す言葉だと、自分たちの周りだけの関係性になるけど、『はためき』にすることによって、それぞれの人にも置き換わるし、もうちょっと外との繋がりが生まれるというか、その感覚はわかる気がします。
MISATO:糸だったら一対一な感じがしますしね。色んなことが繋がっているんですね。
odol「はためき」
2021年6月9日(水)
Format:Digital、CD
品番:UKCD-1198
紙ジャケット仕様 / ¥3,080 (税抜価格¥2,800)
Track:
1. 小さなことをひとつ (※radikoブランドムービーオリジナルソング)
2. 未来
3. 眺め
4. 身体 (※アース製薬「温泡」TVCMソング)
5. 虹の端 (Rearrange)
6. 瞬間 (※映画「サヨナラまでの30分」劇中曲セルフカバー)
7. かたちのないもの (※UCC BLACK無糖「#この気持ちは無添加です」キャンペーンソング)
8. 独り
9. 歩む日々に (※森永乳業コーポレートムービーオリジナルソング)
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@odol_jpn
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今作には、radikoブランドムービーオリジナルソング「小さなことをひとつ」をはじめ、森永乳業コーポレートムービーオリジナルソング「歩む日々に」など、バンドが2019年~2020年に書き下ろしてきた5曲のタイアップ曲が全て収録されている。また、新曲のリリースと並行した新たな軸として発表してきた「Rework Series」から「虹の端 (Rearrange)」のほか、デジタルシングル「眺め」「未来」「独り」も収めた充実の1枚になった。バンド内外の大きな変化を経験し、いままで以上に外に向いた制作過程を経て作られたという今作は、同時に聴き手の内面にも迫る普遍的な輝きを放っている。
そんな『はためき』をリリースしたばかりのodolのミゾベリョウ(Vo/Gt)、森山公稀(Piano/Synthesizer)がゲスト出演したFM福岡のラジオ番組「Curated Hour ~FRIENDSHIP. RADIO」6月9日放送回から、オンエアには乗り切らなかった『はためき』に関するトーク部分をお届けする。聞き手は、キュレーターの金子厚武とラジオDJ MISATO。
新曲に新たな解釈を加えるリアレンジシリーズ
金子:順を追って振り返ると、2019年に早川くんが脱退して、その頃から過去曲のリアレンジを始めたわけじゃないですか。あれって要は早川くんが抜けて5人になって、一度自分たちを見つめ直そう、みたいな感じで始めたんですか?
森山:最初に始めたきっかけとしては、僕たちには早川が抜ける前にまず「早川が入る」という出来事があったわけで(早川の加入は2016年)。そのときに、5人で作った曲を6人でやることになるじゃないですか。しかも、僕たちはもともとライブでやる度にアレンジを変えているような状況で。毎回時間をかけて、そのときにフィットする形を模索していたんですけど。それがただただ過ぎ去っていくのも、ちょっともったいないというか、名残惜しさもあって。なので、明確な目的があって始めたというよりも、「これを残す枠組みがあってもいいかな」みたいな、そういうときに使えるものとして、シリーズを打ち立てよう、と言うのが始まりでした。
金子:ライブでずっとやっていたことを、音源という形に残してみようかっていう。
森山:そうですね。でも、結局ライブバージョンともまた違うものを作るんですけど。ライブを経て、そのときに一番フィットする形というか、もう一度表現し直したいって思った曲を残すためっていう感じですかね。
金子:ミゾベくん的にはどうですか?その作業をやってみて何か発見ってありましたか?
ミゾベ:「この曲はこのアレンジで」みたいに決まっているよりは、毎回アレンジが変わった方が、僕らのそのときのテンション的にはすごいナチュラルだったんですよ。国民的な曲があって、それをアレンジ通り忠実にやるみたいなバンドでもないし、「ここもっと突き詰めたいな」と思う部分が、すぐ変わっていく印象があって。ライブごとにアレンジが違うぐらいの方が自分たちらしいし、サブスクリプションが主流になってきて、録って、ミックスダウンして聴ける状態にさえすれば、1曲ずつ曲を出していくことが当たり前になってきていた。それが、自分たちの今の気分とか、その曲に対する解釈を出す場としては一番いいなと思ったんです。なので、特別なことというよりは、それまでやってきたことをまた広げたぐらいの感じだったんですよね。
金子:「一人抜けたから、今の自分たちの形を再構築するんだ」みたいな力の入った感じというよりも、もうちょっと肩の力を抜いた感じだったんですね。
ミゾベ:そうですね。いろんな広げ方があって、今回のアルバムに入ってる「虹の端」は、ギター6本にそれぞれの旋律があって、それと歌があるというもともとのアレンジから、バッキングとピアノとリズムがあるアレンジに変わって、コードが分かりやすくなって、聴きやすくなった曲だと思います。もともと「虹の端」はメロディとか歌詞に関してはキャッチーな要素を持っていたんですけど、最初に出したときはコンセプト的にバッキングっていう感じじゃなかったんですよね。でもそれから数年経って、やっと違うアレンジにしてもいいかなと思えた。そういう広げ方ができる、すごく良い方法だなと思っています。
MISATO:アレンジを変えてもいいかなっていう感覚は、どの曲にも起こるんですか?
ミゾベ:ライブから、「この曲変えてみるか、広げてみるか」ってことが今のところ多かったのかなと思います。
MISATO:たぶんそのときのセットリストとか、ツアーを回ったときのテーマによってアレンジを変えてきたと思うんですけど、それを一つの作品として収録するっていうのはまたちょっと違うじゃないですか。その上で、なんで「虹の端」はこうなって、ここに着地させたのかなって気になりました。
ミゾベ:作ったときはバンドが6人になったタイミングだったので、6本のギターと6個の歌っていう曲として作ったんですよ。コンセプトがそもそもそこにあったので、それ以外は考えられない状況だったんです。でも5人になってみて、それでもライブでやりたいなと考え始めて、改めて聴き返してみると、その当時、歌詞を作った自分の気持ちとか、歌っていたときの自分の気持ちと全然違う響きになってることに気づいて、それでリアレンジできたっていう感じでした。
MISATO:当時と歌詞の響きが違うって、どのあたりなんですか?
ミゾベ:〈音楽ってこんなかんじ?遠くだって近くなって〉は、リアレンジを収録したときと、直近のライブでやったときで、もう気持ちが違ってきてますね。当時はコロナを全く意識していなかったので、誰かに会えなくなるとか意識していませんでした。
金子:リアレンジの曲はどれもコロナで響き方が変わってるというか、「狭い部屋」なんてタイトルからしてそうだし、「虹の端」も"集まる"ということに言及してる。「人の海で」もまさにそうだし。それはたまたまだろうけど、やっぱり音楽や言葉って状況が変わると聴こえ方が全然違ってくるんだなっていうのは、リアレンジの曲を聴いてすごく思いました。
ミゾベ:そうですね。自分から出てきたものですけど、ライブでやることによって、自分から出てきたもの以上のものを自分に与えてくれるということを改めて実感しました。ライブをやっているときに、逆に曲が自分に教えてくれている感じというか、そういう感覚が本当にあったので、すごい驚きでした。
本格化したリモート制作とストリングス
金子:「虹の端」のリアレンジはもともと2020年の2月にリリースされていて、作業自体は本格的なコロナ禍の前だったと思うんだけど。それ以降少しずつコロナの影響が広がっていく中で、曲の作り方も変わっていったりしたんですか?リモートになっていった、みたいな。
森山:まさに、リモートになっていきましたね。でもそれ以前からodolは集まらないと絶対に曲作りができないような作り方はしてなかったんですよ。なので、すんなりと移行できて、他のアーティストに比べると、打撃はそんなに多くなかったように思います。スタジオから自宅に機材を運ぶのが大変だったなっていうくらい(笑)。作るときもみんなで一気に作ることはここ数年なかったし、あるとしてもギターのときはギタリストが来て、ベースのときはベーシストが来て、みたいな感じでやっていたので。それが遠隔になったかたちですね。
金子:「リモート」っていう言葉自体は去年世間に一気に広まったけど、それ以前からデータのやり取りで曲を作っていた部分はもちろんあるわけで、そういう意味では大きく何かが変わったわけではなかったと。
森山:そうですね。データのやり取りは、コロナ前から進めていたところではあったので。それぞれがDAWや機材を準備して、多少触れるようにしたりとか、少しは下地があったからそんなに大変ではなかったです。
金子:そうやってできていったであろう新しい曲は、特にアルバムの頭2曲であり、最後の2曲なのかなと思うけど。他の曲はギターがギャンギャンに鳴って歪んでるタイプの曲もある中、その辺の曲はもうちょっとピアノのリフレインとストリングスが中心で、ミニマルミュージックとかポストクラシカル的なものに歌が乗っている、みたいな色合いが強くなっている。それは作り方の変化、時期的な変化、「より森山くん主体になった」みたいな話なのか、それとも音楽的な興味の変化なのか、どういった要素が強かったですか?
森山:それらが全部同時に起こっていた感じではあります。まずは集まれない、ギタリストが呼べないという理由もあるし。でもその集まれなくなる前から、それこそ「虹の端」はピアノリフを中心に据えたアレンジなんですよね。後半はギターで盛り上がっていくけど、ピアノのリフレインが最初から最後まである作りだったりして、気持ちはそっちの方に流れて行ってたんです。そんな中で、一人で作らないといけない割合が増したことによって、より一層そっちに向かって、やってみるとそれが今聴きたい音でもあったっていう。この1年は特にストリングスの音を求めてることに気がついたんです。メンバーにストリングス奏者がいないにもかかわらず、かなり押し出したアレンジにしているのは、半分意識的だし、もう半分は時代や出会いと共にそうなった感じですね。
金子:それは自分のルーツにあるものが出てきたみたいな感じなのか、それとも今の自分がリスナーとしてそういうものが好きだ、みたいなことなのか、どっちの要素が強いですか?
森山:それもどっちもあるんです(笑)。でも、(ルーツが)出てきた方が強いかな。もともとストリングスは使いたいと思っていて。もちろん「視線」だったり「GREEN」だったりは、ストリングスが入ってはいるんですけど、それを主に据えるような意識ではなかったんですよ。6人いたときなんて、まずみんなの演奏するパートをどうするか、ライブでのイメージが絶対的にあったので、そういう思考が先にあって。ただ、バンドの曲はライブっていう目的地もあるんだけど、タイアップだったり、楽曲提供というのは、それが流れるときに一番いい形でっていうものだから、そういう中で選択肢が一気に広がって。それでメンバーのパートに捉われず、好きだった音とかやりたかったことに素直になっていった感じかもしれないです。
金子:それこそコロナ禍でライブもなかなかできなくなったから、ライブの再現性を目標に据えなくても、音源として完成度の高いものをってなっただろうしね。ちなみに、リファレンスは何かあったりしますか?弦のアレンジなのか、音像的な部分なのか。
森山:僕は具体的な何かをリファレンスにすると逆に作れなくなるので、作る時にはあんまり聴かないようにはしてるんですけど。ここ数年で音楽を作らないときに一番聴いていたのはアンビエントミュージックだったので、その影響は少なからずあると思います。音像感や音色の音楽でもありますよね。今作は弦のかすれたサウンドやピアノのフェルトっぽい音とか、すごく小さく弾いた音を後から大きくするっていうこともよくやっていて、それもアンビエントの影響だったかもなあと、今は思いますね。
金子:そういう音像の良さも間違いなくこの作品の魅力になっているから納得です。
▼アンビエントミュージックについて語ったFM福岡「Room "H"」レポートはこちら▼
ミゾベの小さな歌声が築く一対一の関係
MISATO:「独り」はストリングスのアレンジがすごくヒリヒリしてる感じだったり、「歩む日々に」は風がフワッと舞っている感じだったり、歌詞とのリンクがすごく美しいなと毎回思うんですけど、ストリングスが入るのはどのタイミングで設定するんですか?ミゾベくんが歌詞を書いてから?
森山:いや、基本的にはストリングスアレンジまで終わったものをミゾベに送ります。でもその前にコンセプトの話はします。「歩む日々に」は森永乳業さんとのタイアップだったので、曲の形が見える前から共有していたことではあるんですけど、「独り」は最初からストリングスアレンジもメロディもあるものをミゾベに渡すという感じですかね。
MISATO:じゃあ、ミゾベくんが歌詞を書くときは、全ての音の要素から言葉が出てくる感じですか?
ミゾベ:そうですね。そこがないとむしろ結構きついというか。
MISATO:森山くんの仕事次第では、自分の次の言葉が変わるってことですか?
ミゾベ:「小さなことをひとつ」だけかなり急ぎだったっていうのがあって、ピアノとメロディだけの状況から歌詞もアレンジも同時進行だったんですけど、やっぱり、アレンジができてこないと歌詞が全然できなくて。アレンジができてから、それまで書いていた歌詞を全部なくして、もう一回書き直すみたいな感じだったんです。ビートが半分になるか四分になるかで全然印象が違うんで、かなりアレンジによるところが大きいですね。
MISATO:拍数が変わってくるとハメる言葉の数も変わりますもんね。
金子:そうやってアレンジの方向性が少しずつ変わると歌にも影響してくると思うんですけど、去年のSENSAのインタビューで「最近は弱い声をどれだけ強く響かせるかを意識するようになった」と話しているのを見て。その意識がなぜ芽生えてきたのかを聞ければと思ったんです。
ミゾベ:そのときにSENSAのインタビューで言ったのは、単純に音楽的な好みとして、弱い声で歌っているアーティストの方が好きっていうのと、あとはボーカリストとして大きい声でしっかり音量を出して歌うより、小さい声で歌う方が難しくて、あまり日本のアーティストだとそういう人がいなくて。最近だと増えてきていますけど、単純にそこが好きだったっていうのがありますね。弱い声っていうところで振り返ってみると、「小さなことをひとつ」は最初リモートで仮歌録りをした曲だったんです。家で録ったので、仮歌にリファレンス的に入っている声が小さくて、そこからどのくらいの声を出していいのかもわかってきたり。そういう理由も相まって、「小さなことをひとつ」は一番声が小さくなっています。
金子:そこは環境の変化も関係しているんだ。
ミゾベ:昔の音楽は今と比べると音響の環境も悪かったり、イヤモニもない時代だったから、ライブを念頭に置くと、声を張っておかないと絶対ダメで。例えば、オペラとかはマイクすらないのが最初じゃないですか。だから、声が小さくなるのは、マイクを前提と考えると、順当な流れなのかなと思っています。
金子:フランク・オーシャンだったり、ビリー・アイリッシュだったり、それ以降の感覚みたいなことでもある?
ミゾベ:そうですね、ビリー・アイリッシュなんてまさにそうで。普通のライブハウスとかだと聴こえないですよね、あの声だと(笑)。
金子:ビートはそんなに押し出してないけれども、そのボーカルとストリングスで聴かせる感じが今回の一つの色になっていて、すごくいいなと思いました。
森山:前作ぐらいからいろいろ模索はしていながらもそっちの方向に向かっていたところだったので、ようやく形にできたという感じかもしれません。このアルバムの収録曲の一番古い曲は「眺め」という曲で、最近のものとはまた違う音像ではあるけど、当時からしてみるとすごく余白のあるアレンジで、この頃からそっちに向かってきていたんだなって。
MISATO:ミゾベくんが書く歌詞が、「ねえ、みんな音楽聴いてよ」っていう、本当に近しい、手が届く距離の人に歌っているから、そのぐらいの音量がしっくりくるというか。声を張らなくても、「君に歌ってるんだよ」っていう距離感になるのがいいなと思って。
ミゾベ:ライブで何千人に向けて大声を発するっていうイメージよりかは、一対一で聴かせるというか。それこそ歌詞ができると森山に最初に聴かせるので、リスナーの人に関しても、ライブの景色よりは、家で一人で聴いている、みたいな風景を想像しているかな。
MISATO:それを引き立てる音だと思うし、そこの差し引きみたいなのもあるのかなと思う。それが大きなホールとかライブハウスでも一対一で聴かせてくれるアレンジにされているっていう、それはodolのすごさですよね。
森山:これは最近言語化できたことなんですけど、ミゾベの声って匿名性の高い声とも言えると思うんです。さっき「君に向けて」「みんなに向けて」っていう話があったと思うんですけど、ミゾベの歌声は自分が歌ってるみたいに聴こえるというか。ミゾベから言われている感じとか、押し付けがましさが少なくて、自分の歌みたいに聴けるなって、この数年思っていて。
僕たちは「individuals」という「個人個人の」という意味のタイトルを冠したイベントを開催しているんですけど、そこで目指していたのは、"この歌はあなたの歌" であり "この時間はあなたの時間" で、それぞれの時間がただあるみたいなもので。演劇や映画を観て没入していると、世界に自分だけというか、そういう時間が生まれる。その心地よさを僕たちは好んでいて、ミゾベの声はそこに連れていってくれる声だなと思ったんです。そこが他のクリエイターや企業に求めていただける特長の一つでもあるのかな、と最近思いますね。
「はためき」というタイトルに込めた想い
金子:今回のアルバムはodolのこの2年8ヶ月のドキュメントであり、サウンドトラックでもあるんだけど、でもこれを聴いた人が自分にとってのドキュメントにもできるし、自分にとっての2年8ヶ月のサウンドトラックにもなるというか。その感覚を生み出す上で、ミゾベくんの歌というのはすごく大きな要素なのかも。
ミゾベ:天の声ってことですよね(笑)。誰の声でもないけど、ナレーションみたいな。
金子:面白いですよね。歌詞にはすごくパーソナルな部分もあるんだけど、でもそれがミゾベくんだけのものじゃなくて、聴き手それぞれに変換されていくのは、不思議な感覚でもある。
ミゾベ:僕の中でというか、森山とも共通して持っている認識なんですけど、さっき言ってもらった「僕らの2年8ヶ月だけど、それを聴いた人の2年8ヶ月にもなってほしい」っていうのは、一番思っていることで。4年前に「GREEN」っていう曲を書いたときに、究極的には他者と全く同じ気持ちになることはできないし、絶対的には同情することもできないって気づいちゃったんです。だからこそ、まずはそんな自分のドキュメンタリーをちゃんと描かないと、誰にも共感してもらえないのかなっていうのは思います。
MISATO:嘘がないからスッと入ってくるし、自分と照らし合わせられるのかもしれないですね。
森山:僕たちが昔から言っていることで、バンドは小さな社会で、みんなも社会に暮らしてるわけじゃないですか。だから、バンドのことを歌えば必然的に誰にでも通ずるようなことにもなってくるし、そこがあるから、ミゾベが何を歌っても本当に思ったことだったら、僕も受け入れられるだろうし、自分のことに置き換えられるなって思います。
MISATO:今まで森山くんが「ここの歌詞わかんないんだけど」とか「ここの歌詞を変えてほしい」とか、そういう風に言ったことはあるの?
森山:めちゃくちゃありますよ(笑)。「GREEN」も一回作ったやつを全部書き直してもらいました。今回だと「身体」もそうですね。ミゾベが納得していればいいって思う部分もなくはないんですけど、やっぱり僕の作品でもあるし、お互いの作品でもあるので、そこはどれだけ面倒くさくても、最大限言葉で交わして、歩み寄っておきたいみたいなところがあります。
ミゾベ:「こういう歌詞ができた」「駄目」っていう一工程じゃなくて、森山が気になるところも自分の判断基準に入っているんで。森山が気になって半分とか1曲まるごと書き直したときは、自分も疑問を持っているときが多いんです。逆に、僕はめっちゃいいと思ったけど、ボツになったっていう曲はなくて。
金子:二人の関係性がすごく見えるね。中学生から一緒だもんね?
ミゾベ:中2ですね(笑)。
MISATO:良いパートナーですね。
金子:そんな2年8ヶ月が詰まった作品に『はためき』と付けたのはどこからだったんですか?
森山:ラジオで話したように「これをまとめることができるのか?」みたいに思って、めちゃくちゃ悩んだんですけど、「仮にまとめるとしたら、どんな作品になるんだろう?」って考えたときに、この2年8ヶ月で様々なことがあって。コロナもあったし、僕たちの考えていることも変わったし、それこそ早川が辞めるタイミングもあって、バンドのことを描いた曲もある。そういう人と人との関わり、社会のことを意識していたという一つの流れは見えてきて。
金子:なるほど。
森山:去年出したEPの『WEFT』は、タイアップでバンドの外の人が密に音楽に関わってくる体験をして、そういうバンド外の人の存在のありがたさというか、そうやって作っていくことの尊さみたいなのもすごく感じたんです。WEFTは "横糸"っていう意味なんですけど、横糸を他者の存在に置き換えて、僕たちが縦糸というか、自分自身との関わり合いをイメージして、他者の存在にフォーカス当てていたんですね。その考えが今回も軸にはなっているから、その糸だったり、それが織りなす布みたいなことをタイトルに据えようという話になって。まずその布自体のことを表すために1週間ぐらい色々考えたんですけど、なんかちょっと、僕たちが本当に思ってるのはそのことじゃないなっていう違和感があって。でも、『はためき』っていう言葉に気づいた時は風にこう、社会がはためいてるようなイメージが、今の気持ちにもすごくフィットして、音にも合うなってことで、このタイトルになりました。
金子:布自体を指す言葉だと、自分たちの周りだけの関係性になるけど、『はためき』にすることによって、それぞれの人にも置き換わるし、もうちょっと外との繋がりが生まれるというか、その感覚はわかる気がします。
MISATO:糸だったら一対一な感じがしますしね。色んなことが繋がっているんですね。
RELEASE INFORMATION
odol「はためき」
2021年6月9日(水)
Format:Digital、CD
品番:UKCD-1198
紙ジャケット仕様 / ¥3,080 (税抜価格¥2,800)
Track:
1. 小さなことをひとつ (※radikoブランドムービーオリジナルソング)
2. 未来
3. 眺め
4. 身体 (※アース製薬「温泡」TVCMソング)
5. 虹の端 (Rearrange)
6. 瞬間 (※映画「サヨナラまでの30分」劇中曲セルフカバー)
7. かたちのないもの (※UCC BLACK無糖「#この気持ちは無添加です」キャンペーンソング)
8. 独り
9. 歩む日々に (※森永乳業コーポレートムービーオリジナルソング)
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