2025.06.18

「続いていく生活の中で自分にできることはほとんどないと気づけたことが大きかった」──Keeshondが自らの名を掲げた1stフルアルバムで綴る、重ねた月日と別れし友への思い
自らの名前を冠し、「バンドとしても、個人としても素っ裸な1枚」と称するほどのリアルを詰め込んだ本作は、20歳を過ぎ瞬く間に大人になっていく寂寥と追いつかないほどのスピードで進んでいく毎日の中で信念を守り抜こうとするしなやかな強さ、そして不可避の別れを受容するための葛藤が収められている。
時間は戻らない。人は別れ、いつか土へと還る。こんな不変の法則と真っ向から対峙した末に産み落とされた全10曲は、もう会えない人々の幸福を祈る風であり、今日も私は懸命に生きたという報告だ。

「明るくなりきれない暗い自分をどうやって受け止めるかを音にしたい」(ながみね)
─Keeshondは日常の掻き集め方が素敵なバンドだと思っていて。明るいニュースばかりじゃない日々の中で、小さな幸せや折りたくない夢を守り抜くための歌を鳴らしていらっしゃると感じているんですけど、お2人はKeeshondの音楽をどういうものだと考えていますか。
ながみねゆうだい(Gt,Vo):サウンド面だとオルタナやマスロックからの影響が大きいんですが、表現に関して言えば、おっしゃっていただいたように日常の描き方を大事にしているバンドだと感じています。自分自身、物事を暗い方向に受け取りがちなんですけど、その明るくなりきれない暗い自分をどうやって受け止めるかを音にしたい。僕の暗い部分が、Keeshondの音や歌には表れているんじゃないかなと。

─物事をネガティブに捉えてしまうのは、生来の性格的な部分?
ながみね:物心ついた時にはというか、気づいたら癖になっていた気がします。嬉しいことがあった時は、帳尻合わせにこの後悪いことがあるんじゃないかと思ってしまうし。でも、歌だったら暗い方向に考え込んでしまう自分を肯定することもできる。もちろん、肯定できない自分が嫌になること自体を表現したりもしているんですけどね。
─なるほど。キムさんはKeeshondの音楽をどのように捉えていらっしゃいます?
キム・ジョンホン(Ba):今日あった良くない出来事や嬉しかったこと、明日のことが、Keeshondの音楽を通じて少しでも明確になったら良いなと思っています。例えばLOSTAGEやKOTORI、さよならポエジー、cinema staffとか、僕らが共通して好きなバンドたちのライブは、「今日こういうことがあったけれど、明日はもう少し頑張ろう」と奮い立たせてくれたり、日常の喜びや悲しみを思い出させてくれる。だから、僕らもお客さんにそういう体験をしてもらいたいんですよね。
─キムさんからLOSTAGEやKOTORIの名前を挙げていただきましたが、そもそもお2人はどのような音楽に触れてきたのでしょう。
ながみね:バンドをやりたいと思ったキッカケは、高校2年生の頃に出会ったさよならポエジーでした。そこから、KOTORIやcinema staffをはじめ、作り込まれたバンドサウンドの中に真っ直ぐな歌が通っているバンドたちに憧れるようになって。歌詞や楽曲に込める思いに関して言うと、さよならポエジーの言葉遣いから影響を受けています。
キム:僕の音楽的なルーツはOasisやQueenにあったので、もともとはリスナー目線で音楽を楽しむことが多かったんですよね。でもKeeshondを結成してから、ながみねにさよならポエジーを聴かせてもらったり、新井愛護(Dr)にLOSTAGEやKOTORIを教えてもらって、自分もこういうバンドをやりたいと思うようになっていきました。

─メンバーの皆さんから教えてもらったバンドたちが、キムさんをリスナーからプレイヤーへと変化させていった?
キム:そもそも僕はソロプレイヤーになりたかったので、その点で影響を受けたわけじゃないんですが、バンドマンとしては2022年の『CRAFTROCK FESTIVAL』が大きなキッカケになっていて。「こういう舞台に立ちたい」とも思いましたし、心をここまで高ぶらせるステージングをしたいと感じたんです。ステージに立つ心構えやライブのスタンスも含め、根本にはこの日のライブがあるかなと。
3年間のリアルを写しだす、自らの名を冠した1stフルアルバム『Keeshond』

─6月4日(水)にドロップされた1stフルアルバム『Keeshond』は、お話いただいたようなどこか憂鬱な思いがざらつきながらも温かい音で鳴っている1枚で。やるせない日々において夢を追いかけるための決心や大人になっていく切なさ、そして別れを受け止める姿が描かれていると思うのですが、お2人は今作を振り返ってどのようなアルバムになったと感じていらっしゃいますか。
キム:これまで僕たちの情報は決して多くなかったと思うんですが、今作で「Keeshondはこういうバンドです」と一気にお伝えできるんじゃないかと感じています。バンドとして最初のアルバムである分、Keeshondの歴史に強く刻まれる作品になることは意識していましたし、結成からここまでの全てが詰まっているというか。おっしゃっていただいたように、バンドとして、メンバーとしてだけではなく、人間として大人になってきた、成長してきた過程を感じ取っていただけると思いますね。
ながみね:2022年から3年間活動してきた現在のKeeshondを100パーセント表現するために作った1枚ですし、その思いはセルフタイトルにも表れていて。とはいえ、このアルバムは、言っていただいたみたいに別れをそもそものテーマにしていたんですよ。だから1曲1曲を深堀していくと、その大きな命題を自分自身がどう飲み込んだのかが表現されているんじゃないかな。
─今、このタイミングでセルフタイトルを掲げようと思えた理由は何だったのでしょう。
ながみね:真っ向からセルフタイトルを掲げられるほどの自信が100パーセントあったかと問われたら、決して100パーセントではなかったんですけど、それも悪くないなと思ったんですよね。等身大というか、現時点での自分たちを10曲へ収めた時にどうなるのかを知りたかったから。
キム:ながみねが言ったように、今の僕たちを100パーセント素直に出せたかは分からないんですが、100パーセントを出せなかったとしてもそれがリアルじゃないですか。もちろんセルフタイトルということで3年間の結晶としての意味も持ちつつ、メンバーそれぞれの1番素直なものが詰まっている作品になった。バンドとしても、個人としても素っ裸な1枚だからこそ、『Keeshond』というタイトルで良かったと思っています。


─キムさんからメンバーの皆さんやバンドの成長過程が伺えるアルバムだとお話いただきましたけれど、特に「drift apart」には大人になった実感が宿っていますよね。
ながみね:この曲は自分が22歳を迎え、毎日学校で顔を合わせていた友達に会わなくなったり、連絡が取れなくなってしまったことから生まれた曲で。当時は気付きにくくても、後になって「あの時良かったな」「あの時楽しかったな」と思える瞬間が誰にでもあるじゃないですか。そうやって過去を振り返ったことがキッカケで、「drift apart」を書き始めました。
─過去を振り返り、歳を重ねた寂しさを滲ませている中、〈悲しさは置いておいで また再会を想うだろうけどさ〉〈楽しさはとっておいて また再会を願うだろう〉と決してすぐさま約束を交わそうとするわけではない点にKeeshondらしさを感じています。ながみねさんの歌詞は遠くへ思いを馳せたり、空へ祈るような感覚も強いようにお見受けしているのですが、いかがですか?
ながみね:曲を作る上で、直接表現してしまうのは自分らしくなくて。心の中でどうにか解決しようとしたけれど結局解決できなかった思いを、どうやって歌にするかを凄く考えているんですよ。そういう姿勢が「drift apart」にも表れていると思いますし、自分からなかなか声をかけられず、願うほかない心情が出てきているのかなと。
キム:確かに、この曲の歌詞は次を約束しようとするよりも「またどこかで会いましょう」ってニュアンスが強いと思うんですけど、今の環境を考えると当然のことでもあって。
学校という大きな枠から外れて社会に出ていくタイミングで、自分で決断しなくてはならない場面も増えてくるし、巡り合う人も変わっていくじゃないですか。それでも、これまで共に過ごしてきた人たちと、より深い未来の話ができるようになった。この変化は僕らが大人になった証拠だと思いますし、変わりつつある人間関係が歌詞でも曲調でも表現できた気がしています。

「どこかで自分のことを見ていてね」というメッセージをアルバムの最後に持ってきたかった(ながみね)
─もともと別れというテーマが存在していたと先ほどお話いただきましたが、実際「鶯」や「暮らしのどこかで」、「別れの詩」をはじめ、今作には無数の別れが織り込まれていて。こうした別れの歌をアルバムの主題に据えようと思ったキッカケは何だったのでしょう。
ながみね:別れにも色んな種類がありますが、何であれ生きていく中で避けては通れない出来事じゃないですか。いつかは別れの日が来てしまう事実を分かってはいたけど、想像したくなかったからどこかで目を背けていた。でも、飼っていた犬や自分の叔父が亡くなってしまったり、「drift apart」でも歌ったように友達と疎遠になってしまったりと、身をもって別れを実感する機会が増えてきたんですよね。それで、そういった経験をバンドや曲を通して昇華できるのではと思うようになったんです。
─「鶯」と「別れの詩」、「暮らしのどこかで」では別れの描き方が異なりますが、それぞれ離別をどのように捉え、楽曲へ落とし込んでいった、あるいはながみねさんの中で嚙み砕いていったのでしょうか。
ながみね:まず「鶯」は、死別してしまった人やこれまで関わってきた人たちをいかにして弔うのか、どのように自分が受け止めるのかがテーマになっていて。一方「別れの詩」では、どんなに悲しい別れがあったとしても自分の生活は続いていくからこそ、強引にでも空元気でも前を向いていこうとする姿を描きました。そうやって無理矢理にでも前を向いた後、別れた人たちに対する思いを伝えようとしたのが「暮らしのどこかで」で。特に〈遠く遠く離れていても ここに私はいるの 忘れないでいて 離れていても〉という歌詞には離れてしまった人たちへの思いが強く出ているし、「どこかで自分のことを見ていてね」というメッセージをアルバムの最後に持ってきたかったんですよね。
─別離を歌った楽曲群の最後としてだけではなく、アルバム自体が「暮らしのどこかで」で締めくくられることに強烈な意味を感じていて。「鶯」からの連なりを考えていくと、もがいてどうにか前を向いた結果が「どこかで見ていて欲しい」という結論なわけですし、このメッセージに至るまでに「鶯」や「別れの詩」が存在していると言っても過言ではないと思うんですよ。そうした中で、〈遠く遠く離れていても ここに私はいるの 忘れないでいて 離れていても〉という2行、「暮らしのどこかで」という楽曲を綴ることができた理由は?
ながみね:「別れの詩」ができたことで、誰かが死んでしまっても時間の流れは変わらないし、続いていく生活の中で自分にできることはほとんどないと気づけたことが大きかった気がします。ある種の諦めがついたからこそ、「離れたとしても忘れないでほしい」「どうすることも出来ないけれど、せめて思っていてほしい」って結論に辿り着けたんじゃないかな。
キム:ながみねが述べてくれた通り、別れは避けられない出来事で、時間は決して止まることがないと身を持って理解できたんですよね。その気づきがあって、人は前に進まなきゃいけないと思ったというか。決別を受け入れることは決して簡単ではないけれど、どういにか前を向いてほしい。自分自身、このアルバムを聴いて一歩目を踏み出そうと思えたので、聴いていただいた方がちょっとでも前に進もうと思える作品になっていたら良いなと。

─間違いなくキムさんが願った通りのアルバムになっていると思いますよ。それでは最後に。6月13日(金)東京・西永福JAMより『OUR NEST TOUR』がスタートします。ツアーファイナルとなる12月12日(金)東京・新代田FEVERまで全7公演が待ち受けていますが、どのような旅路にしたいですか。
ながみね:作品の話に戻ってしまうんですが、今作はセルフタイトルかつ1stアルバムで、ジャケットにも自分たちが写っている名刺代わりの一枚だと思うんですよ。言ってしまえば、どのような楽曲が収められているのかが見た目じゃ分からないから、挑戦的な側面もある。で、ツアーに対するインパクトもアルバムに負けないくらい挑戦的にしたいんですよね。東京と大阪、仙台を巡った後、東京で何度もライブを打つ流れは、一般的なツアーのセオリーからは外れていると思うし。セルフタイトルのアルバムを引っ提げて、たくさんのチャレンジができるツアーになったら良いなと。
キム:先ほども述べたように、僕たちって入り口になる情報が多いバンドではなかったと思うんですよ。だからこそ、このアルバムとツアーを通じて、色んな方に広がってほしいですし、少しでも足を運んでいただきやすいようにゆっくりとしたペースでツアーを回る。あと、ツアーファイナルの会場である新代田FEVERは僕たちにとって最大キャパシティの会場になるので、すごく大きな一歩なんですね。でも、ただ「新代田FEVERでファイナルをやりました」では終わらせたくない。僕らの人生としても、バンドとしても大人になっていく一歩目としてやりきりたいですし、皆さんの新たな第一歩のキッカケになれば嬉しいです。
取材・文:横堀つばさ
写真提供:Keeshond
RELEASE INFORMATION

2025年6月4日(水)
Keeshond「Keeshond」
Format:Digital
Label:2st Records
Track:
1.鶯
2.drift apart
3.目眩く
4.sunk
5.あの花の名前を
6.明日をあつめて
7.knit
8.空を飛ぶように
9.別れの詩
10.暮らしのどこかで
試聴はこちら
LIVE INFORMATION
Keeshond 1st ALBUM "Keeshond"「OUR NEST TOUR」

LINK
オフィシャルサイト@keeshond_
@keeshond_band