Redhair Rosy、EP三部作の最終章をリリース。前身バンド=the McFaddinを経て、2026年の今、目指していること──Vo.Ryosei単独インタビュー
INTERVIEW
2026.03.25
確かな時代性をバンドミュージックに刻み続けたYAJICO GIRL、 活動終了前ラストとなるメンバー個別インタビュー

「妥協したり、思ってるのと違うものを出したことはないので、それはめっちゃ誇れる」四方颯人(Vo)
─1月に活動終了を発表して、最後のライブまであと1ヶ月ほど(インタビューが行われたのは2月末)ですが、現在はどんな心境ですか?
四方颯人(Vo):最近ようやく終わる実感が湧いてきてはいて。自分がメンバーに話をしたり、活動終了を発表したときよりも、すごくフラットに、自分たちが終わることを認識しているところはあります。ほんま高一からずっと一緒だったから、13〜14年一緒に音楽やってた人たちと、今後もうやらなくなる、そのセンチメンタルな気持ちとかがようやく出てきてる状態。だからこそ、残りの時間は一つひとつ大切に活動していきたいし、これまで応援してくれた人たちにも感謝を伝えたいし、「いいバンドだったな、これからも大切に聴いていきたいな」と思ってもらえるような終わり方ができたらいいなって。
─活動終了は四方くんがメンバーに気持ちを伝えたことをきっかけに決まったそうですが、いつ頃活動を終了しようと思ったのでしょうか?
四方:2025年に休養期間を半年ぐらい取らせていただいて、復帰ライブをするにあたって、また曲を制作したり、ライブの準備をする中で、休養開けすぐの頃は元気にやれてたんですけど、少ししたら、また休養前の感じにメンタル的に戻っていっちゃって。周りのスタッフさんとも「ここはこういう風に変えていきたい」みたいな話をして、それを汲んでいただいて、活動のスタイルというか、話の進め方とかも変えていただいてたんですけど......根本的にそういうところが問題ではなかったのかな、みたいなことに活動を再開して気づいてきて。そういう状態で11月に復帰ライブをして、もうその日に「やりきったな」っていう、満足感というか、悟った感じというか、あの日に思いました。ライブ自体は楽しかったんですけど、これを今後もずっと続けていく未来は見えないなって。

─活動終了を発表した際のコメントでは、「もしかしたらどこかのタイミングで既にやり切っていた、燃え尽きていたのかもしれません」とありました。
四方:何が原因かは本当にわからないんですけど......振り返ると、『インドア』は自分のエゴを貫いて作った作品で、そのときの満足感はありつつ、YAJICO GIRLとしてこれをやり続けるのは違うなっていう認識も当時からあって。メンバーの持ち味を考えた上で、「化学反応を楽しむ」という形で音楽をやらないと、バンドミュージックのそもそもの良さが破綻してしまう。だから、各々の個性が集まって、もまれて出来上がったものを楽しむマインドを自分の中に取り込もうとし続けてきたけど......やっぱりエゴが強いんですかね。「思うようにいかんな」とか「自分はこっちの方がいいと思うけど、みんなでやったらこうなるか」とか、そういうちょっとしたずれで、少しずつ消耗してたのかなって、今振り返ると思います。
─『インドア』で四方くんが示した方向性を徐々にバンドで共有して、『アウトドア』を経て、『Indoor Newtown Collective』に結実する流れはバンドにとって一個の達成だったと思います。それでも、どこかにフラストレーションを感じていた?
四方:そうですね......バンドのプロジェクトとして進めていくには、どうしても物語を作らなきゃいけないというか、「音楽的にこう進んできたから、次はこうやる」みたいな物語が必要になってきたりして、その都度自分から出てきたものを作って、それをただアウトプットするのとは少し違ってた感じもして。そういう「これまでこうやってきたから、次はこうしていく」みたいなところと、自分の今の気分的なものが乖離していくこともありました。それでも一生懸命走って、『Indoor Newtown Collective』はそれまでのベストアルバム的な作品になって、でも数字的にはそんなに伸びたわけでもなくて。そこで燃え尽きじゃないけど、一つターニングポイントだったかなとは思います。
─その後によりダンスミュージックに接近した『EUPHORIA』の時期はどう振り返りますか?
四方:もっとライブを大事にしないと、バンドとしてなかなか軌道に乗っていかない現状がチームで共有されていて、「もっとライブを楽しんでもらうためには」っていう考えと、2023〜2024年くらいにダンスミュージックのブームがあって、自分の趣味的にも興味があったから、その路線に進んでいくのが一番面白いだろうし、メンバー的にも気持ちよく演奏できるフォーマットなんじゃないかと思って、それでダンスミュージックに進んでいったところはありました。ただバンドでダンスミュージックをやる難しさもわかってきて、だんだん疲れてしまって、休養に入らせてもらう、という流れでした。

─「バンドはライブが大事」というのも理解しつつ、自分が本当にやりたいもの、自分らしいと思えるものとの間にギャップがあった?
四方:「これを自分らしいと思えるものにしていこう」みたいなモチベーションは全然あったし、好きなことをやれてはいたんですけど、その一方で、「ダンスミュージックになると今まで自分がやってたこういう部分はなくなっちゃうんだ」みたいなこともわかってきて。ずっと考えてたのは、やっぱり僕はリリックを大事にしていて、細かい言い回しとか、細部の書き込み的なことが楽しかったんです。でももっとパンチライン一つとか、キーフレーズがリフレインされるとか、そういう反復の気持ちよさにフォーカスしていかないと、ダンスミュージックとしての機能的な美しさにはなっていかないところがあって、そのジレンマは抱えながら書いてたところはあって。
─「Ebi Fry」とかはキーワード的な面白さと、四方くんらしい書き込みが同居していて、面白いものができてたと思うけど。
四方:折衷案だからこその魅力ももちろんあるんですけど、そういう「中間」みたいなことをずっとやってていいのかなと思ったりもして。ただ制作に関しては、結局やりたいことをみんなでやれてたから、「こういう音楽性になってしまったから消耗した」というよりは、活動に対する意見のすり合わせとか、そういうところの方が自分のメンタルには影響があったと思います。音楽に関しては、どこかで妥協したり、思ってるのと違うものを出したことはないので、それはめっちゃ誇れることだなと、振り返って思いました。
─2025年の3月からお休みに入って、その期間は音楽からは距離を置いていたわけですか?
四方:そうですね。でも少し時間が経ってからは、音楽を聴くのが楽しくなってきた時期はあったかな。やっぱどうしてもね、街を歩いててJ-POPが流れてると、活動中は「今こういうのが流行ってんねや」とか、「こういうのが流行ってんの?はぁ?」みたいなこともあって(笑)。でも「これは自分には関係ない音楽で、これは俺の好きな音楽」みたいな割り切りが休養中はできてて。活動中は「こういうものは自分はあんまり好きじゃないけど、こういうスケールの音楽を自分も作らないといけないのかな」みたいなプレッシャーがどこかにあったんですけど、「これはそんなに好きちゃうから、俺はやめよう」みたいな割り切りが休養中にできてたかな。
─たとえば、一旦バンドをお休みして、ソロをやってみる、みたいなことを思ったりは?
四方:今思い出したけど、それでもう好きなことをやろうと思って、何曲か休養中に曲を作ってみて、「いいやん」みたいな感覚はあったんです。「自分が満足できるものが自分では作れるんだな」と実感した中で、「ということは、これはこれで一人でやれるんだから、バンドではやっぱりバンドの面白さを追求した方がいいな」と思ったんですよね。スケールとかを考えずに、自分がいいと思える音楽はある程度自分で作れることがわかったからこそ、じゃあYAJICO GIRLはどういうふうに動いていくかを考えると、やっぱり自分のトップダウンじゃなくて、彼らとだからこそ作れる可能性みたいなものにベットしたいなって。それが復帰のモチベーションにはなって。

─だからこそ復帰を決意したものの、いざやり始めると難しかった。
四方:そうですね......0か100かみたいな考え方になりがちだったところもあって。開けた感じのものを改めて作ってみて、「復帰にはこれがふさわしいんじゃないか」と思って、最初はトントン拍子で楽曲制作を進めてたんですけど、いざ出来上がってくると、「やっぱりこれ違うかも」みたいな感じになっちゃって。どこかで割り切って、スケールのでかい開けた音楽を作ったり、自分が思ってもいないような場所に飛躍するような表現を、自分が真ん中に立って歌う勇気が俺にはないんだなと思いました。
─そのときに作ったのが「光る写真」?
四方:いや、「光る写真」じゃなくて、もう一個別の曲があって、それを復帰シングルにしよう、みたいな流れで動いてたんです。雰囲気で言うと「流浪」とかに近いのかな。割とロックテイストのものを作ってたんですけど、作ってるうちに、自分でその曲の良さがわからなくなっちゃって。結局根っこから自分の創作意欲が沸き立つものじゃないと、最後まで責任を持ってやれないんだなって、改めて思ったんです。
─「光る写真」はいつのタイミングでできたんですか?
四方:「光る写真」ももともとは復帰前後に、「新しい曲を作らなきゃ」っていう中で作った曲で、今の感じのものをそもそも作ってたんです。で、ディレクターさんとかと、「この曲をどうしていこうか」と話していく中で、一回雰囲気をガラッと変えたタイミングがあったんだけど、でもそれは結局ボツになって。で、活動終了が決まってから、改めてもともと自分が作ってた方向で、「やっぱり自分はこういう感じがいい」っていうので、作った感じですね。
─初期のYAJICO GIRLを連想させる、ロックバンドらしい曲でありつつ、細部のアレンジからはやはりこの10年の積み重ねが感じられました。
四方:最初のデモはもっとラフだったから、ベースをシンセにするか、生で弾くか、ギターをどれぐらい重ねるかとか、そこまで自分で詰めて作ってたわけじゃなくて。それこそもうちょい電子っぽい方向性の時期もあったんですけど、「これが最後の曲」となってから、アレンジがバンドサウンド寄りになっていって。「最後やし、みんなでレコーディングしようぜ」っていうのもあって、結果的にバンド回帰みたいな形になったんですけど、でも最後までいい曲を作れたとは思ってますね。
─歌詞は休養中のことから活動終了に対する思いまで、この1年の間に四方くんが考えていたことが詰まっているように感じました。
四方:語るべきことを歌にできたらなっていうのはあったし、そもそも最初のデモを自分が作ってきた時点で、1コーラス分の歌詞は出来上がってたので、そこはあえて変えずにそのまま使って。で、2番以降は最後の曲になることも踏まえて、書き足していったかな。
─「光る写真」というタイトルには何かモチーフがあるんですか?
四方:そもそもは「口がそう言ったから」みたいなパターンではあるんですけど(笑)、でも一度休んで、復帰をするにあたって、改めてメンバーとの関係性とか、過去を振り返ったことで、「やっぱりもう一度やろう」と思えたし、ノスタルジックな物事についてはずっと興味があって、自分の大きなテーマの一つでもあったから、そういうものにしたいなっていうのはありました。でもこういう散文的な書き方はひさしぶりですね。「こういうテーマだから、こう組み立てて、こうやって書こう」みたいな考えはあんまりなくて、フリーライティングっぽく書いた歌詞かなって思います。

─最後が〈大切な歌 抱いて 君のもと今、届け またいつの日か出会えるまで〉で終わっているのは、一ファンとして嬉しかったのですが、最後の部分はすんなり決まりましたか?
四方:結構すぐ決まったかもしれないです。普通にこれがふさわしいなと思っただけで、「なんでこの最後の一行にしたんですか?」って言われると、難しいですけど......でもYAJICO GIRLを聴いてくれてた人たちの人生とか、自分たちの人生を考えた中で、まだ先があるというか、「続いていく」みたいなことを考えてたのはありますね。そういう中で、この一行がふさわしいかなと思ったような気がします。
─残り2本のライブに向けて、最後にメッセージをもらえますか?
四方:どっちも大切な一日になると思うんですけど、力むとあまり良くないので、緊張しすぎないように頑張りたいです。でも来てくださる方には、本当に一生思い出に残るぐらいの一日になってほしいなと思いながらやりたいと思ってます。これで最後、みたいな喪失感は抜きにして、ただ一緒に楽しみたい。楽しみにしていてください!いいライブにします!
「徐々に高校の頃の感覚に戻りつつ、最後の作品も作って、本当に卒業感がある」吉見和起(Gt)
─四方くんから活動終了の話を聞いたときの率直な心境を教えてください。
吉見和起(Gt):言われたときはもちろん驚いたんですけど、正直「ついに来たか」とも思いましたね。それこそ(四方の)活動休止もありましたし、その前ぐらいからメンバー間では、四方の気持ち的な部分を話す機会はあったので、それもあって、「ついにだな」って。なので、驚きとか寂しさが半分で、「まあ、せやろな」みたいな感じが半分でした。
─もちろん活動を続けたい思いもあっただろうけど......。
吉見:もちろんあったし、あと半年とか、1年とか、もうちょっと続ける可能性も考えたんですけど、彼なりに考えを固めた上で話したんだろうから、ここで「ちょっと待ってよ」みたいなことを言うのも違うというか、そこは彼の意思を尊重して。あと「4人でやる」っていう選択肢は基本的になかったんですよね。YJC LAB.で築き上げた形をなんらかの形で今後も生かす可能性はあったかもしれないけど、YAJICO GIRLは四方抜きでは考えられなかったので、もちろん続けたい気持ちはあったけど、そこは気持ちを受け取って、「じゃあ、どう終わりを迎えるか」という話をしました。

─活動終了発表時のコメントには「一昨年くらいから、いつかはこうなる可能性を少なからず感じていました」とありました。
吉見:あれを書いたのは2025年末ぐらいだったので、「APART」とか「MissU」を作ってた辺り、2023年の冬とか2024年に入ってすぐとか、そのぐらいのタイミングで、「可能性としてはあるな」みたいなのはふわっとはありました。その頃に武志が四方と2人でご飯に行って、色々と聞いてくれたんですよ。「最近どう?」みたいなことから、モチベーション的な部分とか、全部根掘り葉掘り聞いてくれて。で、それを受けて一回 5人だけで話す機会があって、「フルアルバムを出して以降、モチベーション的な部分で心境の変化がある」と聞いて、それを言われると、バンドが終わる可能性は0ではないなって。
─四方くんがお休みに入って、4人でYJC LAB.が始まって、その活動を引っ張っていたのは吉見くんだったかと思います。どんな想いがありましたか?
吉見:そうですね......二つ大きい想いがあるかな。 一つは単純に自分の表現欲求というか、『EUPHORIA』を作ってる段階から、ダンスミュージックとかクラブカルチャーにすごく興味を持ってたんです。もともと自分はアレンジとか音を作る上で、楽器をスタジオで鳴らしてっていうよりは、一人黙々とパソコン上で作るのが得意だったので、すごくダンスミュージックに興味を持ってたのもあって。そういう自分の表現欲求を満たす意味では、ああいうプロジェクトを立ち上げられたことはある種救いにもなってたし、めちゃめちゃ大変だったんですけど、でも振り返ると楽しかったなって思います。もう一つは、やっぱり彼に安心して休んでほしいなという気持ちも大きくて。あそこでバンドの活動を全部止めちゃうと、どこかで「早く戻らないと」と思わせちゃうだろうなと思ったので、安心して休んでもらうためには、4人でもしっかりバンドを前に進められていることを見せられた方が、彼もゆっくりできるんじゃないかなって。バンドを始めてから10年以上、ずっとフロントマンで 、背負ってきたものも大きいはずで、そこから一瞬だけでも解放してあげたいから、そのためにもバンドを止めずに進めることが必要だと思って。その二つが大きかったですね。

─10年以上の活動の中で、特に印象に残っている出来事や時期について振り返ってもらえますか?
吉見:2016年に「未確認フェスティバル」でグランプリを取ったときはすごく覚えてます。決勝が新木場スタジオコーストで開催されて、東京で泊まって、翌日大阪に帰るってなったときに、「起きたら何か変わってるんじゃないか?」って、そういうワクワク感とともに迎えた朝の雰囲気も込みで、すごく印象に残ってて。当時まだ学生だったので、ワクワク感がすごかったんですよね。ちょうど大学の夏休みだったから、「明けて大学に行ったら何か変わってるんじゃないか」とか、若いなって今は思うんですけど(笑)、そういう期待や希望をすごく持ってたなって。
─2016年にいろんなコンテストで優勝して、その勢いのまま翌年に『沈百景』を出して、でもそこから四方くんの意向で音楽性が変わって、『インドア』のリリースまでは時間を必要としたわけですが、改めて、あの時期をどう振り返りますか?
吉見:『インドア』の時期は苦しかったし、大変だったけど、すごくいい体験だったと思います。当時の自分の表現力の限界を超えて、新しいことに挑戦できた。当時はMASH A&Rに入らせてもらって、「さあ頑張るぞ」というときに、リリースまで 2年間空いてるんですよ。もちろんそれは『インドア』を出すために必要な期間ではあったんですけど、ライブに来てくれるファンの人は優しいから「僕らはセトリ変わらなくても好きです」みたいに言ってくれて、それに対してもどかしさも感じてて。周りの友達は就職を決めて、来年から社会人みたいなタイミングで、でも外から見ると自分は停滞してしまってる。それが苦しかったけど、でもあの時期は自分の表現者として、一アーティストとしてなくてはならない時期で、あの時期があったから、「自分はできる」という自信にも繋がっていて。それまでは制作にあんまり参加してなかったんですよ。ギタリストとしているだけ、みたいな。でもそこから音楽に深く入り込めるようになったんです。

─新曲の「光る写真」は生のバンドサウンドを基調としつつ、細かいアレンジにはやはりこの10年の積み重ねが反映されていますね。
吉見:「光る写真」はめっちゃいい曲に仕上がったなと思います。この曲の自分的なテーマというか、課題みたいなところは、自分の今までの表現の歴史、アレンジの歴史をどれだけ詰め込めるか。このバンドっぽいサウンドでいうと、シンセとかなくても全然成り立つと思ったけど、でも最後の作品だから、自分の表現の歴史をとにかく詰め込めるだけ詰め込んでやろうと思って。多少無理をしてじゃないですけど、入れたい要素は可能な限り詰め込めたので、そういう意味ではすごく満たされました。
─特にこだわったのは?
吉見:めっちゃあるんですけど......入れ方としては小ネタをいっぱい入れていくみたいな感じにはなっちゃったんですよね。自分のYAJICO GIRLの表現の歴史を全体に溶け込ませるというよりは、小ネタを入れていく感じ。たとえば、『インドア』はアンビエントがテーマになってたから、環境音は落ちサビで絶対入れたかったし、その前のギターロックの時期でいうと、これは古谷に「入れてくれ」と言われたんですけど、間奏のギターソロはその感じ。でもビートミュージックでもありたいから、2Aはその感じだし、自分はチョップネタが好きなので、そういうのも入れてみたり、あとは「Airride」でやった特殊なギターの録り方をちょっと入れてみたり。そういう遊び方をひたすらした曲になったので、自分のサウンドメイクでは満足してる感じですね。
─歌詞についてはどう思いましたか?
吉見:レコーディングの前日に送られてきて、やっぱりめちゃくちゃいい歌詞書くなと思いました。1サビ終わりぐらいまではもともとのデモに近しい歌詞が入ってたので、それを踏まえての2番以降の歌詞は、見たときに「おお!そう来るんだ!」ってなりましたね。なので、歌詞も含めてすごくいい作品になったなと思って、最後にこれができてよかった。「もっとこういう曲をやりたかった」とかもなく......なんかこう、卒業感が強いんですよね。友達でもありビジネスパートナーでもある、みたいなところから、今どんどんビジネスパートナーの割合が減ってきて、また純粋な友達に戻ってきてるというか。この前卒業旅行に行ったんですけど、僕が「こういうのもっとやっといてもよかったな」みたいなことを言ったら、四方だったかな?「いや、無理やろ」みたいな、「活動終了を決めた今だからできる」と言われて、それはそうだなって。徐々に高校の頃の感覚に戻りつつ、最後の作品も作って、本当に卒業感があるんですよね。

─バンドからメンバーが脱退するときに「卒業」と表現することはよくあるけど、YAJICO GIRLはもともと高校の友達だし、みんなで学校を卒業する感じ?
吉見:そうそう、ほんとにそうなんですよね。
─残り2本のライブに向けて、最後にメッセージをもらえますか?
吉見:いろんな人に恩返しになるようなステージにしたいなとは思ってます。当たり前の日常になってましたけど、音楽作って、ミックスやマスタリングしてもらって、リリースして、インタビュー組んでもらって、ラジオに出るとか、 MV撮るのもそうですけど、それってかなり特別なことで。そういう日常を作れたのも、応援してくれるファンのみなさん、支えてくれてるみなさんのおかげなので、そういった人たちに恩返しできるようなステージにしたいと思ってます。
「マンパワーじゃないけど、もっとバンドとして表現をしても良かったかな」武志綜真(Ba)
─四方くんから活動終了の話を聞いたときの率直な心境を教えてください。
武志綜真(Ba):「やっぱりな」と思っちゃいましたね。そこに至るまでで、「もしかしたらもう続けられないんじゃないのかな」っていう空気感はあったので。そもそもその伝えてくれた日は四方が作業場に来る予定もなかったので、来た瞬間に、口を開く前に、「ああ、もうこれはここで伝えられるんだな」って。
─急に作業場に来たってこと?
武志:そうですね。突然現れたので、何か大事な話をしにきたんだなって。

─吉見くんから聞きましたが、以前四方くんと2人でご飯を食べに行って、いろいろな話をしたことがあるそうですね。
武志:ありました。その時点では全然もうダメだっていうことはなかったんですけど、ずっとダウナーな感じというか、熱心に取り組めてない感じだったので、2人でご飯に行って、「自分事として取り組めてない感じがあるんじゃないか」とか聞いたときに、「燃え尽きてしまって、そうかもしれない。もしあれだったら自分抜きで4人で頑張ってほしい」みたいなことを言われて。そのときは「いや、一緒に頑張ろうよ」みたいな感じだったんですけど、今考えるとあの日からここまで繋がってたのかなと思います。
─四方くんがお休みに入って、YJC LAB.として活動した期間をどう振り返りますか?
武志:こう言っていいのかわからないですけど、一ミュージシャンとしてはすごくいい経験だったなと思います。やっぱり5人いると、一つの作品に対しての参加具合が分散しちゃうので、その裁量的なものが大きかったのも、すごくいい経験でしたし、純粋にやってて楽しかったです。5人でやってると、やっぱり四方のやりたいことだったりが優先されるけど、4人でやると「こういうの弾いてみたかったんだよな」と思ったら、何も考えずに気軽に投げれたので、それはいい経験だったなって。
─YAJICO GIRLの曲を「YJC LAB. mix」として再構築して、演奏していたわけですが、特に気に入ってる曲はありますか?
武志:ベースが目立つというか、歌っているような曲で、 R&Bとかブラックミュージックの匂いがする曲として「Better(YJC LAB. mix)」は気に入ってるし、「2024(YJC LAB. mix)」はベースだけどリードっぽいことをしてて、普段だったらあまりやらないので、楽しかったです。僕らは好きにやって、吉見が体裁を整えてくれたので、吉見にも感謝ですね(笑)。

─10年以上の活動の中で、特に印象に残っている出来事や時期について振り返ってもらえますか?
武志:台湾でライブができたのは自分的にすごく楽しかったですし、台湾でライブをして、戻ってきてから何本かライブがあったんですけど、その何本かは台湾の熱気に引っ張られて、かなりいいライブができたので、そこは楽しかったなって。自分は特段ライブが好きっていうタイプじゃなくて、どちらかというと制作の方が好きなタイプだったんですけど、やっぱりライブも楽しいなと思い始めたのがあの辺だったかなと思います。
─ダンスミュージックに接近した『EUPHORIA』の時期はどう振り返りますか?
武志:バンド感とダンスミュージック感と、すごくいいバランスでできたとは思うんですけど、自分はもっとバンド感がある方が好みではあるので、マンパワーじゃないけど、もっとバンドとして表現をしても良かったかなって。YJC LAB.はその側面が強かったと思いますし、最後の「光る写真」が結構バンドっぽい曲っていうのもあり、もっとバンド然としても良かったというか、パソコン上で曲作りしすぎたかなって、ちょっとだけ思いますね。もっとバンドで合わせて作ったら、もっといいバランスだったのかもなと。
─まさに「光る写真」はひさびさにバンドらしい曲で、でも細かいアレンジには10年の積み重ねを感じますが、仕上がりをどう感じていますか?
武志:デモの時点では疾走感があって、爽やかな曲なのかなと思ってたんですけど、完成してみたらすごく温かみのある曲に仕上がって、最後の曲だなっていう感じがしますね。一回だけスローテンポな感じになったんですけど、それもなくなって、一番最初のデモっぽくやろうって言って、バンドのカラーが強い感じになりました。
─武志くんからすれば、やりたかったタイプの曲が最後にできた?
武志:そうですね。「これやっていいの?」っていう感覚でした(笑)。
─アレンジはどんな部分にこだわりましたか?
武志:デモの時点で疾走感があって、ルートで、8分で、シンプルだったので、これはもうそのまま使おうと思って、人によってはピックで弾くかもしれないけど、僕は指で弾きました。感覚なんですけど、ピックだとゴリゴリ行きすぎる気がして、指で弾いてるけどピックっぽい音は意識して。ただそれだけだとやっぱり飽きがくるので、レコーディング当日に少しだけゼロイチで考え直してっていう感じでした。
─歌詞についてはどんな印象ですか?
武志:抽象的な表現かもしれないですけど、四方の歌詞は小説で言ったらずっと台詞じゃなくて、地の文が続いてるみたいな歌詞が多い感覚なんですけど、今回台詞みたいな歌詞なので、しっかり一人称で喋ってるというか、四方の言葉として言ってる部分が多いな、カギカッコついてるな、と思います。ちゃんと自分のことというか、自分が言ってるように書いてるなと。

─確かに。これまでは少し俯瞰した視点で書く歌詞が多かった印象だけど、「光る写真」では今の自分の思いをストレートに書いているように思います。
武志:俯瞰して書いたものの魅力ももちろんあるんですけど、前に「自分には伝えたいことがないんだよね」みたいな話を聞いたことがあって。メッセージ性みたいなものは苦手で、面白い音楽を作る方が好きで、そこにちょっと悩んでた部分があったけど、最後にメッセージ性がある歌詞が書けてよかったなと思います。いい歌詞ですよね。
─特にどのラインが好きですか?
武志:なんとなくの語感なんですけど、〈サテライトみたいに飛ばして〉は四方っぽいですよね。語感というか、「そこ持ってくるんだ」みたいなのが個人的には好きです。違和感を持ってくるのが上手ですよね。まあ、本当はCメロが好きなんですけど、他の誰かも言いそうだし、面白くないから、そこにしておきます(笑)。
─残り2本のライブに向けて、最後にメッセージをもらえますか?
武志:最後のライブだからこそ、僕はいつも通りやりたいなと思ってて。変に気負っちゃうのも嫌だし、最後のライブ補正みたいなものに頼らないようにちゃんと準備したいなと思います。いつも通りで、いつも以上にいいライブにするので来てくれる人も普段通り楽しみにして来てくれると嬉しいです。あとは泣かないようにしたいですね(笑)。
─メンバーの中で一番泣きそうなのは誰?
武志:それは榎本です。彼がめちゃめちゃ早くに泣くんで、こっちは引っ込んじゃうんですよ。まあ、この日ばかりは感極まっちゃうかもしれないけど、でもやっぱりいい意味で淡々とやりたいですね。

「多少の覚悟はありましたけど、いざ終わるとなるとショックではありました」古谷駿(Dr)
─四方くんから活動終了の話を聞いたときの率直な心境を教えてください。
古谷駿(Dr):結構辛かったですね。珍しく体調を崩したりもして。続くものだと勝手に思っていたので、「ここでか」という感じはありました。ここ1〜2年くらいは、正直いつ言い出されてもおかしくない状況ではあった気がするので、多少の覚悟はありましたけど、いざ終わるとなるとショックではありました。
─活動終了発表時のコメントには「これまで淡々とやってきたと自分では思ってましたが、いざ終わるとなると喪失感が大きく、実はかなりの熱量を持ってやっていたことに気付きました」とありました。
古谷:意外とみんなより僕が一番「終わりたくない」が出た気がして。四方に活動終了を言い出されたときに、「どれくらい決まってることなのか?」とか「ペースを落としながらでも続ける道はないの?」みたいなことは多少聞いたりもしたんですけど、もう四方の中で決まってる感じだったので、そこはもう飲み込んで、しょうがないなって。

─四方くんがお休みに入って、YJC LAB.として活動した期間をどう振り返りますか?
古谷:いやあ、よく頑張ったなって。今振り返ると、結果的には延命みたいなことではあったんですけど、 1年くらい、よく耐えたというか、よくやったなと。ライブも最初のパフォーマンスと最後の方ではかなり違ってたと思うんですよ。YJC LAB.で最後にやったのが2025年の12月で、もともとYAJICO GIRLで出る予定だったところを代打で急遽出たんですけど、そのときはすごく盛り上がってくれて、やっててよかったなと思いました。
─YJIC LAB.では音楽的にも編成的にも様々なチャレンジがあったと思いますが、特にどんなことが印象的でしたか?
古谷:僕は基本的なライブのやり方をすごく考えてた気がするというか、違ったことをやってることにどう説得力を持たせるかはすごく考えてました。ドラムがないとか、ボーカルがないところを、どう見た目的におかしくないか、音的にも説得力があるかとかは結構考えましたね。真ん中に映像が出るものを置いたり、体の動きと音に違和感がないようにしたり、見た目に説得力ある形でライブをやることはすごく意識しました。もともと急遽ではあったんですよね。2025年の1〜2月とかにやることが決まって、最初のライブが4月とかだったので、その間に頑張って、土台となるものはいろいろ作って。ピンチだったからこそ、その危機感で頑張れた気がします。
─10年以上の活動の中で、特に印象に残っている出来事や時期について振り返ってもらえますか?
古谷:僕は高校生の頃からライブに行ったりフェスに行ったりするのが好きだったので、フェスに出れたときはめっちゃ嬉しかったです。夢の場所だったので、ミーハーに嬉しかったというか。どのフェスも嬉しかったんですけど、小さい頃からFM802をずっと聴いてたので、ミナホやレディクレに出れたときはすごく嬉しかったですね。小学生くらいから、ラジオを聴きながら工作をしてたので、音楽と工作と、そのまま両方とも延長でやってこれたのは良かったなって。

─実際古谷くんはドラマーとしてだけでなく、アートワークやMV、ライブの演出など、デザイン的な側面も担ってきたわけですが、その活動をどう振り返りますか?
古谷:アイデンティティ的なものがあったのかどうかは......最後まで自分でもよくわからなくて。毎回曲に対してジャケットとかを作ってきたので、何か決まった作風が自分の中であるわけではないような気もしてて。だから、すごく作家性があるのかというと、そういうわけではなくやってきたのかなと。
─そうやって作品ごとにアートワークや映像的なイメージを考えることを繰り返しやってきた中で、古谷くんはYAJICO GIRLというバンド自体にどんなイメージを持っていますか?
古谷:曲だったり歌詞だったりで言うと、なんとなくノスタルジーをずっと感じてはいて。割と自分も過去を振り返りがちな性格な気はする。思い出の品が捨てられないとか、そういうのがなんとなくある気がして。過去を肯定してるわけではないけど、振り返ることが多いなとは思います。まあ、後悔してるような歌詞もあるし、良くも悪くも過去のことについて懐かしむ、みたいな空気感は感じてました。
─後悔だったり、内省的な部分も含まれてるけど、過去の温かみだったり、「過去があるから今がある」という前向きな感覚だったり、過去や思い出から付随して生まれる感情が、それぞれの曲に散りばめられてる感じがありますよね。
古谷:まさにそうですね。
─新曲の「光る写真」もまさにそんな一曲になっていて、音楽的にはひさびさの生ドラムが特徴ですよね。
古谷:そうですね。デモを聴いた時点から、初期YAJICO GIRL的なところにもう一回立ち返ってもいい感じの曲になりそうだなと思ったので、ドラムも割と初期に叩いてたようなフレーズを思い出しながらやってみました。ひさびさのレコーディングで、かつ最後だったので、名残惜しくなっちゃって、「もう録れてるよ」とは言われたんですけど、「もうちょっと叩いていいですか?」って言って、何回か叩きました(笑)。曲自体、一周して戻ってきた感じになればいいなと思ってましたね。まっすぐ初期の感じをやるんじゃなくて、一周して、ちゃんと深さが出せてたらいいなと思ってます。

─歌詞にはまさにさっき話したようなノスタルジー成分が多分に含まれていると思いますが、どんな印象でしたか?
古谷:冒頭の〈起き上がれない体をほどいて、窓の光 通り過ぎる朝を眺めていた〉はデモの時点で入ってたんですけど、そこは変わるかなと思ったら、そのまんま使ってたから、全体的にもそうですけど、最後は正直に、ストレートに出そうと思ったんやなっていうのは感じました。
─特にどのラインが好きですか?
古谷:みんな Cメロって言ってそうやな(笑)。でも僕も Cメロです。冒頭の1行と、Cメロ。Cメロはメロディーもいいですよね。急に熱量がグッとくる感じがいい。でも四方的にはちょっと恥ずかしかっただろうなと思います。歌詞を僕らに送るとき、若干の恥ずかしさみたいなのもあったんだろうなと想像しますね。最後じゃなかったら、もうちょっとオブラートに包まれてた気がします。
─アートワークはどんなアイデアから作りましたか?
古谷:「光る写真」なので、まずは安易に光ってる感じのイメージがあって。で、暗いところを照らす、前を照らす、みたいなイメージ。 この曲もやし、これまでの活動が、このヘッドライトみたいなものになったらいいなという祈りを込めた感じですね。歌詞に〈タイムマシン〉も出てくるので、この車はここ 1年くらい機材を運んでくれてた榎本の愛車なんですけど、その車をタイムマシンに見立てて、前を照らしてくれるように、祈りを込めて作りました。
─4月2日から4月12日まで、最後のライブの会場である新代田FEVER横の「POOTLE」にて「ヤジコ展」が開催されます。どんな内容になりそうですか?
古谷:YAJICO GIRLの歴史を感じさせられたらいいなと思って、でかい年表をバーッと張りたいなと思っていて。で、それに付随してライブのフライヤーだったり、映像とかアートワークとか、年表中心に振り返っていく感じにできればなと。あとはまだどうなるかわからないけど、ドラマーとしての展示も一個欲しいなと思ってて、アイデアはすでにあるので、それが実現できればと思います。

─残り2本のライブに向けて、最後にメッセージをもらえますか?
古谷:多分ひさびさの曲もやるとは思うので、それこそちゃんと一周回ってきたからこその表現ができたらなと思います。演奏的にもちゃんと仕上がった状態で臨みたいなと思いますし、新しい曲も昔の曲も、ちゃんと今の感じで届けられたらなと。 本当は「全曲やりたい」って言ったんですけど(笑)、それはメンバー的にしんどいので。
─全曲やったら何曲あるんですか?
古谷:50〜60曲くらいですね。僕はできれば全曲やりたいくらいではあるんですけど...。最後はしっかりいい演奏をして、応援してくれた方々に感謝を伝えられるようにしたいです。いつも通り踊らせにいきますよ!
「ほんまに嫌なやつ一人もいないし、メンバーは一回も変わらなかったですからね」榎本陸(Mood maker)
─四方くんから活動終了の話を聞いたときの率直な心境を教えてください。
榎本陸(Mood maker):いつかはそうなるかなと思ってたので、引き止めるとかはそんなになく、「おつかれさま」みたいな感じになって、割とすんなりそこで終わることにはなりました。四方が一度復帰して、集まって作業してても、やっぱりちょっとしんどそうというか、昔の感じには戻らんかったりして。4人で「これはどうしようね?」みたいに言ってたら、やっぱりそういうことになってしまって。でもそこから話し合いをして、最後のライブもあるし、シングルも出せるってなって、じゃあそこまではめっちゃ頑張ろうぜっていう感じになりました。それまではずっと避けてた、「バンド終わったらどうする?」みたいな話もそこでみんなでして、ちょっと肩の荷が下りた感じというか。そういうのって、バンドを続けてる間はネガティブな話題だから、話しにくいじゃないですか。だからみんなしてこなかったけど、それをしたりして、「ほんまに終わんねや」って感じましたね。

─ダンスミュージックに接近した『EUPHORIA』から、四方くんがお休みに入って、4人でYJC LAB.として活動した期間をどう振り返りますか?
榎本:『EUPHORIA』からは ダンスミュージックの中でギターをどうやって弾くかを考えるようになって、YJC LAB.になってからは、「もうめっちゃギター弾いたろ!」と思って。だから気分的には「ここからもっとギター弾くぞ」みたいなタイミングで終わることになったので、残念ではあります。ちょっとしんどそうやなと思いつつ、実際に四方から言われるまでは「まあ続くんやろうな」と勝手に思ってたので。
─10年以上の活動の中で、特に印象に残っている出来事や時期について振り返ってもらえますか?
榎本:「街の中で」を作ってたのは、上京して1〜2ヶ月ぐらいのときだったんですよ。2020年の2月。2020年1月に上京してきて、すぐレコーディングしたり、ミュージックビデオを撮ったり。ロケハンするにも東京のこと何も知らんみたいな感じだったので、適当にメンバーで走り回って、ここいいなとか言って撮ったんですけど、そのときが一番上京を感じました。で、その後すぐコロナ禍になっちゃったじゃないですか。そこから宅録に変わっていったので、「街の中で」は最後にみんなで作ったというか、ちゃんと集まって作った曲やったなって、今思えば思い出深い作品になってます。
─達成感や喜びでいうと、特に強く感じたのはいつになりますか?
榎本:達成感か......なんかずっと悔しいというか、「もっと行けそう」と思いながら活動してた気はする。そういう達成感をあまり得られないまま来て、それでしんどくなっちゃったんかなっていうのは正直ありますね。ただ、それがなかったからこそ、音楽性をどんどん変えて、それがYAJICO GIRLの良さにはなったかなって。普通に考えたら、ギターロックでいっぱい賞を取ったから、そのままギターロックで行くところを、四方が「いやそうじゃない、これからはこういう時代だ」みたいな感じでガラッと変えたじゃないですか。それは今思っても良かったと思う。お客さんもみんなびっくりしてたとは思うんですけど、でも今振り返ると、そのときそのときのいいアルバムができたなって。いろんな人に助けてもらって、全部いい音で録れてるし、今聴いても全然聴ける。全部真面目に作ってきたからこそ、バンドが終わっても聴いてもらえそうな曲がいっぱいできたなと思ってて、それは達成感ありますね。

─新曲の「光る写真」はひさびさにバンドらしい曲で、でも細かいアレンジには10年の積み重ねを感じますが、仕上がりをどう感じていますか?
榎本:ここ最近は曲を作るってなって、「今どういうのが流行ってるから」とか「こういう感じにしたら売れるんじゃないか」とかを思いながら作ってる部分があったかもしれないけど、最後はそれをやめて、もともと持ってたものでアレンジして完成した曲になったので、やっぱりバンドやったんやって、できて思いました(笑)。レコーディングも新鮮でしたね。みんながスタジオに集まって、「今日は今からドラムとベース録って、次俺か」みたいな、そういうのめっちゃひさしぶりで、それこそ「いえろう」を思い出してギターを録ったりとかもして。でもただ懐かしいだけじゃない、ほんまにいろいろ経てからのこれで、全部詰まってるなと思います。いい作品ができてほんと良かった。ホッとしてます。
─歌詞についてはどんな印象ですか?
榎本:やっぱり〈曖昧な日々をいつか振り返ったら〉のところからのCメロが好きですね。僕YAJICO GIRLのCメロめっちゃいいなってずっと思ってるんですけど、この曲もここで僕は毎回泣きそうになってます。サビももちろんいいんですけど、そこからもう一段グッと泣かせる。それは演奏しながら思いますね。まあでも、「しんどかったよな、ありがとうな」っていう感じですね。歌詞を読んでると。あとはこれを作らせてもらったことにも感謝というか、終わっちゃうバンドに対して、色々してもらうのもなかなか大変なことだと思うので、最後までMASH A&Rには感謝してます。
─残り2本のライブに向けて、最後にメッセージをもらえますか?
榎本:絶対泣いたらあかんのに泣いてまいそうで、それが嫌ですね(笑)。楽しく終わりたいと思いつつ、想像したら泣きそうになるんで、マジ心配です。まあでも、「あと何回ライブするんやろ?」とか思ってたのに、あと2回になっちゃって......まだ終わるのが実感できてないんやと思います。最後に自分が大阪時代を過ごした江坂、沢山お世話になった新代田でライブできるのがとても嬉しいです。来てくれる人たちと一緒にいい日をつくりたいです!

─ちなみに、ちょっと前にメンバーだけで卒業旅行に行ったんですよね。誰が計画したんですか?
榎本:俺と吉見かな。「メンバーでどっか行こうや」って言っても、「別にもう遠征でいいから」みたいな感じだったので、「最後ぐらい卒業旅行しようぜ」って企画して。俺と吉見で宿探して、熱海のホテルに行って、最後なんでゆっくりしようって。チェックインしてすぐ卓球して、ビール飲んで、お風呂入って、夜ご飯食って。で、酒飲みながらみんなでボードゲームして、ずっと朝まで喋って寝るだけっていう旅をしました。
─そこではどんな話をしたんですか?
榎本:くだらん思い出話はいくらでも出てくるんですよね。で、「3〜4年後にまた行こうぜ」ってなったんですけど、そのときはそのときで絶対におもろいよなっていう話をしてました。今までは全員が共有した思い出話をしてただけなんですけど、 3年後とかだと全員が違う人生を歩んでるわけで。「その話、100回目やん」みたいなことも多いんですけど、そうじゃない話ができるのが楽しみやねって。
─バンドの遠征以外でみんなで旅行するなんて本当にひさびさだったでしょうね。
榎本:多分一回もないですね。学生時代もなかった。ずっと友達だったけど、学生時代からバンドやってたので、東京に来るのにも青春18きっぷで来て、「MASH FIGHT」の後も代々木公園で寝て帰る、みたいな。それぐらいギリギリでやってたので、大人になったなっていう話をしてました。
─代々木公園での野宿から、熱海のホテルに泊まれるようになった(笑)。
榎本:いやほんと、いい十何年だったなって思えて良かったです。全員人生初めてのバンドで、高校一年生からずっとこのメンバーで、ここまで来るとは思ってなかったので、びっくりですよね。なんなら最初は友達でもなくて、軽音部に入部して、「さあ、お前らバンド組め」みたいな感じで組んでるので。でも、ほんまに嫌なやつ一人もいないし、メンバーは一回も変わらなかったですからね。

取材・文:金子厚武
撮影:山川哲矢
RELEASE INFORMATION

YAJICO GIRL「光る写真」
2025年3月18日(水)
Format:Digital
Track:
1.光る写真
試聴はこちら
LIVE INFORMATION
YAJI YAJI SHIYOUZE - ヤジコ万博 -

2026年3月30日(月)
場所:大阪・江坂MUSE
時間:OPEN 18:30 / START 19:00
URL:https://YAJICOGIRL.lnk.to/Y2S_YAJICOEXPO
YAJI YAJI SHIYOUZE - ヤジコの日 - <SOLD OUT>

2026年4月5日(日)
場所:東京・新代田FEVER
時間:OPEN 17:00 / START 17:30
<チケット>
スタンディング
・前売 ¥4,500 (+D代)
・学割 ¥3,000 (+D代)
ヤジコ展 - RETROSPECTIVE -

展示期間:2026年4月2日(木)~4月5日(日) 、4月7日(火)~4月12日(日)
※4月6日(月)は新代田FEVER、およびPOOTLEの休館日のため、ご入場いただけません。
場所:POOTLE (新代田FEVER併設)
※入場無料
LINK
オフィシャルサイト@YAJICOGIRL
@yajicogirl
@YAJICOGIRL
@yajicogirl




