SENSA

2024.03.04

Hedigan's、初の東名阪ツアー『Hedigan's Live Tour』 ツアーファイナル公演オフィシャルライブレポート掲載!

Hedigan's、初の東名阪ツアー『Hedigan's Live Tour』 ツアーファイナル公演オフィシャルライブレポート掲載!

SuchmosのボーカルYONCEこと河西"YONCE"洋介を擁するニューバンド"Hedigan's"による、初の東名阪ツアー『Hedigan's Live Tour』が、2月27日 東京・SHIBUYA CLUB QUATTROにてツアーファイナルを迎えた。
リリースしたばかりの1st EP『2000JPY』収録曲に加えて未発表曲を3曲披露。
以下、東京公演のオフィシャルレポートをお届けする。

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 まるで臓器を触るようだった。1曲鳴らすごとに、1音重ねるごとに、演奏者たちの体内に流れる血の匂い、皮膚の奥の温度が、ライブハウス中に充満していく。身体の中身をそのままギターの弦、鍵盤、ドラムスティックを伝わせて音へと変える、そんな「音楽」が続く。Hedigan'sの5人(本ツアーでは本村拓磨(Ba)に代わって井上真也がサポート)は着飾らなくとも、そのままステージに上がって、楽器を演奏しアドリブも混ぜながら自分が気持ちいいと感じる音を鳴らせば、誰も真似できないような、他の追随を許さないような存在感を放つ。人間をそのまま差し出すことこそがオリジナリティとなる、という表現の本質も思い知らされる。そんなHedigan'sの佇まいは、現代に失われたロックスターのそれであると言いたくなった。親近感とか、あざとさとか、そういう類を画面越しに演じて惹きつけようとするのではなく、ただ生身をさらけだすだけで、受け手に自分と同じ人間くささを感じさせるのに、手の届かないところで輝いているようにも見せる。それこそが近年見なくなったロックスター像だ――なんて、そんな論調は説教くさいおっさんの小言と言われるだろう。若者はスルーしてくれ。

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 Hedigan'sのステージは、ギターが奏でる旋律に歌声のハーモニーが乗る"夏テリーの物語"からスタートした。やはりYONCEの歌声は一発でその場の空気を変える。そして、目の前のことや隣の人について歌いながらも聴き手の想像力を世界にまで広げてくれるROTH BART BARONの音楽性をつなぐかのように、世界の事象に触れながら〈だけど今はあなたを抱きしめたい〉と紡ぐ"LOVE(XL)"から言葉を音に乗せていく。YONCEのソウルフルかつブルージーな歌は、時に誰かの絶望を受け止めるような深い器となり、時に遠くで光る星のような神々しさを纏う。ROTH BART BARONの三船がMCで「YONCEくんがまた音楽を作ってここに立ってくれたことが嬉しい」と語り、「この曲をHedigan'sに贈ります」と言って〈君の物語を 絶やすな〉と繰り返す"極彩 | I G L (S)"を捧げたこともこの日のハイライトだった。

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 Hedigan'sの音楽は、私たちは何のために生きているのかということに目を向けさせてくれる。生きることに、誰かを愛することに、目的も意味もなくていいという原点に――〈誰か思って祈れるなら 良い 良い 良い〉〈ただの動物の本能でも 良い 良い 良い〉("サルスベリ")、〈てっぺんはどこ/きっとそれぞれの山を登るだけなんだね/そして深い川が流れてゆくのだろうな〉("論理はロンリー")。そんな生き方が今の世の中で定められた価値基準において「敗北」とされるなら、それで結構、とリフレインする〈敗北の作法〉という言葉と体内から爆発させた熱量が乗った演奏が生み出すグルーヴの渦が説く。Hedigan'sが積み上げる音色は、この世で「意味」や「言葉」など脳で認識できるものを超越し、心と身体を震わせてくる。音に飲み込まれる瞬間の連続は、人間の本能を呼び覚ましてくれるようなものだった。こうしてHedigan'sの音楽を、ライブを、評価を、文章で語ることは無意味だと思わされるほどに。"論理はロンリー"、論理で語れることなんてたかがしれているのだ。

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文:矢島由佳子
撮影:Takayuki Okada

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オフィシャルサイト
@hedigans_japan
@hedigans

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