2025.11.08

─2020年の秋からキュレーターになって、ちょうど5年が経ちました。FRIENDSHIP.からの配信希望で送られてくる音源を聴く中で、どんなことを感じましたか?
マスダ:キュレーターになったタイミングがコロナ禍だったので、どんな楽曲が応募曲としてあるのかなと思ったら、「宅録で作りました」みたいな、1人で全部作り上げたような楽曲が集まってて、時代性で出来上がる音楽は違うんだなって、まずはそこから入って。最初はそういう曲をどう判断すればいいのかわからなくて、どんな基準で選ぶべきか、結構悩みましたね。
─配信する曲を選ぶ審査の基準は、キュレーター個々に委ねられている感じですもんね。
マスダ:個を大事にするキュレーターの集まりっていう感じだったので、まずはそれぞれの意見を聞いたりして。自分はいままで「これはいい、これは悪い」って、結構サクサク聴いちゃってたんですけど、もう少し原石というか、磨かれていく過程の曲に対する接し方を勉強していった感じがします。FRIEDNSHIP.は審査はちゃんとシビアなんですけど、でもバッサリ切らないのがいいところだなと思って。選考からは漏れてしまっても、光るものを持ってるから、今後もコミュニケーションをとっていこうよってなるアーティストもいたりして、そういう意味では、ずっと風通しがいいですね。2次アクションとして、いくつかの可能性が用意されてるのはすごくいいなと思います。
─コロナ禍を経て、送られてくる曲の変化はどう感じましたか?
マスダ:2022年くらいまではビートメイカーや自己完結のプロジェクトがすごく多かったと思うんですけど、そこから急にバンドが増えていったじゃないですか。それは実感としてすごくあって、音楽性どうこうというよりも、みんなで音を出す喜びをがむしゃらに表現するような楽曲がすごく増えた感じがします。
─miidaの歩みともシンクロする部分がありますよね。審査をするときに、ミズキさんの中ではどんな部分を重視していますか?
マスダ:歌ものだったら声ですね。ポテンシャルとか完成度よりも、自分がその声を気に入ったかどうか。意志の強い声だったりすると、やっぱり気になります。音楽性に寄っちゃうと、自分の好みが出てきちゃうので、そういう基準はできるだけ排除しようと思っていて、まずは声の良さ、そのあとに鳴っているものが何なのか、まずはそこの2つ。あとは一曲だけの評価じゃなくて、ここから大きくなっていく想像ができるか、自分が対バンで呼びたいかとか、継続性もポイントとして見てますね。

─いろんなデジタルのディストリビューションサービスがある中で、FRIENDSHIP.の良いところはどんな部分だと思いますか?
マスダ:音源を出すっていうハードルはいろんなディストリビューターが担ってくれるけど、配信したはいいものの、次に何をすればいいの?って、やっぱり思うと思うんですよ。そういうときに、主催のイベントをやっていて、オーディションの募集があったり、定期的に交流会をやったりしてるのはいいですよね。配信だけだとコミュニティを作れないし、2次アクションのやり方もわからなかったりするけど、いろんな情報をもらえたり、集まる機会があると、孤独にならずにすむ。デジタル化されていくと、そういうコミュニケーションが必要ないように見えて、でも実はそこが一番大事だったりすると思うんです。そこで得た情報をまた自分の活動に還元できる仕組みになってるのはすごくいいと思います。
─YouTubeで「from Studio KiKi」のチャンネルがスタートしたのもFRIENDSHIP.のキュレーターになったのと近いタイミングで、2020年の秋ごろからですよね。5年やってきて、先日ついに動画の本数が200本を突破しました。
マスダ:毎月4本、出し続けましたね。最初のきっかけがやっぱりコロナ禍で、ライブハウスもレコーディングスタジオも休業をしている中、ライブができない、録音もできない、にっちもさっちもいかない状況で、まずはスタジオを構えてみて。で、ワンルームの広々としている空間なので、ここで音を出して、みんなの発表の場になったらいいんじゃないかって、そこをきっかけに始まったんです。最初は自分が出演する感じだったけど、他のミュージシャンにも声をかけて、せっかくだったら一緒に演奏したり、そういうのをコンセプトにしたらいいチャンネルになるかもね、みたいな話から、コラボレーションを軸にした流れが出来上がっていって。でも最初はカメラマンもアマチュアだし、みんなここで演奏することにも慣れてないし...ごちゃごちゃごちゃごちゃしながら(笑)。

─僕がここに初めて来たのは『utopia』リリース時のオンラインイベントでインタビューをさせてもらったときで、その頃はまだ手探りだったと思うけど、徐々に環境がアップデートされていきましたよね。最初はボーカルレコーディングのブースもなかったし。
マスダ:「こういうのあった方がいいね」みたいな感じで、仲間に意見を聞きながら、ちょっとずつアップデートしていって、本当になんとか200回って感じです。ただ、アーティストが途切れなかったのはすごく良かったなと思っていて。はじめましての方も多かったですし、もともと友達じゃなくても、友達伝いに聞いたアーティストを呼んでみたり、それも本当に仲間のおかげですね。
─200回の中で特に印象に残っている回を振り返ってもらえますか?
マスダ:どれも印象的なんですけど...スケボーキングさんは再始動のタイミングで呼ばせていただいて、そもそも自分が中学生くらいのときに、兄がDragon Ashとかの界隈をよく聴いていたので、自分もすごい好きで聴いていたアーティストだったから、スケボーキングが家に来るってなって、大騒ぎでした(笑)。最初から最後まで緊張しっぱなしだったんですけど、コラボレーションもさせていただいて。
─どういう繋がりだったんですか?
マスダ:たまたまマネージャーをやっていらっしゃる方が知り合いで。「こういうことをやってる」っていうのを話したら、ぜひ出たいと言ってくださって、まさかまさかの回でしたね。FRONTIER BACKYARDさんとかも、自分からしたらレジェンドじゃないですか。出ていただいたときは、「これは何が起きてるんだろう?」っていう(笑)。
─コロナ禍ではベテランも含め、世代問わず表現の場を求めていたんでしょうね。
マスダ:ひさしぶりに会うミュージシャンから「見てるよ!」って言われることが増えて、それも継続してきたからこそなのかなと思いますね。ただ、やっぱりコラボレーションを軸にしてて、毎回何が起こるかわからない状況で本番を迎えるので、肝が座っていらっしゃるミュージシャンじゃないと来づらかったんじゃないかなって。
─別のスタジオに入って、リハをしてから収録じゃないですもんね。
マスダ:そうなんです。ここに出てくださっているアーティストは、本当に百戦錬磨の方々、音楽を表現するっていう部分に対して、すごく注力している人たちが出てくれたんじゃないかなと思います。あとは、Rihwaさんも大手のレーベルを抜けて、自由に出演できるということで、出演が決まったんですけど、結構そういうアーティストが多くて。コロナ禍を経て、独立したアーティストが本当に多かったじゃないですか。そういう中で、発表の場を増やしたいと思ってた人が多くて、それは自分もそうなので、わかり合えるところは多かったですね。Rihwaさんは「春風」の演奏シーンを切り取って、TikTokに上げてくれてたんですけど、「すごいバズったよ!」って、後から連絡をくれて、そういうのも嬉しかったです。
─FRIENDSHIP.から楽曲をリリースしているアーティストもたくさん出演してますね。
マスダ:MURABANKU。は前から出たいと言ってくださってて、遂に叶った回で。ここで9人ぐらいで、ギュウギュウで演奏しました。歌ものではなく、インストゥルメンタルなので、いろんな音楽に触れてもらうきっかけになったのも良かったです。そのときの映像を今年のフジロックの審査に送ったらしくて、「あの映像のおかげでROOKIE A GO-GOに出れた」って、あとからメンバーさんが連絡をくれたりもしました。あとYAJICO GIRLやWez Atlasは、FRIENDSHIP.のスタッフさんが「こういうアーティストがいるから、いつでも呼んでよ」って言ってくれて、本当に呼ばせてもらった感じなので、すごく心強かったです。
─最近で言うと、ちょうど「#200」だったsticoの評判も大きかったみたいですね。
マスダ:sticoはBase Ball Bearの関根史織さんがチャップマンスティックっていう、世界的にもプレイヤーが少ない、希少な楽器を演奏していて、Base Ball Bearで知ってる関根さんとはまた違った魅力を伝えたいなと思って、オファーさせていただきました。公開したら海外のフォロワーからの「この演奏はすごい!」みたいなコメントがすごく多くて、海外の人にも知ってもらえるきっかけになったのは嬉しいです。
─YouTubeやTikTokをきっかけに国内外でバズが起こることもコロナ禍以降の出来事だし、ゲストを振り返ることで時代の流れを感じます。そんな「from Studio KiKi」ですが、今年いっぱいで一区切りだそうですね。
マスダ:最初に言ったように、コロナ禍で音楽を発表できない、そういうもどかしさからこのチャンネルを始めて、200回にも到達しましたし、1つ節目だなと思っていて、年内をもって休止することにしました。結局、何のためにみんなの貴重な一日を使って、映像を毎月撮ってるのか、みたいなところなんですよね。もともとはコロナ禍があって始めたチャンネルだったので、これから先、どういう指標を持って続けていくかとなったときに、このまま音が鳴らせる場所として続けてもいいんですけど、自分も今年miidaがバンドになって、これから精力的にやっていく上で、全部をこのまま変えずに続けていくのもまた違うのかなって。私は変わっていくことを前向きに捉えているし、1つ役目は終えられたかなと思っていて、その話をクルーのみんなにしたときも、みんな寂しいは寂しいんですけど、やりきった感じはあって。そのみんなの顔を見たときは、すごくホッとしましたね。
─寂しさもあるけど、ここまでやってきた充実感の方が大きかった。
マスダ:そうなんですよ。何もわからないところから始めて、撮影もずっと試行錯誤しながらやってきて。でもそれでそれぞれがスキルアップして、他の活動に還元できている部分もあると思うので、無駄なことは1つもなかったと思います。

─ではここからはmiidaの活動について聞かせてください。昨年12月のライブでバンドになることが発表されたわけですが、どういった経緯だったのでしょうか?
マスダ:2023年に子どもが生まれたんですよね。なので、その前後1年ずつぐらい休んでいて、ひさしぶりに、去年の5月にバンド編成でライブをする機会があって、そのときのメンバーが今のmiidaのメンバーなんですけど、自分の中ですごく吹っ切れた状態だったんです。そのライブをした時点では、まだバンドをやろうと思っていたわけじゃなかったんですけど、そこから3か月ぐらい空いて、また新たに曲を作り始めたタイミングで、単純に生バンドの音がいいなと思ったんですよね。ただmiidaって、もともと「もうバンドはやらない」と思って始めたユニットだったんです。一番最小の、ミニマムな形でやろうと思ってスタートしてるので、バンドになると...また面倒くさいぞと思って(笑)。
─もともとねごとで長く活動していて、ねごとが解散になったタイミングでは、「一旦バンドはいいか」となったわけですよね。
マスダ:そういう経緯もあったので、安易にバンドにするのもどうだろうなって、ちょっと悩んでた時間があって。でもドラマーが抜けて、1人でやっていた時間も、ベースのアベ(マコト)くんはずっとサポートで支えてくれたのもあって、アベくんをメンバーにする日がいつか来るだろうっていうのは1個あったんですよね。で、アベくんに合うドラマーが見つかったら、バンドにしてもいいんじゃないかっていう中で、楽曲制作をやりながら、「そういえば、ヒコサカ(ゲン)くんすごいよかったな」って、そのときに思ったんです。それでバンドがどうとかはあまり気にせず、もう声をかけちゃおうって感じでした。
─すごく自然な流れだし、最初に話したコロナ禍以降の音楽の時代感ともリンクする話ですよね。ちなみに、去年の12月に『まだ言えないや』を出して、年末のライブでバンドになると発表したわけじゃないですか。「まだ言えない」っていうのが、つまりはバンドになることだったとも受け取れたんですけど、あれって意図的だったんですか?
マスダ:たまたまです(笑)。それ狙ってたらすごい面白いですけど。『まだ言えないや』は2022年の初頭には半分以上曲はできてて、その後妊娠出産を経て2曲書き下ろしたんです。出す段階では、「これでソロとしてのmiidaは最後」っていうのはわかっている状態で、図らずもすごくパーソナルな楽曲ばっかりになったので、それは自分でも不思議だなと思いますね。

─ではメンバーの2人について教えてください。アベくんとはもともとどうやって知り合ったんですか?
マスダ:アベくんはコウキくんとずっと友達で、コロナ禍に毎日うちで3人でマリカーをやってたので、もともと友達として、ずっと一緒にいた感じです。コウキくんと3人でいる感じが好きだし、アベくんも本当に音楽が大好きなので、いろんな話をしながら、夜な夜なマリカーをやって、スタジオで3人でセッションをして、「じゃあ、明日も遊ぼうね」みたいな(笑)。
─コロナ禍は本当に近しい人としか会わなかったですもんね。
マスダ:アベくんの家がここから5分ぐらいなんですよ。お互いの考えてることとか悩んでることを共有できて、人としての信頼関係がコロナ禍で構築されていきました。で、アベくんが挫・人間を脱退して、「時間あるならmiidaでやってよ」って。
─アベくんの音楽的なバックグラウンドを教えてください。
マスダ:彼はジャミロクワイでしょうね。中学のときからスチュアート・ゼンダーが大好きで、ジャミロクワイの何が好きなんだろうと思ったときに、ベースの音だったから、そこでベースを始めたそうです。最近はアイドル歌謡が好きらしいんですけど、ロックも詳しいし、シティポップにも詳しいし、オタク気質というか、その感じがプレイにも出てると思います。でも挫・人間をやってたから、「魅せる」というか、「これがバンドじゃい!」みたいなキラっとした面もあって、本当に多彩なんです。

─では、ヒコサカくんはどうやって知り合ったんですか?
マスダ:Suchmosが休止してからTAIKINGがソロを始めたじゃないですか。そのタイミングでコウキくんとヒコサカくんがTAIKINGのライブサポートで入ったんですけど、コウキくんが「ヒコサカくんっていうドラマーがいて、すごくmiidaに合いそう」って、サポートをやってる最中からずっと言ってて、それが多分2021年とか2022年。で、さっき言った産後のライブが決まって、バンドでやろうってなったときに、ヒコサカくんに頼んでみようかなって。
─ヒコサカくんがやっていたRAMMELSはブラックミュージックがベースにあるバンドでしたけど、ヒコサカくん自身のバックグラウンドは?
マスダ:正直彼のことをまだそこまで知らないのですが(笑)、そもそものルーツはもうちょっと邦楽というか、Syrup16g、Spangle call Lilli lineとかが好きだったみたいで。でも専門学校を出てるので、ブラックミュージックだったりはそこで基礎を勉強してるんだと思います。自分もシロップもスパングルもライブに行ってるし、共通点が多いから、「こういう感じ」って伝えたら、すぐにわかってくれて、それだけでもバッチリですよね。その幅の広い感じがアベくんとも似通ってて、3人とも同世代だし、最初にライブをやったときから「これはいいぞ!」みたいな感じでした。
─バンドになって最初にリリースされたのが「YOU/ME/ME」でしたが、最初に作ったのも「YOU/ME/ME」?
マスダ:バンドにならないかって声をかけたのが去年の8月とかで、9月ぐらいからまず曲作りをスタートしたんですね。「YOU/ME/ME」を最初に作ったわけではなく、全部同時多発的に、20曲以上作ったかな。
─ミズキさんがデモを作って、それを再現してもらう形ですか?それともみんなでスタジオに集まって、一緒に作っていった?
マスダ:まず私がワンコーラスぐらいのデモをDropboxに入れて、「この曲いいね」みたいな会議をしてから、ここで生のドラムを実際に叩いてみて、ベースを弾いてみて、そこでアレンジメントをどんどん加えてくれるので、痛快ですね(笑)。サクッと叩いて、サクッと弾けるので、すごいスピード感があって。あと意見が合わないときとかも、もう30歳を過ぎてると喧嘩しないんですよね。これは本当にいいなと思う。ねごとで喧嘩したかって言ったら、喧嘩したことないんですけど、そういうときに悪い空気にならないのって、30歳を超えたバンドだからだなって。
─3人ともそれぞれ一回バンド活動を経験してきてるわけですもんね。
マスダ:バンドの難しさはみんな痛感しているので、アイデアを出すときも自分だけじゃなくて、2人も積極的に色々言ってくれて。「シンセ入れたほうがいいんじゃない?」みたいになったときも、アベくんがパパパって弾いてみてくれたりするので、アレンジメントに関わる脳みそが3倍になった感じ。あとは「こういう曲を作りたいね」っていうプレイリストを最初に作って、それをみんなで聴いたりもしました。
─たくさん曲を作った中で、最初のリリースを「YOU/ME/ME」にしたのはなぜ?
マスダ:20数曲できてたので、「この中からどれを推したい?」みたいな話になったときに、「Adventure」、「YOU/ME/ME」、「ゼロサムゲーム」がまず出て、そこからどういう順番でリリースするかを決めました。歌詞の内容も曲自体も始まり感があったので、「YOU/ME/ME」を一曲目にしたんですけど、ヒコサカくんが気に入ってくれてたのも大きかったですね。
─「YOU/ME/ME」と「Adventure」はダンサブルで、グルーヴ感があって、まさにバンドらしい仕上がりですよね。「ゼロサムゲーム」はどうやって作ったんですか?
マスダ:「ゼロサムゲーム」はやったことないコード感というか、ちょっと邦楽ロックっぽい、今の流行りの楽曲みたいなのを作ってみたいなって。King Gnuの「Vinyl」とか、「くっそテンション上がる」みたいな曲じゃないけど、ジワジワ何回も聴きたくなる、男っぽい感じの曲をイメージしてました。
─アベくんが作曲に関わった曲も収録されていますね。
マスダ:曲作りの段階から「3人とも作ってみよう」って話をしていて、アベくんも5〜6曲ぐらい書いてくれて、その中の3曲が入りました。アベくんの曲は照準が定まってていいんですよね。「Communication Breakdown」だったら、プレイヤーとしての喜びをアレンジメントで表現したいっていうのがまずあって、全員でリフを演奏してたり。あとは仮歌の段階で、〈僕は君を今すぐ殴るさ〉っていうサビ前のフックも最初からデモに入ってて。「これどういう意図で書いてるの?」って聞いたら、マルコス・ヴァーリの歌詞って、ああいう音楽なのに実は結構わけわかんないことを歌ってて、それが好きだから日本語でもやってみたいと思って書いたって。それが面白かったので、そこを残した状態で、Communication Breakdownって何だろう?っていう話をディスカッションしながら作ったり、他の曲も含め、共作って感じです。
─歌詞は曲ごとにいろんなモチーフがあると思うんですけど、個人的には「YOU/ME/ME」をはじめとして、「夢」というワードがいつも以上に目立つ印象を受けました。
マスダ:もともと「夢」をたくさん入れようと思ってたわけではないですけど...「こうありたい」とか「こう生きたい」とか「こういうふうに進んでいきたい」とか、人生観やアティテュードみたいなものを歌ってるなと思ってて。だから「夢」というワードが多いのかな。
─「まだ言えないや」でも〈愛や夢を信じたまま死にたいから〉と歌ってたし、そこは変わってないと言えば変わってないのかもしれない。
マスダ:そうなんですよね。なので、そういうのを歌いたいっていうのは根底にあるんですけど...やっぱりこの先何が起こるかわからないなっていうのを、コロナ禍でみんな意識したしたじゃないですか。生きていくのは思ったより大変というか、この先何が起こるかって、誰もわからない。だったらもっと自分のしたいことだったり、こういう自分でいたいだったり、そういうことをもっと大事にしてもいいんじゃないかなって、思ったんですよね。先が見えないからこそ、ロマンを持ちたいっていうか。

─バンドをもう一回やるということも、もう一度夢を見る感覚なのかなって。
マスダ:単純にワクワクはしてましたよね。やっぱり曲を作ってるとき、歌詞を書いてるときは、今はここにあるものを信じたいし、みんなを笑顔にしたい。そこがすごい原動力になってて、そういうのが歌詞にも入ってるのかもしれない。
─「YOU/ME/ME」に関しては、これまでの活動の中でファンからもらった手紙を全部保管していて、その中の言葉がインスピレーション源になったそうですね。
マスダ:そうなんです。自分がハッとするきっかけってどこにあるかわからなくて、ふいに見直した手紙で、自分は何者でもないけど、誰かの人生に寄り添うことができた瞬間があったんだと思ったときに、これまでやってきたことは全然無駄じゃないじゃんと思えて。だからこそ、まずは自分が何にでもなれると思っていたいなって。
─自分が夢を見ることによって、ファンの人に夢を見せることにもつながる。
マスダ:そうですね。そういう人になりたいと思って、だから歌詞にもいっぱい「夢」を書いてしまったのかもしれないです。

─最後にこれから先のことを聞くと、前にライブに遊びに行ったときに、「いつかmiidaでリキッドルームでライブをしたい」ということを話していましたよね。
マスダ:「バンドをやるなら目標が欲しいよね。どの会場でやりたい?」みたいな話をしたときに、アベくんが「miidaだったらリキッドいけるでしょ」って、ふいに言ったときがあって。そういうのは言霊なので、言わなければ始まらないし、そのときもアベくんにまた救われたなと思ったんです。リキッドではねごとで何度もワンマンをやらせてもらったし、ラストツアーの初日の場所でもあるから、すごく思い出深いし、大好きな場所なので、確かにやりたいなって。それこそ夢の1つですね。そこに行くにはファンをちょっとずつ増やして、ツアーを回ったり、本当に1個1個やるしかないなっていう感じなんですけど、コロナ禍があって、出産・育児があって、やっとできるじゃんって、今は解放された状態ですね。
─「from Studio KiKi」も一区切りだし、本当に新たな始まりですね。
マスダ:気持ちのいい出発がこのアルバムでできるんじゃないかなと思ってます。

取材・文:金子厚武
撮影:稲垣ルリ子
RELEASE INFORMATION

miida「Gum」
2025年10月1日(水)
Format:CD / Digital
Label:KiKi Records
Track:
1.Where Are You?
2.Adventure
3.Changes
4.Anchor
5.YOU/ME/ME
6.Communication Breakdown
7.滑って落ちる
8.ゼロサムゲーム
9.天才的月面着陸
試聴はこちら
CD購入:http://miida-tokyo.stores.jp
LINK
オフィシャルサイト@miida_official
@miida_official
Official YouTube Channel
FRIENDSHIP.




