2025.06.10

─Ogataさんはもともと熊本のご出身で、2009年に結成した男女6人組バンド・talkで活動されていたんですよね。
Ogata:もともとtalkの前に別のバンドをやっていて、それはオルタナっぽい、スマッシング・パンプキンズとかレディオヘッドみたいなバンドだったんですけど、どこかのタイミングで後にtalkの主軸になるメンバーがライブを見てくれて、多分SEでシガーロスとかをかけてたんですよ。当時熊本にはシガーロスとかモグワイとか、ポストロックを聴いてる同年代は少なかったから、そこで仲良くなって、最初は「インストバンドをやろう」みたいな感じで始まって。そこからだんだん人が集まって、最終的に6人で活動をしてました。そのうちの一人は今熊本のNAVAROっていうライブハウスで店長をしてます。
─インストから始まって、歌が入ったのはどういう流れだったんですか?
Ogata:みんなシューゲイザーも好きだったし、カナダのスターズとか、ブロークン・ソーシャル・シーンみたいな大所帯バンドも好きだったので、自然に「歌も入れるか」みたいな流れになったと思います。だからtalkは最終的にかなりいろんな要素がごっちゃになってたんですよね。 エレクトロニカも盛り上がってた時期で、フェネスの『Endless Summer』も好きだったし、ペインズ(・オブ・ビーイング・ピュア・アット・ハート)とか、ギターポップも成熟してきて、いろんな流れがあったんです。talkのドラマーはアルバム・リーフとかが好きで、ペインズみたいな疾走感のあるエイトビートを叩くのはそんなに好きじゃなかったので、そういうのはソロでやろうと思いました。ロケットシップの『A Certain Smile, A Certain Sadness』が大好きで、ネオアコの文脈があってのギターポップはソロをやる上ではかなり影響が大きかったと思います。
─洋楽に影響を受けつつ、日本語で歌ったのはどんな背景がありますか?
Ogata:もともとアジカンが好きでギターを始めていて、アジカンと、あとスピッツが中学生のときの自分を形作っていたので、「日本語でもやれそう」みたいな気持ちにはなりましたね。バンドは高校生のときからやっていて、最初は英語でやってたんですけど、歌詞の書き方とか音の使い方を工夫すれば、別にダサくはならないなと思って、それでだんだん日本語でやるようになったんです。

─talkは2012年にファースト・アルバム『Waltz For Feebee』を発表していますが、きっかけは当時からディストロをやっていたcinema staffの辻くんだったそうですね。
Ogata:そうなんです。今は音源を作るハードルってそこまで高くないと思うんですけど、当時熊本にいて音源を作るって、誰に頼んでいいかもわからないし、結構ハードルが高かったんです。でも辻さんに「音源ないんですか?」って言われて、「辻さんに言われたら作るっきゃない」みたいな感じになって。で、結局そのレコーディングは誰かに頼むんじゃなくて、全部自分たちでやったので、それが今エンジニアをやってることにも繋がってくると思います。
─バンド時代からエンジニアリングもやっていたんですね。
Ogata:実は高校生のときにやってたバンドでも、自分たちで音源を録ってたんですよ。メンバーに後々専門学校のPA科に行ったやつがいたのも大きかったし、あと親父もバンドをやってて、実家にドラムセットがあったんです。山の中にプレハブ小屋があって、お祭りのときのPAとかを親父の仲間うちでやってて、マイクもアンプもあったから、あとMTRがあれば自分たちでできるじゃんって。その経験もあったので、talkでもやれると思ったんですよね。基本レコスタは使わず、うちの実家でドラムを録ったり、リハスタを使ったり、さっき言ったNAVAROを使わせてもらったりもしました。

BOSS MTRシリーズBR-600。これを高校生時代に購入し宅録を行っていた。
─曲を作るのも楽器を弾くのも好きだったけど、昔から録ることにも興味があったと。
Ogata:今自分がエンジニアをやってることの意味にも繋がるんですけど、当時周りに頼みやすい人がいなかったのもあるんですよね。僕の上の世代だとポストロックはもちろん聴いてないし、マイブラすらわからない感じだったから、「この人たちとどうコミュニケーションをとって、音源を作ればいいんだろう?」っていうのが全然見えなくて、それで自分たちでやる結論に至ったのもあって。まあ、今振り返ると自分のやりたいことに対してすごく潔癖だったなと思いますね。これが全国に流通するんだと思ったら、恥ずかしいことはできないし、プレッシャーもあったので、泣きながら録音やミックスをやりました。
─でもいざ作って発表してみたら、音楽好きの間ではネットを中心に大きなリアクションがあったわけすよね。
Ogata:そうですね。当時はSNS黎明期みたいな感じだったと思うんですけど、ネットで広がってくれました。東京にいたらライブハウスのシーンがあって、そこで広がることもあったかなと思うんですけど、熊本でただポツンとやってるだけだったら、なかなか広がらなかったと思うので、ラッキーだったというか、いいタイミングでやれてたのかなって。

YAMAHA VSS-30。本体にマイクが搭載されている鍵盤型のサンプラー。声や鉄琴の音をサンプリングし、雪国のpothosで多用された。
─2015年にtalkは活動を休止して、Ogataさんは上京をされたそうですね。
Ogata:talkとソロを並行してやってたんですけど、就職とかを機にバンドができなくなってきて、1人でやるなら人が多い方がいいかと思って、20代半ばぐらいに上京して。で、東京で4〜5年は企業に勤めてたんですけど、その間もtalkやソロを聴いて、エンジニアとして依頼をくれる人たちがいて、それはやっぱり嬉しかったので、断らずに続けてきたんです。そういう感じでやってたら、「頑張ればエンジニアだけでやっていけるかも」ぐらいの仕事の数になってきて、30歳手前で会社を辞めました。
─仕事が増えるきっかけは何かありましたか?
Ogata:Balloon at dawnは大きいですね。エンジニアとして他の方と差別化できたというか、エンジニアというより海外におけるプロデューサーっぽい、「バンドと一緒に音源を作る」みたいなスタンスでやれて、これはすごく楽しいなって。音作りやミックスの方向性を一緒になって考えたり、そういうことをBalloon at dawnとはかなり一緒にやれたので、それはすごく大きかったと思います。
─エンジニアとして影響を受けた人はいますか?
Ogata:僕が好きなのはデイヴ・フリッドマンとスティーヴ・アルビニなんですけど、2人は似てる部分もありつつ、実際やってることは対極というか。デイヴはかなり色をつけるタイプで、サウンドメイクをめっちゃするんですけど、アルビニは自然派というか、ナチュラルに、バンドの良さをそのまま生かすタイプ。どちらの考えも好きなので、バンドごとにバランスをとりつつ、どちらのニュアンスもやれたらと思います。
─デイヴとアルビニが関わった作品で、特に好きなものを一枚ずつ挙げてもらえますか?
Ogata:デイヴ・フリッドマンで言うと、デルガドスの『Hate』がものすごく好きです。バンドだけではなし得ない、エンジニアリングの賜物というか、ドラムやストリングスも含めて、かなりクリエイティブな音作りをしてる割に、ちゃんと聴きやすさが残っていて、削ぎ落とせばバンドの素朴なよさも見えてくるけど、アグレッシブさをエンジニアがブーストしてる感じがする。アルビニは...(ピクシーズの)『Surfer Rosa』か、あとは(ニルヴァーナの)『In Utero』ですかね。あの音像が自分の中に染み付いてて、『Nevermind』はあんまりしっくりこなかったんですよ。それは「エンジニアが違う」みたいな意識が芽生える前だったので、肌感覚的なものかもしれないですね。ああいうバンドの自然さ、生々しさを残せるのはすごく美しいことだと思います。

─エンジニアリングはずっと独学ですか?
Ogata:そうですね。学校には行ってなくて、ずっとサンレコとかを読んで、勉強して、録って、みたいなのを繰り返していく中で、いろいろ知識を得ながらやってきた感じです。でも影響で言うと、東京に来てから作った自分のソロアルバム(『Things I Know About Her』)で、ドラムとボーカルを中村公輔さんに録っていただいたんです。調布のstudio CRUSOEで録ったんですけど、僕が言ったことをパッと汲み取ってくれて、スタジオでのマジックみたいなことに魅了されて、それはすごく影響を受けました。
─Ogataさんはご自身でエフェクターやケーブルを作ってもいるんですよね。
Ogata:エフェクターを作ったりするのももともと好きで、19歳とか20歳のときに、自作エフェクターが流行った時期があったんですよ。ART-SCHOOLの戸高さんがやってるPhantom fxとか、mixiで直接やり取りをして売ってたような時代で、その流れで僕も自作キットのパーツ屋さんでバイトをして、自分でも作ったりして。ケーブルに関しても、自宅スタジオを組むにあたって、好みの長さのものを揃えるのが大変で、市場に流れているものよりいいものを自分で作れるんじゃないかと思って。インディーズでやってる人たちはそんなにお金があるわけじゃないから、そういうところまで面倒を見た方が都合よかったり、そういうふうにだんだん興味が出てっていう感じですかね。
─「Clean Pedal Commune」というエフェクターのコミュニティの運営もされています。
Ogata:DIY精神というか、市場からちょっと距離を置きたい、みたいな気持ちが常々あって。商業的な何かがない方が健全になる側面もあるし...まあそんなに甘くはないんですけど、でも自分たちで上手くまわせたらいいよねって。最近は転売も出てきたから、楽器屋さんもコントロールができなくて、善意で安く売ろうとしたら、すぐそれが転売されて、じゃあ中古相場を上げざるを得ない、みたいな状況がずっと続いてるんです。だったら仲間内で譲り合って使った方が、変に搾取されずに済むよね、みたいな考えがあります。


─プラグインが進化を遂げている一方で、実機の良さを見直したい思いもある?
Ogata:あると思います。プラグインは最大公約数を目指している側面があると思うので、中庸止まりになってしまうかもしれない。それに対して、ハードはピーキーですけど、目的と合致したチョイスをちゃんとすれば、そっちの方がかっちりハマると思うんです。そういうのは触ってたらだんだんわかってくるし、バンドマンもパソコンの中だけで完結するのは味気ないと思うんですよね。パソコンだけだとだんだん作業みたいになってくるから、実際にものを触りながら作っていく感覚があると楽しい。機材選びは実際のレコーディングよりももっと川上の問題で、どういう音を出したいかに直結するから、表現の幅にも関わると思うので、機材はいつもすごい量を持って行きますね。

─ここからはOgataさんが関わっているFRIENDSHIP.関連のバンドについてお伺いします。SACOYANSは昨年アルバム『SUN』を発表しました。
Ogata:ギターのたけちゃん(Takeshi Yamamoto)は僕がtalkをやってたときにマクマナマンとかをやっていて、先輩というか、僕が一方的にすごく好きなプレイヤーで、仲良くさせてもらってたんです。で、僕が上京してからSACOYANSが始まったのかな。
─入れ替わりじゃないけど、SACOYANさんが東京から福岡に来たわけですよね。
Ogata:そうそう。で、「たけちゃん最近はSACOYANSで弾いてるんだ」みたいな感じで見てたら、声がかかった感じです。エスキベルとかを聴いて、「こんな感じで録ってもらいたい」みたいなふうに、多分SACOYANが思ってくれたのかな。
─SACOYANSの魅力をどのように感じていますか?
Ogata:全員タフですよね。アルバム9曲分のベーシックを一日半ぐらいで録り終えましたし、SACOYANの歌も一日でかなりの量とクオリティで録って、本当にすごかったです。福岡からわざわざ来てくれてたし、SACOYANがやりたいことは全部やるぞっていう感じで、しっかりこだわって、いいアルバムができたなと思います。

─特にこだわったのはどんな部分でしたか?
Ogata:バンドの迫力ちゃんと生かしたいと思いました。前まではSACOYANの宅録をみんなで再現していくみたいな流れだったと思うんですけど、『SUN』はバンドで曲を作って、それを演奏する感じになっていたので、そのバンドとして成熟した状態をちゃんとパッケージングしたいなって。そこはみんな認識が一緒だったと思います。
─リリース時のSACOYANSのインタビューで、アルビニが使っていたエフェクターを使ったという話を読みました。
Ogata:シェラックとかで使ってるハーモニック・パーコレーターというファズを使いました。1曲目の「サモトラケのニケ」のど頭のギターの音ですね。みんなすごい音楽好きなので、「この音出したいよね」みたいな、そういうちょっとオタクなところも一緒に楽しみながらやれたかなって。前までのレコーディングだと、普段のエフェクターでそのまま録る感じだったんですけど、目指したい音があって、それに向かってやっていく、みたいなことを楽しみながらやれたかなと思います。
─コーラスもかなり凝っていて、トラック数めちゃ多いですよね。
Ogata:あれはさすがに時間が足りなくて、福岡で録ってもらったんですけど、ミックス終盤にSACOYANも東京に来て、1文字単位で音量を波形で全部書いて、どういう聴こえ方をするか考えながらやってました。「ここの聴こえ方はこのパンの位置でこのぐらい」みたいなのが彼女の頭の中にはできてたんですよ。ベーシックの録りまでは僕の仕事だと思ってたんですけど、ボーカルのミックスとかはSACOYANのターンだなと思って、やりたいことをちゃんと叶えようと思ってやってましたね。
─もともと宅録でやってきたSACOYANの良さと、今のバンドのSACOYANSの良さと、ちゃんと両方のいいところが合わさってるように思います。
Ogata:やっぱり宅録をやってた人の感覚みたいなのがあって、自分の中である程度世界ができてるから、それを人と共有するのはすごく難しいと思うんですけど、絶対折れないようにやろうと思いました。作業効率は良くないですし、仕事として考えるならもっとシステマティックにやった方が楽ですけど、時間がかかったとしても、ちゃんといいものを、ちゃんと残るものをやりたいというのはありましたね。
─SACOYANSのインタビューでは、Ogataさんについて「第5のメンバー」と話していました。
Ogata:わざわざ口に出して、「一緒にやろう」みたいなことは言えないですけど(笑)、そのスタンスが伝わっていたのであればすごく嬉しいし、救われました。本当にありがたい話ですし、すごくいいアルバムができたと思います。
─雪国にはメンバーからの依頼で関わるようになったそうですね。
Ogata:最初はドラムとベースの録りで声をかけてもらって、何曲か録って、ギターとボーカルは自分たちで録ろうとしたみたいなんですけど、結局リリースしたのはその中の一曲だけで。それもあって、「次は全部お願いしたい」みたいな感じで来てくれて、それで作ったのがファーストの『pothos』ですね。
─Ogataさんに依頼があったのはなぜだったのでしょうか?
Ogata:最初はstudio CRUSOE経由で来たのかな?宇宙ネコ子とか17歳とベルリンの壁とか、そこで録ってるバンドが好きだったみたいで、僕がエンジニアリングをしたわけではないですけど、多分場所として、あそこがよかったのかなって。それでCRUSOEのエンジニアの西村さんから声をかけてもらった感じですね。
─彼らはアンビエントにも造詣が深いし、ポストロック的な雰囲気もあるから、音の面での親和性はかなりあったのかなと。
Ogata:あったと思いますね。例えば、『pothos』では結構使ったんですけど、1曲目のパッドみたいな音は、「シガーロスっぽい音を出したい」みたいな話だったから、サンプリングキーボードを使っていて。リバースしてる鉄琴の音は自分で録って、サンプリングキーボードにつないで鳴らしていて、シガーロスの『()』ではこの音がめちゃくちゃ使われてるんですよ。そうやってポスプロも含め、一緒に作っていった感じです。
─やっぱり彼らもシガーロスとか、ポストロックが好きなんですね。
Ogata:ムームとか、北欧のエクトロニカとかにつながるポストロックも好きみたいで、やっぱり好きなものは結構似てるというか、京くんとは好きなアンビエントの話もよくするし、世代は違っても好きな音の傾向は近いのかなって。
─雪国というバンド名からして北欧感ありますしね。今のアンビエントの流行は2000年前後のエレクトロニカの流行にも近い感じがして、当時で言う「音響派」的な雰囲気が今の若い世代にあるようにも思います。
Ogata:あるのかもしれないですね。僕らの世代だとそういう音楽はかなりディグらないとたどり着けなかったと思うんですけど、今はサブスクとかでアンビエントとかもかなり聴きやすくなったのが大きいのかなって。当時はタワレコとかCD屋さんになかなか置いてなくて、熊本から東京に来たときに、お茶の水にあったジャニスで全然知らないエレクトロニカを大量に借りて帰る、みたいなことをやってたんですよ。その頃に比べると、情報がフラットになってきている感覚は、雪国を見てるとすごく思います。アーカイブされているものにアクセスしやすくなったんだろうなって。

─1月にリリースされた『Lemuria』については、どんなポイントにこだわりましたか?
Ogata:「録り音からあまりいじらない」というのはありましたね。ドラムの子はもともとスネイル・メイルとかも好きで、ドラムは乾いてて、タイトで、みたいな感じもあったんですけど、『Lemuria』ではメン・アイ・トラストっぽい感じにもしたくて、チルな要素もありつつ、出るとこ出てるからビートミュージックとして踊れちゃう、みたいな。乾いてるんだけど、リヴァーブとかでウェット感も出して、包み込むような側面がある。録り音の時点で、そういう湿っぽさはすごく意識しました。『pothos』の時点ではまだそこに多少の乖離があったので、そこを詰められたのが『Lemuia』かなって。ほぼ録り音に近い感じなので、ラフが流出しても恥ずかしくないです(笑)。
─『Lemuia』は音がいいなと思いましたけど、録り音の時点からこだわったからこそなんですね。
Ogata:あれを「音がいい」と言ってもらえるのは嬉しいです。今まで自分は割と商業的な音作りとは距離を置きつつ、インディ的なサウンドメイキングを頑張ってやってきて、最近は周りも「こういう音楽いいよね」っていう雰囲気になってきたのが、時世もあると思うんですけど、すごく嬉しいです。
─エスキベルも一昔前はもうちょっとロックなイメージだったんですけど、2月に出た『Sines』はシンセやアコギを使って、音の響きを大事にしている印象でした。
Ogata:エスキベルは僕はミックスは2曲だけなんですけど、ポスプロはあまり考えずに、録りの時点で実験的な録り方をして、その音でやっていくぞ、みたいなのはありました。もともとはナンバーガールとかの感じだったと思うんですけど、新しいアルバムはビッグ・シーフ、アラバマ・シェイクス、フィービー・ブリジャーズとか、USのオルタナフォークみたいなところを最初から目指す感じでした。
─もともとサウンドはロックだったけど、はっぴいえんどに通じるフォーキーな歌心があるバンドでもありますよね。
Ogata:そうですね。歌詞やメロディーは日本の古きよき音楽の流れがありつつ、サウンドは最近のUSの感じ。でもそこにエレキやシンセもしっかり取り入れて、他のバンドがやれないようなことをやろうとして、ほぼエフェクティブな音で構成されてるんですよ。素材1個1個で見たら「これ成り立つのか?」みたいな感じで、ギターのアレンジとかも現場で一緒に考えながらやったので、「このピース、最終的にどうなるんだろう?」っていう部分もあったんですけど、ミックスできれいにまとまって、すごいなと思いました。サウンド的にはかなり前衛的になって、ミュージシャンズミュージシャン的な立ち位置にもなれるぐらい、音に対する考えやこだわりがしっかりあるし、それでいてちゃんとポップさもあるので、もっと広がってくれたらなと思いますね。
─Beachside talksは3月に『Hokorobi』をリリースしました。
Ogata:彼らももともとCRUSOEで録っていて、それで僕に頼んでくれたのかな。
─CRUSOEがハブになってるんですね。
Ogata:なってますね。僕はフリーで、スタジオに勤めてはいないんですけど、CRUSOEの西村さんが若手を大事にしていて、僕の方が合いそうだと思ったときに仕事を振ってくれるんです。それが最初のEPの『Marble Town』ですね。彼らはシューゲイザーっぽいことをやりたいっていうのが最初からあったので、ドラムはスタジオで録ってるんですけど、ギターとかは宅録の延長線上で、ほぼ家でやってます。
─Beachside talksはまさにOgataさんと相性ぴったりというか、シューゲイザー的な側面もそうだし、男女ボーカルだし、バンド名に「talk」も入っていて(笑)、talkと一番近いのがBeachside talksかなって。
Ogata:確かに、そうかもしれないですね。僕もシューゲっぽいことをずっとやってきたので、そこはやっぱりツーカーというか、「こういう音を出したいんです」っていうときに、僕は全部パッと出せる、みたいな状態ではありますね。
─彼らとはtalkの話もしたりしますか?
Ogata:どのタイミングで聴いたかはわからないですけど、聴いてくれてるっぽいです。コード進行とかも把握してて、ギターを弾いてると思ったら、「俺の曲じゃん。恥ずかしいからやめてよ」みたいなことがあったり(笑)。
─シューゲイザー〜ドリームポップが根底にありつつも、もっといろんなジャンルの要素が入ったアルバムになっていたと思いますが、どういうやり取りがありましたか?
Ogata:例えば、「mizuiro」はエモラップみたいな感じなんですけど、あれは彼らがほぼ家で録ってきたんです。僕の考えの1つとして、最終的にバンドみんなそれぞれ録音できたらいいんじゃない?と思ってるんですよ。だから一緒にやってるときも、「その部分は家で録ってきてもいいんじゃない?」みたいなことを結構言ってたので、実際新しいアルバムの曲はビートとかギターとかベースを一回全部打ち込みで作ってきて、それをこっちでミックスして、ボーカルとかを追加で録る、みたいな感じでやっていて。バンドがやりたいことが僕を介さなくてもできるようになるんだったら、それが最高かなと思うんですよ。もちろん僕にできることがあれば手伝いたいですけど、みんなに自主性があった方が健全だと思うし、そういうことができる時代だと思いますしね。

─そういう時代性的な部分で、今の若手のバンドシーンの特徴をどう感じていますか?
Ogata:音楽性はもちろん、どういう音作りをして、どういう音響的なアプローチをするかにも全部文脈が宿るので、そういうところを客観視しながらやれてる気はしますね。やっぱり情報がフラットになって、アクセスしやすくなって、好きなバンドがどういう機材で演奏してるのか、みたいなことまで知れるようになったのは大きいですよね。いい意味で、オタクっぽい側面がある人たちがより豊かに表現をできるようになった気がします。
─確かに、一昔前だったら「オタクだから知ってる」みたいなことを、わりと多くの人が普通のこととして知ってるような感じになってますよね。
Ogata:昔の音楽シーンは画一的な側面もあったと思うんですけど、今はみんなそれぞれ趣味の幅がすごく広くて、その好きなことに対して、ちゃんと情報を集められる環境になっていると思うので、それぞれのバンドで尖ることもできてる気がするんですよね。いい意味で流行りみたいなものがなくなってきて、好きなことをそれぞれ好きなようにできてるのをすごく感じます。昔は「ポストロックをやってます」みたいな話をしたら、「売れないのに大変だ」とか言われたりして、「別にそういうつもりでやってるわけじゃないんだよな。好きだからやってるんだけどな」みたいに思ってたので、今のシーンの豊かさはすごく嬉しく思いますね。
─今のオルタナティブなシーンはすごく面白いですもんね。
Ogata:「どうやったらバンドを上手く続けられますか?」みたいなことを聞かれたときに、「好きなことをやった方がいい」って、すごく言いやすくなりました。僕はtoeとかを見てきた世代でもあるし、好きなことをやっているがゆえに、雪国もSACOYANSもちゃんと飛び抜けられたと思うんです。シーンとか時流とか関係なしに、リスナーも含めてみんなフラットにいろんな物事を見るようになった感じがあって、価値観の多様化はすごくいいなと思います。何が売れるかもわからないし、好きなことをやり通してたら、それが好きな人にはちゃんと伝わると思うので。

─そういうバンドたちと今後はどう関わっていきたいと考えていますか?
Ogata:今はエンジニアがいなくても音源が作れて、僕はそれがいいことだとも思うんですけど、それでも人と関わって、別の視点が生まれたりすることを創作の楽しみとして見出してもらえたらと思うので、僕は頼みやすくて、話しやすいような立ち位置になれたらいいなとはすごく思いますね。やっぱりアルビニとかデイヴみたいなスタンスでやりたいんですよ。ちゃんとバンドと一緒に創作をして、音楽としての彩りを豊かなまま残したい。効率化みたいなことを求めると、シーンが縮小再生産するだけで、文化としては先細りになっていくと思うので、そっちじゃない部分を大切にしたいですね。オタクのままいろんな人たちと接していきたいというか、僕は文脈のオタクでもあるので、文脈がちゃんと残るような形で、音を紡げたらいいなと考えています。
取材・文:金子厚武
撮影:佐藤広理
PROFILE

1979年生まれ。埼玉県熊谷市出身。インディーズでのバンド活動、音楽出版社への勤務を経て、現在はフリーランスのライター。音楽を中心に、インタヴューやライティングを手がける。主な執筆媒体は『CINRA』『Real Sound』『ナタリー』『Rolling Stone Japan』『MUSICA』『ミュージック・マガジン』など。『ポストロック・ディスク・ガイド』(シンコーミュージック)監修。デジタル配信サービス「FRIENDSHIP.」キュレーター。
@a2take / @a2take3
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FRIENDSHIP.Kensei Ogata オフィシャルサイト
@CuddlyDominion