SENSA

2021.11.13

「普通」の枠に収まらないギタリストDURAN、新作『Kaleido Garden』に刻んだ生きた証

「普通」の枠に収まらないギタリストDURAN、新作『Kaleido Garden』に刻んだ生きた証

弾き語り、ギターソロ、本人がしゃべっている音声、女性の英語のナレーションと電子音、あっという間に終わる短いインスト、などの、言わば音のスケッチのようなものから、ガッチリ演奏して歌をのっけた曲(英語のものも日本語のものもあり)や、それに映画のモノローグのような人の声が乗っかっている曲や、アコースティック・ギター1本で歌っている曲などなど、全部で25曲。
ソロ・アーティストとしては2作目となるDURANのアルバム『Kaleido Garden』は、そんなふうに混沌としていて、聴いていてどこに連れて行かれるのかがわからなくて、フリーキーで自由な空気に満ちた作品である。24歳の時に、オーディションを受けてThe ROOTLESSというバンドに加入、自身が作曲した2010年のデビューシングル「One day」はアニメのタイアップ曲でヒットしたが、4年後に脱退。以降、稲葉浩志、スガシカオ、清春、最近では小袋成彬など、多数のアーティストのサポートでプレイしながら、自身のバンドを作ったり、別のバンドにも加入したり、脱退したり、解散したりした末に、2018年のアルバム『FACE』でソロ・アーティストとしても本格始動した。
特にギタリストとしては、すでによく知られた存在だが、このニューアルバムを機に、これまでの活動や、その軸となるミュージシャンとしての考え方なども含め、じっくり話を訊いた。


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音楽イコール、人とやるもの

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─コロナ禍になってライブ活動ができなくなる前、ご自分のユニットと人のサポート、合わせて全部でいくつくらい同時進行していました?


DURAN:自分のバンドが4つで、サポートも合わせると、7つぐらい同時に動いていました。

─という人が、そのライブを全部取り上げられると、どうなったのか。


DURAN:「自分って、なんで生きてるんだろう?」って思う感じになっちゃいましたね。人と音を出せないし...俺、人と音を出して育ってきちゃったから。子供の頃、フィリピンにいた時があったんですけど、その時もガレージでドラマーと練習していて。人と音を出すことがあたりまえだったから、それがない生活がまったくわかんなくて。

─ああ、音楽イコール──。


DURAN:人とやるもの、という。「これ、どうしたらいいんだろうな? 俺の存在、なんだろう?」みたいな、変な方向に行っちゃったんですけどね。

─デビューしたバンドを脱退した後は、自分の活動だけとか人のサポートだけに絞らず、同時進行でいっぱいやってきたのも、人とやる場を増やしたいから?


DURAN:そうですね。バンドも好きだけど、音楽が好きで始めたので。やっぱり、いろんなところでいろんな人と演奏したい、というのはでかいですね。

─最初にバンドのメンバーとしてデビューした時、最初に書いた曲がヒットして以降、ずっとそういうものを求められることが苦痛で脱退した、と、よくおっしゃっていますけれども。


DURAN:ああ、それはでかかったですね。

─プラス、バンドひとつしかやっちゃいけない、というのもストレスだった?


DURAN:そう、「なんでバンドに入ったら、そのバンドのことしかできないんだ?」というのは疑問だったですね、当時。

─でも、デビューして当分は、活動のアウトプットはひとつ、というのは──。


DURAN:普通ですよね。でも、僕の場合はダメでしたね。「ファンクをやるならこいつとやりたいな」とか、「ロックだったらこいつとやりたい」とか、「歌ものだったらこのシンガーとやりたい」とか...いいミュージシャンがまわりにいっぱいいたからこそ、そうなっていった、っていう感じもあるんですけどね。友達が少なかったら、こうなってないと思います(笑)。日本に帰って来てから、MIっていう学校にも行ってたんですよ(ミュージシャン育成の専門学校)。ギタリストの友達よりも、ドラマーとかベーシストの友達の方が多くて。俺、先輩後輩関係なく、生徒全員とセッションしたので。とにかく演奏したくて。

─サポートの仕事を始めたのは?


DURAN:最初のバンドの時、LDHにいたので。EXILEのサポートです。近くにいるからやってみろ、みたいな。それが最初で、バンドを脱退してからは稲葉(浩志)さんかな。

─下北沢のライブハウスにご本人が観に来たそうで。


DURAN:はい。稲葉さんの事務所のバンドと対バンした時に、その社長がすごい気に入ってくれて。「うちに来なよ」みたいな感じになったんですけど、僕がもうバンドを脱けていたので。で、自分のバンドを始めたり、他のバンドに入ったり、いろいろやってる時に、その社長が稲葉さんをライブハウスに連れて来たんですよね。そういう感じで増えていったかな。

─サポートを、やるやらないの線引きは?


DURAN:僕の中でルールを作ってあって、当初から。たとえば「ストラトしか使いません」とか。あとは、どういう感じのライブをするのかな、というのは、雇われる前に観ますね。音源どおりの音で、オーディオのようなライブをやりたい人だったら、僕はちょっと違うかな、っていう。ひとりのギタリスト、アーティストとして、そこにいられる場所だったら行きます、っていう。やっと今、そうやって来てよかったな、と思います。いわゆる何でも屋じゃない、という感覚を周囲が持ってくれたから。最初はつらい時期もありましたけどね、そんなこと言ってると、仕事は来ないので。相当ムカつかれたこともあるし。

─それは、最初のバンドの時の反省もあった?同じ失敗をしてはいかん!という。


DURAN:ああ、すごくありました。やっぱり、「こいつら、カネ渡せばなんでも弾くんだろうな」っていう感覚の人もいるんですよ。だからもう、僕はこの機材しか使わないし、このスタイルでしか弾かない、っていう。カネなくて大変でしたけど、アーティストになりたかったので。そのためには、これぐらいやんないとダメなんだろうな、という。

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25曲も入っててよくわからん、みたいな感覚は大事にしたい

─という感じで活動していたのが、コロナ禍で誰にも会えない、音も出せない、「俺なんで生きてるんだっけ?」となってから、立ち直るまでは?


DURAN:やっぱり自分から仕掛けないと。俺が曲を作って、好きなミュージシャンを呼んでレコーディングに入れば、みんなと会えるな、音を出せるな、と思って。

─で、曲の形ではないものまで含めると、25曲というすごいボリュームじゃないですか。


DURAN:わざとですね。今って、アルバムでも曲数が少ないのが多いっていうか。

─ミニアルバムが増えましたよね、サブスクが普及してから。


DURAN:俺、全然違うことをしたいなと思って。変な人、減っちゃったので。俺は普通じゃない人を見て育ったので、たとえばX (JAPAN)のhideさんとか。小学生の時に...あれ『Mステ』かな、hideさんが出演した時に、女の人が全裸に近い格好で金網越しにパフォーマンスしててすごい世界だなと思って。今ってコンプライアンスとかもあるし、いろんなものが「普通がいい」っていう感じにどんどんなっていくな、って思っていて。ぶっとんだことをしてる人が、もうちょっといてもいいのかな、っていう。だから、25曲も入っててよくわからん、みたいな感覚は大事にしたいなと思っていて。25曲入ってたら、ちょっとワクワクしません(笑)?俺がロック少年だった頃、ワクワクするような内容ってなんだったろうなあ?って思ったら、やたらトラックが多いっていうのもあったな、そのワクワクはほしいな、という。



─2018年のソロの最初のアルバムを聴き直すと──。


DURAN:全然違いますよね。前のやつは、バンドをやめてひとりになって、一回全部ひとりで作ってみたい、っていう。僕、親父がベーシストだったので、クラシック・ロックはもちろん、ブラック・ミュージックとかも聴いていて。プリンスとか教えてくれたのも親父だし。そっちのルーツのものとかも入れて、一回まとめようかなと。それで作ったのがファーストですね。で、この2作目は、バンドに戻った感じですね。

─あと、1作目は取捨選択して残したものをちゃんとパッケージした感じだけど、今作は逆というか。


DURAN:ああ、やっぱり、コロナになって、ほんとにどうなるかわかんない状況で...自分が死んだ後、葬式で流してほしいアルバムってこれだ、って言いたくて。そういうのを作っておかなきゃいかん、自分が得意なことで、自分にしかできないことをちゃんと残していきたい、っていうのが、強くなったんですよね。

─で、楽しく作れました?


DURAN:どうなんだろうな? 楽しかったのかな? ...楽しかったのは楽しかったけど、もうちょっと違う感覚があったなあ...あ、懐かしい、っていう感覚の方がでかかったです。フィリピンにいた時、友達とガレージで、カセットテープ一発で録音していて。それを思い出すような感じ。今回、一発録りがほとんどだから。一緒にスタジオに入って、曲の土台を聴かせて、ドラムとかベースラインとか、「これどおりじゃなくていいよ、好きに弾いてみてよ」って。それが懐かしいし、おもしろいな、と。カセットテープの頃って、録ったあとでAメロをこう動かしたいと思っても、動かせないじゃないですか。今回も、それをできない感じで録ったので。ドラムもマイク3本で、ギターアンプもベースアンプも同じ部屋に置いて、あとでエディットできないように。それが楽しかったですね。ミュージシャンって、やっぱりライブでパワーが出るから。僕はまだそういうのを信じてるんですけどね。ライブでそいつの本性が表れるというか。レコーディングでは、あとからいくらでも、どうにでもなる、でも逆に俺は、そういうことしかできないミュージシャンを集めてやろうと思って。この一発でしかこいつの表現はできない、みたいな。

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「この人、生きてたな」っていう感じのものを、全部残したくて

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─で、これを作ったことによって、「なんで生きてるんだっけ? 俺」というのは解消されました?


DURAN:されましたね。これで、何かあって死んでも、もう悔いはないかな、っていう...まだ作りたい音楽はあるけど、できた時は、そういう感覚でしたね。

─それは感じました。「死んでも悔いはない」とまでは言わないけど、今できることは全部入れたい、やり残したくない、だから短いインストもしゃべっている音声も曲として入れた、というか。


DURAN:そう、全部入れて。「この人、生きてたな」っていう感じのものを、全部残したくて。その時思っていたものは全部詰め込んじゃおうと。歌詞をメロディに乗っけて歌うだけが音楽じゃないから。ちょっと思ってることを表現するのに「これ、語りの方がいいな」っていう、そういうのも入れちゃったりして。俺の中では、今のこの会話も、トラックにしてもおもしろいですけどね。この会話を録音して、アコギを足してもおもしろい、とか思うくらいなので。実際にそういう曲も入ってるし。

─と考えると、今、少数派ではあるのかもしれないですね。


DURAN:そうですね。

─10代の頃に影響を受けた音楽も、その年齢(36歳)で、LED ZEPPELINやJimi Hendrixというのも──。


DURAN:ああ、あのへんが正義だと思っていたので。でも、当時は、学校とかで俺と同じ音楽を聴いている奴はいなかったけど、最近の人たちはすげえいろいろ聴いてるんじゃないですかね。それは思いますよ。だから、おもしろくなっている時代なんじゃないですかね。ギタリストでもすげえうまい人、いっぱいいるし。YouTubeですぐ教えてくれるじゃないですか、「このフレーズはこう弾く」とか。ただ、あれがあるから、技術はすごい上がってるんですけど、それまでの過程がなくなっちゃったんですよね。答えがすぐ手に入っちゃうから、過程がないのは心配というか。俺とかだと、いろんなことを試して、いろいろ練習して、やっとこういう音を出せるようになった。でも、今は答えがどこでも手に入るから。それが変わってきたかな、ロック・ミュージシャンも。

─そうか、過程で得たものがない。


DURAN:そうなんですよ。だから、パワーが減ってるところもあったりするんですよ。人間力というか。答えがわからないと、みんな探るじゃないですか。そこで間違えた方向に行ったり、そこから枝分かれしたりすることで、自分のオリジナルなものになっていく、と思うんだけど、今は「こうすればいいんだ」っていう答えがわかるから、最短距離でそこへ行って、みんな同じようなものになる。まあ、SNSとかもそうですもんね。「こういう時はこういう受け答えをしておけばいいんだ」というのがすぐわかる。それが最初に言った「普通が多い」というのにつながるんですけど。でも、ここまで来たら、そろそろ変な人、出てきそうですけどね。SNSに収まりきらない人が。それこそジミヘンとか生きてたら、SNSとか絶対やってないと思うし。結局、やっぱり今って、バズるためにやっていることの方が多くなってきちゃったじゃないですか、世の中が。バズるイコール、みんなとおんなじことをしなきゃいけなくなっちゃうから。それよりかは、好きなことをやっていたい、という感じですかね。

─確かに、すごく型にはまっていない音楽ですね、このアルバム。


DURAN:ですよね。でも、そういう人でも生きやすい時代には、なってきてるんじゃないですか? いろんなシーンが成立するようになってきているし。それはサブスクのおかげかもしんないですけど。今まで、あんまり注目されていなかったようなジャンルとか、アーティストとかに光が当たるようになったのは。僕がこうして、音源をFRIENDSHIP.にお願いして動いてもらっているのも...だってこんな、難しい音楽をねえ(笑)? だから、悪いことばかりじゃないというか。俺がデビューした当時なんて、とにかく若い子じゃなきゃダメとか、メジャーに行けなきゃ音楽をやっていけないとか、まだありましたから。それで自殺した友達もいて。今はそれに比べたら、やり方はいっぱいあるので。いい時代なんだろうなと思います。

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文:兵庫慎司
撮影:森リョータ

RELEASE INFORMATION
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DURAN「Kaleido Garden」
2021年11月3日(水)
Format: Digital
Label:FRIENDSHIP.

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LIVE INFORMATION

DURAN ʼKALEIDO GARDEN TOUR 2021-2022ʼ
11/21(日)千葉・千葉LOOK
11/26(金)埼玉・西川口Hearts
11/28(日)愛知・名古屋SlowBlues
11/29(月)京都・京都磔磔
11/30(火)愛知・名古屋CLUB UPSET
12/8(水)茨城・水戸ライトハウス
12/13(月)山梨・甲府KAZOO HALL
12/16(木)福岡・Queblick
12/17(金)大分・club SPOT
12/18(土)福岡・小倉FUSE
12/20(月)兵庫・太陽と虎
12/21(火)兵庫・CLINK
12/22(水)大阪・ESAKA MUSE

<2022年>
1/22(土)埼玉・HEAVENʼS ROCK熊谷
1/23(土)群馬・高崎club FLEEZ
1/28(金)栃木・HEAVENʼS ROCK宇都宮
1/29(土)宮城・仙台MACANA
2/5(土)長野・上田Radius
2/6(日)新潟・LIVE HALL GOLDEN PIGS RED STAGE
2/15(火)京都・KYOTO MUSE
2/16(水)大阪・ESAKA MUSE
2/17(木)兵庫・神戸VARIT

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PROFILE

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DURAN
シンガーソングライター、ギタリスト。
日本生まれフィリピン育ち。スパニッシュ系フィリピン人の父と、日本人の母の間に生まれる。
3歳でピアノを始め、14歳でベーシストの父親の影響でギターを始める。
ROOTLESS、Made in Asia、a flood of circleなど数々のバンドで活躍する中、稲葉浩志(B'z)、清春、スガシカオ、小袋成彬、藤井風やEXILE ATSUSHIが率いるバンドRED DIAMOND DOGSにギタリストとしても参加。
2018年にソロ・デビュー・アルバムをリリースし、本格的なソロ活動スタート。
2021年11月3日に2枚目となるアルバム「Kaleido Garden」をリリース。
現代ロック・シーンの奇才、日本の偉大なギタリストの一人と称され、そのエモーショナルで超越したギタープレイと、美しくソウルフルな歌声で国内問わず注目されるアーティスト。

LINK
オフィシャルサイト
@THEDURANNAITO
@duranstagram
FRIENDSHIP.

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