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2024.08.21

九州最大級のフリーライブイベント「MUSIC CITY TENJIN」運営委員会 委員長の松尾伸也にインタビュー

九州最大級のフリーライブイベント「MUSIC CITY TENJIN」運営委員会 委員長の松尾伸也にインタビュー

九州最大級のフリーライブイベント「MUSIC CITY TENJIN(以下、MCT)」が5年ぶりに福岡・天神で9月28日・29日に開催される。天神の街の活性化と福岡の音楽的環境の向上を目指して2002年にスタートしたMCTは、毎年9月の最終週にのべ10万人以上を動員する大型イベントに成長。コロナ禍の影響で2020年はオンラインで開催され、その後の3年間はコロナに加え、天神エリアの大規模な再開発(通称「天神ビッグバン」)との兼ね合いもあって開催が見送られてきたが、満を持しての復活が決定し、今年は記念すべき20回目の開催となる。そこでイベントの発起人の一人であり、MCT運営委員会 委員長の松尾伸也氏にインタビューを行い、MCTと福岡の音楽シーンの今までとこれからについて話を聞いた。

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天神は九州一の繁華街なので、その街のど真ん中で、しかも市役所の前で、隣は新聞社と警察署で、「こんなとこでこんな音出していいんですか?」って。

─まずはMCTが2002年にスタートした経緯を教えてください。


松尾:私は西鉄グループ(西日本鉄道株式会社)に所属してまして、今また天神ビッグバンで街の機能が塗り替えられようとしてる時期なんですけど、当時も西鉄のソラリア計画というのがあって、駅舎自体を大きく建て替えて、警固公園の横にソラリアプラザというビルができたんです。昔は福岡スポーツセンターという、プロレスもやるしコンサートもやる、みたいな場所だったんですけど、そこを建て替えて、今はソラリアプラザという商業施設とホテルになっていますが、そのソラリア計画が大体完成したぐらいのタイミングだったんです。そのときに「天神の街をもっと盛り上げていかないと」っていう話があって、社内に天神委員会というプロジェクトができて、「天神を盛り上げるアイデアを考えろ」というお題が出て。そのときに、自分がもともと音楽好きだったのもあり、MCTのアイデアを思いついたんです。

─松尾さんご自身も音楽をやられてたりしたんですか?


松尾:ちょこっとやったりはしたんですけど、そっちの才能は多分ないなと思って、もっぱらリスナーでした。ただこの街は昔から芸能人とかミュージシャンとか俳優さんをたくさん輩出してるし、ゴールデンウィークには博多どんたくで日本中から観光客が来て、街中にステージができて、いろんなところに祝祭の空間ができる土壌があるから、芸事に寛大な街なんじゃないかっていうのは思っていて。なので、普段買い物とか通勤で利用している街がある日突然フェスの会場になったらどうなるんだろうということを妄想して、企画書を作って、会議に出したら面白いという話になり、FMラジオ局などのメディアも巻き込んで2002年に始めたっていう、そういうきっかけでした。

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─1回目はNUMBER GIRLがイベント直前に解散を発表して、会場はすごいことになったそうですね。


松尾:ホントに数日前まで解散することを知らなかったんです。突然後にマネージャーになる森さんから電話があって、「解散が決まったんです」と。その発表があってから、問い合わせがすごかったんですよ。そもそも第1回目なので、こちらもどれぐらいの人が集まるのかわからないし、どれくらいの音量なら出せるのかもわからないし、どこからクレームが来る可能性があるかもわからない。本当に知らない者の強みみたいなところでやったもので......実際あとで大変なことになったんですけど。
今見てもよくこんなことやれたなって感じで、公園の地面が見えないんですよね。「立錐の余地がない」ってよく言いますけど、まさにそんな状態でした。普通にやっても人は来たんでしょうけど、解散の発表があって、「福岡でのライブはこれが最後じゃないか?」みたいな話もあって、とにかく全国から問い合わせがあったんです。「公園にはどこから入ればいいですか?」「いや、特に入り口はないのでどこからでも入れます」みたいな(笑)。そういう感じで、ひっきりなしにかかってくる電話に応対する毎日でしたね。

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─クレームがかなり大変だったそうですね。


松尾:とにかく全然知らないがゆえのそういう過ちは今考えても冷や汗が出るというか、たいへん申し訳なかったなと思います。

─1回目にはThe Clashのジョー・ストラマーも出ていて、JUDEとthee michelle gun elephantと共演したという、これも相当に貴重ですよね。


松尾:ジョー・ストラマーはMCTの後に残念ながら亡くなったんですけど、そのとき共演を熱望していたTHE MODSとは共演できなかったんですよ。THE MODSの森山達也さんも福岡の人なんですけど、スケジュールが合わなくて。でもそれに関しては後日談があって、その後に作られたジョー・ストラマーの伝記映画(「ロンドン・コーリング ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー」)の上映会を何年か後のMCTでやったんです。その映画にMCTも含めた日本ツアーの風景が出てきて、笹栗町の南蔵院というお寺にある涅槃像をジョーが観光している様子も出てくるんですが。で、その上映会をやろうという話が出たときに、森山さんが「ロックンローラーはトークイベントなんか出らんちゃけど、ジョーのためだったら」って、ゲストで出てくれて、貴重な思い出話をしてくれました。

─最初は本当に手探りだったと思うんですけど、でもそれが20年以上続いて、エリアもどんどん広がって、今では他にない特別なイベントになっているわけですよね。


松尾:東京とかから来てもらったミュージシャンには「ホントに街中でやってるんですね」って、よく驚かれますね。天神は九州一の繁華街なので、その街のど真ん中で、しかも市役所の前で、隣は新聞社と警察署で、「こんなとこでこんな音出していいんですか?」って。シーナ&ロケッツのシーナさんが亡くなる直前、福岡での最後のライブがMCTで、最後にそれをMCで言われたんですよ。「こんな街はどこにもない。みんな自慢してよ」って。その後半年も経たずに残念ながら亡くなられたんですけど、それは未だに耳に残ってます。

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─市役所前がメインステージというのはどうやって決まったのでしょうか?


松尾:ちょうどその頃に市役所前の広場ができたんですよ。そこがイベントで使えるという話になって、多分警固公園ではもうやれないっていうのもあったので(笑)、じゃあそこをメインステージにしましょうって。

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─ちょっとフジロックっぽいですよね。初年度に台風が来ちゃって、でもそれがあったから今がある、みたいな。


松尾:フジロックもとりあえず1回やってみて、初めてわかったことが多かったと思うんですけど、逆に言うとそこから先が、定着させるまでがもっと大変だったかもしれないですよね。MCTもそうで、特に最初の頃はイベンターさんにおんぶに抱っこのところがすごくあったんですけど、10回やってギアを大きくシフトチェンジしたんです。最初は実行委員会組織が産官学民みたいな感じで、すごく大きな組織だったんですけど、自分たちの身の回りでやれるように、ちょっとサイズを縮めたんです。大きな組織でやると、予算にしてもそこで承認を得て初めて使えるみたいな感じで、それだとどうしてもスピード感が鈍ってくるというか、フレキシブルな対応ができない。なので、自分たちでどんどん決めていけるようにしたのが10回目終わってから、11回目からでしたね。

─2014年にスタートした福岡ミュージックマンス(9月に福岡で開催されるSunset Live、NAKASU JAZZ、Sing! HAKATA、BAYSIDE FESTIVAL、MUSIC CITY TENJINが深町健二郎氏のプロデュースで集結。「音楽都市・福岡」として全国・世界に向けた情報発信をすることで、広域集客などによるさらなる街の賑わい創出と音楽産業の振興を目指した取り組み)の成り立ちについても教えていただけますか?





松尾:MCTは天神以外からも反響があって、徐々に拡張していって、キャナルシティ(天神駅と博多駅の中間に位置する複合商業施設)や博多駅でもやるようになったんですけど、九州新幹線が開通して博多駅が新しくなるときに、「MUSIC CITY FUKUOKAに名前を変えよう」みたいな話があったんですよ。ただ拡張することはイベントとしてありだと僕も思ってはいたんですけど、名前を変えるのはどうなんだろう?っていう意見もあって。で、その頃にはNAKASU JAZZやBAYSIDE FESTIVALも始まっていて、「ちょっと待てよ、みんな9月にやってるな」と思ったんです。Sunset LiveはMCTよりだいぶ前に始まっていて、それも9月の第1週にやってるし、だったら「福岡は9月に毎週末何かしら音楽の祭典をやってるよ」っていうのを外に向けて発信したらどうかな?と思いついたんです。それで昔から知ってたSunset Liveの共同プロデューサーの深町健二郎さんに相談しに行ったら、面白いって話になって、一緒に各フェスに口説きに行ったら次々に協力してもらえて。で、JR九州さんもゴスペルのイベントを独自に始められて、福岡市も協力してくれて「みんなでやりましょう!」となったんです。

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─MCTには福岡の音楽シーンを盛り上げようと、FM福岡、CROSS FM、LOVE FMのFMラジオ3局が横並びで関わっていたり、変にライバル関係にならないでみんなで作り上げていこうとするのも福岡ならではなのかなと。


松尾:そうですね。同じような例で言うと、福岡パルコができたときに、あの場所はもともと岩田屋っていう百貨店だったんですけど、岩田屋さんが大名側に移転して、そこにパルコができて、そのときも天神の商業施設がパルコを一体となって迎え入れたんです。都心界っていう組織があるんですけど、「ようこそパルコさん。連携して、みんなで天神を盛り上げましょう」みたいな懸垂幕を出したり。みんなで盛り上げていこうみたいなのは、他の地域に比べてよりあるのかなとは思いますね。

─街自体も含めた福岡の音楽シーンの魅力について、松尾さんはどのようにお考えですか?


松尾:本当によくミュージシャンが出てくるんですけど、多分一つは身近にそういう人がいるっていうか、「隣のクラスの誰々さんが今度デビューするらしい」みたいな、そのくらいの距離感があると思うんですよ。

─憧れの対象が画面の向こう側ではなく、すぐ身近にいると。


松尾:「あのおじさん昔レコード出したことあるらしいよ」みたいな、そういう話がわりと身近にあるから、そこまで夢物語じゃないんですよね。福岡出身のミュージシャンに話を聞くと、「小さい頃から音楽をやってて、学生のときMCTに行ってました」みたいなことを言う人も多いんです。2019年に出演したWONKの江﨑文武さんは、小学校6年生のときに久石譲のカバーで初めてMCTに出て、中学生のときは同級生と組んだジャズトリオでも出てくれていて。そうやってMCTに思い入れを持ってくれてるのはすごく嬉しいです。あとはよく「のぼせもん」って言いますけど、舞台に立ちたがりのDNAはあると思いますね。それはどんたくで培ったものというか、「お客さんで見てた人がある日向こう側に回ってステージに立ってる」みたいな、そういう気質はDNAにあるんじゃないかと思います。

ニューオーリンズやニューヨークのように、世界から「福岡は音楽都市だね」と言ってもらえるような発信をしていきたい

─今年5年ぶりにMCTがリアルで開催されることになった経緯を教えてください。


松尾:2020年はオンラインで開催して、それはそれですごく反響もあったし、満足感もあったんですけど、やっぱり街中でやる感じとはまた別もので。ただその次の年はコロナ禍もひどくなってたし、あと天神の街が変わりつつあって、会場はどこも工事中だし、これはちょっと静観しようと。去年ぐらいから他のフェスはやり始めましたけど、MCTは去年も開催していないので、「もうやめちゃったんだ」みたいにつぶやかれて、当然そうなるだろうなとは思ったんですけど、それでもちょっと静観してたんです。

─コロナだけじゃなくて、街の再開発の状況も含めて、トータルで様子を見ていたと。


松尾:望まれてるのであれば、いずれもう1回復活するでしょうし、慌ててやらなくてもいいよねって、みんなの反応を伺っていたところもあって。そうしたら結構「やらないんですか?」って、いろんな人から言われたので、「やってもいいのかな?」と思ってた矢先に、「節目なので20回目をやりましょう!」と話が出て。21回目があるかどうかはまだわからないですけど、とりあえず20回目をやりましょうという話になったのが実際のところですね。

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─でもやっぱり開催の発表をしたときには反響が大きかったんじゃないですか。


松尾:反響は思った以上にすごかったです。ただ今までと同じようなやり方をしてもしょうがないというか、もちろんいいところは残すんですけど、天神の街自体が変わってるし、やっぱり未来型のものにしていかないといけない。音楽業界自体も大きく変わってるし、そういうものにしていかないと生き残れないと思うので、これまでとはちょっと変えたものにしていきたいねっていう話は今みんなでしています。

─今も計画中の部分はたくさんあるかと思いますが、天神ビッグバンの影響も加味しつつ、今年のMCTにはどんな変化がありそうでしょうか?


松尾:まず以前使わせてもらっていた会場がいくつかなくなっていて、イムズホールやビブレホールももうないですし、と言うよりイムズもビブレもビル自体がなくなって、天神コアももうないので、物理的にスペースがない。そこはもちろん変わっていくし、逆に今後は新しいスペースができていくと思うので、そういう都市空間の新しい活用方法は考えていかないと。1回目にかなりクレームをいただいて、そこから我々のチームのレベルはだいぶ上がったと思うんです。例えば音響さんもどっち側にスピーカーを向けたら近隣にご迷惑をかけないかとか、当日の天候も加味して考えたり、ノウハウはたまっていくものなので。ただビル自体がなくなって、今年はまた1から作っていかないといけない。サイズや機能に応じた街中の音楽フェスのあり方はまた模索が始まるというか、適合していかないと多分やれないので。

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─再開発で街が新しくなることはもちろんいい部分もありつつ、一方では文化的な側面が失われてしまう危険性も孕んでいるように思うのですが、街の発展と文化の継承についてはどうお考えでしょうか?


松尾:すごく重要なポイントだと思います。新しいものができるのはすごくいいことで、それきっかけで人を呼ぶことにもなるし、オフィスが増えると働く人も増えるので、街がビジネスでまた盛り上がることにもなる。ただうわものだけ作ったらそれで完成かと言ったらそうではなくて、ハードの次はやっぱりソフトなので、そういう意味で言うと、音楽も含めたカルチャーは重要なソフトの一つだと思ってるんですよね。ハードだけ作ればいいわけではなく、やっぱり中身が大切で、それも継続的にやれるものが重要なんじゃないかと思っているので、そこでMCTが一つのきっかけになれればいいなと思ってるんです。新しいものを作るためには投資も要るので、回収しないといけないっていうのはあるんですけど、そこで重要なのは人を呼び込むことができるようなソフトだと思うので、その一翼をMCTが担えたらいいなと思ってますね。

─新しくなっていく街に音楽というソフトで血を通わせていく。


松尾:天神は新しく文化拠点施設の建設も予定されていて、福岡市民会館がリニューアルされるんですよ。これは天神のちょっと北側の方ですけど、市民会館が老朽化していて、そこを新しく福岡市民ホールとして、来年の春に完成予定なので、いずれはそういうところとも連携していきたいと思ってます。

─この5年で福岡から新しく出てきたアーティストもたくさんいて、2020年ごろには福岡の若手たちが特に注目を集める時期もありましたが、現在進行形の福岡の音楽シーンについてはどのように感じていますか?


松尾:正直今は僕もそんなに頻繁にライブハウスに通ってるわけではないので、福岡の音楽シーンを語れと言われると全然役不足で、話を聞くにふさわしい人が他にいらっしゃるとは思うんですけど、僕が見てる限りで言うと、やっぱりちょっと前にまた新しい人たちが出始めましたよね。yonawoとかDeep Sea Diving Clubとか、シティポップの文脈の人たちが出てきましたけど、ここに来てまたいい意味でいろんなジャンルのバンドが出始めてると思っていて。僕はMCTとは別で福岡音楽都市協議会という組織に入っているんですけど、そのメンバーの中にもいろいろな人がいて、例えば、7インチのレーベルを始める若者がいて、MuchaMuchaMっていうタイファンクの福岡のバンドをフィーチャーしたり、他にもaldo van eyckというNYのノーウェイヴ系のバンドが出てきたり、そうやっていろんなジャンルが出始めてるのはいい傾向だと思います。

─では最後に改めて、MCTと福岡の音楽シーンの未来について、松尾さんはどんな展望をお持ちでしょうか?


松尾:先ほどもちょっと触れましたけど、やっぱりソフトが大事になってくると思うので、ニューオーリンズやニューヨークのように、世界から「福岡は音楽都市だね」と言ってもらえるような発信をしていきたいですし、それを象徴するイベントとして、MCTがその一翼を担えたら一番いいなと思っています。そのためには次の世代にどうバトンタッチするかも一つの課題ではあって、今は協議会とかに若い人を引き摺り込んでいろいろやっています(笑)。僕らが怒られないと気づかなかったことを、今なら最初から教えてあげられますしね。まあでも、1回転んでケガをするのも大事だとは思いますよ。もう走れないぐらいのケガはダメですけど、ちょっと膝小僧すりむくぐらいのケガなら、バンドエイドを貼れば治るくらいのケガなら全然いいと思うんです。

─MCTも初年度のケガがあったからこそ今があるんでしょうしね。


松尾:あれはだいぶ大ケガでしたけどね(笑)。ただ、それでもMCTを続けてこれたということは、天神が音楽に寛容な街であることの証明にもなっていると思います。今回5年ぶりに戻ってこれたのもそうで、「またやらないの?」って言ってもらえたというのは、この街が音楽を、そしてMCTを受け入れてくれてる証拠なんだと思います。

取材・文:金子厚武
撮影:福岡ミュージックマンス主催者会事務局、kuglo2(福岡近影のみ)
取材協力:We Love天神協議会

PROFILE

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松尾伸也
松尾伸也(まつおしんや)
(株)西鉄エージェンシー 顧問 MUSIC CITY TENJIN運営委員会 委員長 福岡音楽都市協議会企画委員
入社以来、西鉄のソラリア計画や天神サイトの立上げなど、主にまちづくりやメディア開発などの業務に関わる。まちの活性化と音楽的環境の向上を目指して、天神の公共空間などをステージに2002年にスタートしたMUSIC CITY TENJINは、今秋で20周年を迎える。

RADIO INFORMATION

FM 福岡「Curated Hour ~FRIENDSHIP. RADIO」

fmgfukuoka_curatedhour_logo_ok_2204.jpg FRIENDSHIP.キュレーター達が厳選した音楽をラジオで紹介するプログラム「Curated Hour ~FRIENDSHIP. RADIO」。キュレーターの金子厚武をコメンテーターに迎え、奥宮みさとと共にFRIENDSHIP.がリリースをする最新の音楽を紹介。放送時間:毎週土曜日 26:00~26:55 放送局:FM福岡(radikoで全国で聴取可能)



NEW Releases FRIENDSHIP.
FM福岡で毎週水曜日の26:00~26:55まで放送中のラジオプログラム「Curated Hour〜FRIENDSHIP. RADIO」のアフタートーク、番組の中で紹介しきれなかったタイトルを紹介。

DJの奥宮みさと、音楽ライターの金子厚武、そしてFRIENDSHIP.のキュレーターの平大助の3人でデジタル音楽ディストリビューション・プロモーション・サービスのFRIENDSHIP.から配信される新譜を中心に紹介するプログラム。



番組MC

kanekoatsutake_20210528.jpg金子厚武
1979年生まれ。埼玉県熊谷市出身。インディーズでのバンド活動、音楽出版社への勤務を経て、現在はフリーランスのライター。音楽を中心に、インタヴューやライティングを手がける。主な執筆媒体は『CINRA』『Real Sound』『ナタリー』『Rolling Stone Japan』『MUSICA』『ミュージック・マガジン』など。『ポストロック・ディスク・ガイド』(シンコーミュージック)監修。デジタル配信サービス「FRIENDSHIP.」キュレーター。
@a2take / @a2take3
1697255226457.jpg奥宮みさと
ラジオパーソナリティ/ナレーター/MC/ヨガインストラクター/酵素風呂サロンオーナー。 TOKYO FM、ZIP-FM、InterFM、FM 福岡など、ラジオパーソナリティ歴12年目。 安室奈美恵さんをはじめとするお茶の間ミュージシャンからコアなインディーズミュージシャンまで無数のインタビューを経験。コロナ前は年間200件程ライブや全国のフェスに行く現場派。野外フェスのヨガプログラムなども担当。倍音と1/fゆらぎの声を持ち、耳馴染みの良いベルベットボイスが特徴。
@_M1110_ / @11misato10

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