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2022.08.04
【読むラジオ】MC:森山公稀(odol) 写真家・濱田英明との対談②〈定点動画の魅力と新たな視点〉「Room H」 -2022.08.03-
FM福岡で毎週水曜日 26:00~26:55にオンエアしている音楽番組「Room "H"」。九州にゆかりのある3組のバンド、ユアネスの黒川侑司、松本 大、odolの森山公稀が週替わりでMCを務め、彼らが紹介したい音楽をお届けし、またここだけでしか聴けない演奏も発信していく。
今週のMCは、odolの森山公稀が担当。SENSAでは、オンエア内容を一部レポート!(聴き逃した方やもう一度聴きたい方は、radiko タイムフリーをご利用下さい。)
(森山):今、この番組を収録しているのは7月末なので先日発表されたばかりなのですが、今年3月に行った"individuals 2022"を秋にも開催できる!ということで、前回と同じく2日間での開催となります。前回はセットリストが、前半と後半で入れ替わって、2日間お送りしたんですけども、今回はなんと1日目と2日目で奏者が丸々変わりまして、同じ作品ながら全く違った表情を見せることができるんじゃないかと僕たちもとても期待しております。もちろん内容も3月からアップデートしていますので、ぜひ楽しみにしていてください。
そして、秋の"individuals"に向けてグッズもかなり今回頑張って作っております。実は企画からデザインまで、メンバーがセルフで行っているものもあったりします。もちろん事務所の皆さんにも手伝ってもらいながらやっているんですけども、例えば製造していただく業者も、もともとミゾベのお友達である信頼できる方に協力してもらったりしてこだわりながら作っています。メンバー3人で毎日毎日話し合いながら、本当に欲しいなと思うものを作っておりますので、そちらもぜひ楽しみにして待っていてください。
森山:それでは写真家の濱田英明さんをお迎えして、定点動画のお話を伺っていきたいと思います。濱田さんのTwitterでツイートされていた中で、「定点動画がきているのではないか?」というご指摘がありましたね。
濱田: (笑)。
森山:それはInstagramやTikTokといったカジュアルな側面も含めて、定点動画というのがきているのではないかと。でも濱田さんは前からそういうことやっていたぞと(笑)。
濱田:それが言いたいだけ(笑)。
森山:いやいや(笑)。まさに第一人者でもあるのですが。
その前提の上で、一度写真や録音の話に戻りたいのですが、写真と音の記録というのはこれまでお話ししてきたようにとても近い行為だと言いつつも、違いもあるじゃないですか?
僕が感じている違いの中でも大きな要素は、恣意的な選択が表に出やすいか出にくいのかという部分かと思っています。写真は、撮影者の恣意的な選択が記録物に表れやすい記録方法。音はそれに比較すると表れづらいと感じています。
それはそもそもの人間の身体性として、目が前にしかついていないことと、耳が閉じられないことに関連しているのかとも思っています。目は何かを見るときに選ぶしかできないですよね。でも耳は積極的に選べないというか、聞かないことができないと言いますか。
濱田:人間の身体性というのもあるけど、カメラのフォーマットがそうさせているんですよ。四角にしか写せないという。そのフレームの外にあるものを視覚的には写せないじゃないですか?例えばフィールドレコーディングだったら、単一指向性のマイクだとしてもそれ以外の音も少しは聞こえますよね。その指向している部分以外のものもハプニング的に入っているという意味では、写真と音の記録として違う部分なのではないかなと思います。
森山:そうですよね。もちろん恣意的な選択はどちらにも存在するのですが、それが出やすいか出づらいかという差があるなというところが、違う部分として感じられています。だからこそ写真は個人の主観での表現という側面が広まっていて、多くの人に馴染みのあるものなのかなと思うのですが、録音は客観的な記録のような側面が前に出ていて、例えば「自分の表現としてのフィールドレコーディング」みたいな形ではなかなか広くは受け入れられづらいんだろうなと、若干悲しい想いもあるのですが(笑)。
濱田:なるほど。
森山:そんな中で、濱田さんのやられてきた定点動画というのは、間にあるものなのかなと感じています。フレームを決めて、でもその後そこで何が起こるか、何が飛び込んでくるかは制御できない。そこは恣意的な選択ができないというバランスがあって。フレーミングというか、画角を変え続けることが/選び続けることができない定点という手法で、そういった恣意的な要素が減っていると感じられると言いますか。
濱田:なるほど。
森山:すみません。めちゃくちゃ一方的に話してしまいました。
濱田:すごくおっしゃっていることはわかるし、僕がその定点動画に取り組んでいてやりたいことが、まさしく森山さんがおっしゃっていることなんですよね。写真でもあり、動画でもあるのですが、その中間というものを目指しています。でも掘り下げると、何かが起こって欲しいという恣意性はあるんですよ。ただそこで実際どういうことが起きるかというのが計算できないのですが、フレーミングを決めてあとは任せるという。
森山:起こるままにということですね。
濱田:そうですね。というところに逆に面白さがあるというか、引っかかる部分が生まれるんだと思います。
森山:僕がマイクを置いて、「何か起こってくれ」と思っているのと同じですね。やはり何かが起こった方が録れた感じがするんですよね。
濱田:その期待の感度というのも上げていけると思うんですよ。「たぶんここで何か起きるな」とか(笑)。ただそれは自分の中で予測しすぎるとかではなくて、「ここで待っていたら何か起こるだろうな」という勘の精度を、やればやるほど上げていけるんだろうなと。たぶんそれは一緒じゃないかな。
森山:たしかにそうですね。ポイントみたいなものが見えやすくなるということですね。
森山:定点映像を始められたのがかなり前だと思うのですが、例えば濱田さんのやられているinstagramの「hamadafilms」のアカウントですと、2020年末に始まっています。
濱田:そうなんですね(笑)。そもそもなんでそういう撮り方をしているのかというのと、僕が最近そういう話をツイートしているというのは、実は繋がっていて、要するに定点動画というのは比較的簡単なんですよ。動画というと、いい感じのカメラワークをするなど、とにかく技術の問題でクリアしなくてはいけない部分というのはあるんですよね。でも定点動画って、三脚に置いているだけでほぼ写真的な行為というか。あとは動くのを待つだけというみたいな。だからすごく動画として参入しやすい1つの方法論だと思っています。もう1つ文脈としてあるのが、YouTubeでもそういう気持ちいい動画のジャンルがあるじゃないですか?
森山:焚き火とか撮り続けている動画とかですか?ASMR的なやつですよね。
濱田:それ!その文脈で僕の動画も語られることがあるんですよ。もちろんそんなつもりではなかったのですが、BGM的に/環境音楽的に動画を流したいみたいな、そういう文脈で捉えている人がいて、やっぱそういう文化がいま盛り上がっているというか。それは社会が疲れているから、またそういう話になるのですが(笑)。それとビジュアル表現する人がすごく増えたというのがくっついて、新規参入しやすくなっているんじゃないかと思っています。また余計にコロナ禍で例えば日本の風景とか、海外の人にとってより珍しく、憧れる存在になって、日本の電車が走っているだけとか、桜が散るだけというので、10万回以上再生されていたりして。そういう連鎖でみんな定点動画みたいなのをやり始めているのではと想像していて。
森山:なるほど。
濱田:それが僕の思っている新しい文脈です。でもその方法論自体はずっと前からありますし、なんだったら映画がまず始まったときに一番最初にやっているようなやり方なので、当たり前のことだと思うのですが、実はそういう見られ方の文脈が変わっているから、新しく見えるということを言っていて。そこに僕が取り組んでいたことがタイミング良くいまマッチし始めているなと感じています。もちろんそういう気持ちではやっていないのですが(笑)。
森山:(笑)。すごく良くわかります。濱田さんがおっしゃったように、定点で映像を撮るという技法自体は最もシンプルなものの一つとしてあるかと思います。では、そことの違いというか、例えば濱田さんが撮影されたものは、単に定点で撮影された映像というだけではないように感じています。それは受け取る側の文脈の違い、変化というところだけなのでしょうか?それを撮影する側にも違いや変化はあるのでしょうか。
濱田:特にSNSの場合だったら、そういう見られ方が浸透し始めていて、おそらく狙って作っている人もいると思うのですが、受け手側がまだはっきりと認識できていないと思います。「なんか気持ちいい動画がある」というくらいにしか感じていないというか。そのうちそれがはっきりとみんな気付き始めて、一気にやり始めるタイミングというのがあると思います。そうなるとみんな同じ感じになってしまって、「あれね」という感じになると思います。そもそも僕が写真でやっていることは、まだその言葉になっていないことを捉えていると。それはつまりこの世にないけど、新しい言葉になり得るという。それはビジュアル表現であるが故に、言葉を越えていろんな違う言語の人にも同じ気持ちを共有できる可能性があると思っているというところなんですよね。
森山:なるほど。それは写真か映像かというメディアが違うだけで、やっている側の濱田さん自身の取り組みとしては同じということですよね?
濱田:そうですね。フィールドレコーディングが言葉になり得るのかというのは、森山くんの話を聞いてからずっと考えていたのですが、それを提示すること、ある種の感情を提供することできると思うんですよ。その辺がどのくらいのレベルでできるかによって、結構変わるなと思っています。
森山:そこは実は、もう聴覚の負け!としか僕は感じられていなくて...。
濱田:そうなんですね。
森山:写真表現のように、映像表現のように、録音表現というのが同じレベルでできるのかというと、限界があるのではないかと、いま現在では思っています。
例えば、ある範囲の空間全体を収録したものを、ヘッドフォンつけて再生しながら歩き回れるみたいなことが簡単にできるようになったら、みたいなことを妄想してみたりはするのですが。
濱田:なるほど。
森山:でもいまのフィールドレコーディング的なものの延長線上で、そういうある種の言葉として世界を見つけるみたいなことができるのかと言われると、結構限界があるような気がするなという風に感じてしまっています。
濱田:そこはスイッチみたいなものだと思っていて、「こういうものですよ」と教えた途端に急に視界がひらけると思うんですよね。「写真というのはこういう捉え方ができるんですよ」と。音もそういう視点で聞いてみたら何か自分の中で広がるかもしれないというのは同じだと思います。ただやはりフォーマットというか、写真は共有しやすいですし、わかりやすいですよね。
森山:視覚的なものだからというところでしょうか。
濱田:写真が強いのは、一瞬をたった1枚で表現できるからなんですけど、動画も音もその分の時間がかかるじゃないですか?これは宿命だと思うんですよ。もちろん"パンっ"という動画や音であったら、一瞬で終わると思うのですが(笑)。それも正しいといえば正しいですが。
森山:少なくとも"パンっ"という音からは同じものは思い起こせないですね。
濱田:そうですよね。どうしても体験する側の向き合い方を、写真以上に拘束するものだと思うんですよ。基本的に同じだと思うのですが、写真の強い部分は一瞬でわかるという部分ですごく強いと思います。
森山:録音が言語になりづらい理由として思っているのは、中盤でお話しした恣意的な選択が出やすいかどうかというところです。僕が先ほど妄想で挙げた例でも、表現というより記録だと思うんですよ。その音空間を、受け取る時に歩き回って、何の音を聴きに行くか決めているじゃないですか?それに比べると写真というのは撮影の時に先に入っている選択が強いというか。撮影者という他者の選択というのを大いに受け取れるのが写真の一つの側面だと思います。言語というのはやはり他者とのコミュニケーションのためにあるものだと思うんですよね。だから人の選択を知りたい、その人の世界の見方、切り分け方を知りたいというところが、言葉の役割ですよね。そこが写真が言語的でありうる大きな特徴でもあるところかなと。録音と比較すると、より際立ちます。
濱田:そうですね。なんかカメラがそうさせるんですよね。
森山:機械としての性質がということですか?
濱田:カメラのフレームの中に写っているものしか撮れないという。実はそれ以外のものになるはずなのに、一見してそれしか見えないというところが見る人によって、そのまま受け取る人がいるし、そうではなくそれ以外のものも想像できる人もいるし、そこがカメラの不安定というか、面白いところであり、困ったところなんですよね。それですごいいろんな問題を引き起こすのが写真なので、去年もその話をしましたけど、実際に見えるものしか撮れないところに振り回されるんですよね。
森山:選ばなかった部分への想いということですね。フレームという明確な枠の存在が、受け手によっては逆に写ってない部分に想いを向けさせるという両面性があるんですね。
少し話が戻りますが、カメラがそういうものになっていることや、マイクが今あるようなものになっているのは、目や耳の機能、身体性にあるんじゃないかなと感じています。仮に人間が馬のように横側に目があり、ほぼ360度同時に見ているとすると、その人間が発明したカメラはほぼ360度映るものになっていると思うんですよ。でも人間は生まれながらにして世界の見る場所を選びながら進化してきているから、見る場所を選ぶというのは当然のものとして、カメラも成立していると考えています。そこは超えられない壁なのでその意味では力不足感は音にすごくあると感じます。
濱田:力不足というか、僕はそういう意味では羨ましく思うんですよ。音はより自由で緩やかなものだと思うので。写真がそういう存在になれたとしたら、もっと違うものになるなと、今話していて思います。
森山:僕は濱田さんの定点動画にその可能性をすごく感じています。間にある存在として。
濱田:そこにいくんですね(笑)。自分が気づいていない考え方でしたね。
森山:やはり音から考えると、光というのはすごく羨ましいものに見えて、視覚から考えると聴覚にはそういう緩やかな部分に羨ましい側面があって、その間にあるものというか、その間にいきたいなという気持ちが両方から、音側からも光側からもあるのではないかなと。この2回通してフィールドレコーディングの話をしているとすごく感じるようになっていて、濱田さんの定点動画みたいなことが、先ほど言ったことの具現化したものとして1つ可能性があるのではないかなと。
濱田:だんだんわかってきました。たしかに定点動画は簡単に言うと、「光のフィールドレコーディング」ということですよね。
森山:たしかに!(笑)。まさにそうですね。選びながらも選びすぎないみたいな、それはすごく大切なバランスであって、もっと具体的な話で言うと、「はためきとまなざし」の映像であったり、"individuals 2022"のときの映像演出での定点動画が付加されることで、ある意味見ている人は少し想像の方向性を限定される。でも濱田さんの撮影される映像が選びすぎていないから、そこが限定的になりすぎない自由みたいなのが見る側に残されていると感じています。
「想像の余地を残す」と僕らもよく言ってしまうのですが、当然完全にフリーに残していることは不可能だし、できたとしてもそこに心地よさはなくて、やはり少しは選んで提示するみたいな。その幅をどのくらいにするか、というバランスというのは、一緒に作品を作らせていただく中で、とても影響を受けていますし、すごくありがたいことだなと感じています。
濱田:なるほど。その恣意性というのは、人間が意志を持って生きている以上、避けられないじゃないですか?その加減をどう配分するかだと思うんですよね。それくらい余白を残すか残さないかという。それさえも自分の意志なので、自分が思っている以上に引き算をしないとちょうど良くならないんじゃないかなと常にあるんですよね。
森山:なるほど。それが写真とずっと向き合っておられる濱田さんからの目線、光側からの目線だから、より引こうということになっているんですかね。
濱田:一番気持ちいい場所というのは実は窮屈なんじゃないかなと思っています。その人が気持ち良くても、他にも開かれているかと言ったらそうではないと思うんですよね。それで距離の話とかもよくするのですが、今ここから立って見えている景色が気持ちいいと思ったら、一歩下がるようにするのと同じで、それが音の場合どうなるのかはわからないですけど。
森山:一歩引かなきゃというのは、そういう恣意性が出過ぎる性質があるからこそといいますか、濱田さんがおっしゃったように他の人への開かれ具合が足りていないというところによるのかなと想像するのですが、先ほどの話からいくと音は逆に開かれすぎているわけですよね。だから逆に一歩寄るという考え方に実はヒントがあるのかも知れないなと、今のお話聞いて思いました。
濱田:すごい!なるほど。逆なんですね。
森山:では果たして「一歩寄るってどういうことなんだろう?」というのは考えないといけないのですが。
濱田:それは物理的にも精神的にも、という意味なのですが、それが反対になるというのは、音がもともとゆるいからそうなるというのはたしかにですね。
森山:そういう無い物ねだりといいますか、足りない部分というのを求めていくことで、どこかで出会えたらそれはいい表現になるかもしれませんね。
odol「小さなことをひとつ」
odol「綺麗な人」
odol「未来」
Fink「We Watch The Stars (Berlin Session)」
番組へのメッセージをお待ちしています。
Twitter #fmfukuoka #RoomH をつけてツイートしてください。MC3人ともマメにメッセージをチェックしています。レポート記事の感想やリクエストなどもありましたら、#SENSA もつけてツイートしてください!
放送時間:毎週水曜日 26:00~26:55
放送局:FM福岡(radikoで全国で聴取可能)
黒川侑司(ユアネス Vo.&Gt.)
福岡で結成された4人組ロックバンド。感情の揺れが溢れ出し琴線に触れる声と表現力を併せ持つヴォーカルに、変拍子を織り交ぜる複雑なバンドアンサンブルとドラマティックなアレンジで、
詞世界を含め一つの物語を織りなすような楽曲を展開。
重厚な音の渦の中でもしっかり歌を聴かせることのできるLIVEパフォーマンスは、エモーショナルで稀有な存在感を放っている。2021年12月1日に初のフルアルバム「6 case」をリリース。2022年6月1日にソロ第1弾シングル「この星からの脱出」をリリース。
オフィシャルサイト/ @yourness_on/ @yourness_kuro
松本大
2006年に長崎県で結成。バンド名「LAMP IN TERREN」には「この世の微かな光」という意味が込められている。松本の描く人の内面を綴った歌詞と圧倒的な歌声、そしてその声を4人で鳴らす。聴く者の日常に彩りを与え、その背中を押す音楽を奏でる集団である。
2021年12月8日にEP「A Dream Of Dreams」を配信リリース。
オフィシャルサイト/ @lampinterren/ @pgt79 / @lampinterren
森山公稀(odol Piano&Synth.)
福岡出身のミゾベリョウ(Vo.)、森山公稀(Pf./Syn.)を中心に2014年東京にて結成した3人組。ジャンルを意識せず、自由にアレンジされる楽曲には独自の先進性とポピュラリティが混在し、新しい楽曲をリリースする度にodolらしさを更新している。
2022年3月16日に「三月」を配信リリース。
オフィシャルサイト/ @odol_jpn/ @KokiMoriyama
今週のMCは、odolの森山公稀が担当。SENSAでは、オンエア内容を一部レポート!(聴き逃した方やもう一度聴きたい方は、radiko タイムフリーをご利用下さい。)
(森山):今、この番組を収録しているのは7月末なので先日発表されたばかりなのですが、今年3月に行った"individuals 2022"を秋にも開催できる!ということで、前回と同じく2日間での開催となります。前回はセットリストが、前半と後半で入れ替わって、2日間お送りしたんですけども、今回はなんと1日目と2日目で奏者が丸々変わりまして、同じ作品ながら全く違った表情を見せることができるんじゃないかと僕たちもとても期待しております。もちろん内容も3月からアップデートしていますので、ぜひ楽しみにしていてください。
そして、秋の"individuals"に向けてグッズもかなり今回頑張って作っております。実は企画からデザインまで、メンバーがセルフで行っているものもあったりします。もちろん事務所の皆さんにも手伝ってもらいながらやっているんですけども、例えば製造していただく業者も、もともとミゾベのお友達である信頼できる方に協力してもらったりしてこだわりながら作っています。メンバー3人で毎日毎日話し合いながら、本当に欲しいなと思うものを作っておりますので、そちらもぜひ楽しみにして待っていてください。
「定点動画」について
森山:それでは写真家の濱田英明さんをお迎えして、定点動画のお話を伺っていきたいと思います。濱田さんのTwitterでツイートされていた中で、「定点動画がきているのではないか?」というご指摘がありましたね。
濱田: (笑)。
森山:それはInstagramやTikTokといったカジュアルな側面も含めて、定点動画というのがきているのではないかと。でも濱田さんは前からそういうことやっていたぞと(笑)。
濱田:それが言いたいだけ(笑)。
森山:いやいや(笑)。まさに第一人者でもあるのですが。
その前提の上で、一度写真や録音の話に戻りたいのですが、写真と音の記録というのはこれまでお話ししてきたようにとても近い行為だと言いつつも、違いもあるじゃないですか?
僕が感じている違いの中でも大きな要素は、恣意的な選択が表に出やすいか出にくいのかという部分かと思っています。写真は、撮影者の恣意的な選択が記録物に表れやすい記録方法。音はそれに比較すると表れづらいと感じています。
それはそもそもの人間の身体性として、目が前にしかついていないことと、耳が閉じられないことに関連しているのかとも思っています。目は何かを見るときに選ぶしかできないですよね。でも耳は積極的に選べないというか、聞かないことができないと言いますか。
前回の対談は、下記からチェックしてください!
濱田:人間の身体性というのもあるけど、カメラのフォーマットがそうさせているんですよ。四角にしか写せないという。そのフレームの外にあるものを視覚的には写せないじゃないですか?例えばフィールドレコーディングだったら、単一指向性のマイクだとしてもそれ以外の音も少しは聞こえますよね。その指向している部分以外のものもハプニング的に入っているという意味では、写真と音の記録として違う部分なのではないかなと思います。
森山:そうですよね。もちろん恣意的な選択はどちらにも存在するのですが、それが出やすいか出づらいかという差があるなというところが、違う部分として感じられています。だからこそ写真は個人の主観での表現という側面が広まっていて、多くの人に馴染みのあるものなのかなと思うのですが、録音は客観的な記録のような側面が前に出ていて、例えば「自分の表現としてのフィールドレコーディング」みたいな形ではなかなか広くは受け入れられづらいんだろうなと、若干悲しい想いもあるのですが(笑)。
濱田:なるほど。
森山:そんな中で、濱田さんのやられてきた定点動画というのは、間にあるものなのかなと感じています。フレームを決めて、でもその後そこで何が起こるか、何が飛び込んでくるかは制御できない。そこは恣意的な選択ができないというバランスがあって。フレーミングというか、画角を変え続けることが/選び続けることができない定点という手法で、そういった恣意的な要素が減っていると感じられると言いますか。
濱田:なるほど。
森山:すみません。めちゃくちゃ一方的に話してしまいました。
濱田:すごくおっしゃっていることはわかるし、僕がその定点動画に取り組んでいてやりたいことが、まさしく森山さんがおっしゃっていることなんですよね。写真でもあり、動画でもあるのですが、その中間というものを目指しています。でも掘り下げると、何かが起こって欲しいという恣意性はあるんですよ。ただそこで実際どういうことが起きるかというのが計算できないのですが、フレーミングを決めてあとは任せるという。
森山:起こるままにということですね。
濱田:そうですね。というところに逆に面白さがあるというか、引っかかる部分が生まれるんだと思います。
森山:僕がマイクを置いて、「何か起こってくれ」と思っているのと同じですね。やはり何かが起こった方が録れた感じがするんですよね。
濱田:その期待の感度というのも上げていけると思うんですよ。「たぶんここで何か起きるな」とか(笑)。ただそれは自分の中で予測しすぎるとかではなくて、「ここで待っていたら何か起こるだろうな」という勘の精度を、やればやるほど上げていけるんだろうなと。たぶんそれは一緒じゃないかな。
森山:たしかにそうですね。ポイントみたいなものが見えやすくなるということですね。
「定点動画」の世間的流行
森山:定点映像を始められたのがかなり前だと思うのですが、例えば濱田さんのやられているinstagramの「hamadafilms」のアカウントですと、2020年末に始まっています。
濱田:そうなんですね(笑)。そもそもなんでそういう撮り方をしているのかというのと、僕が最近そういう話をツイートしているというのは、実は繋がっていて、要するに定点動画というのは比較的簡単なんですよ。動画というと、いい感じのカメラワークをするなど、とにかく技術の問題でクリアしなくてはいけない部分というのはあるんですよね。でも定点動画って、三脚に置いているだけでほぼ写真的な行為というか。あとは動くのを待つだけというみたいな。だからすごく動画として参入しやすい1つの方法論だと思っています。もう1つ文脈としてあるのが、YouTubeでもそういう気持ちいい動画のジャンルがあるじゃないですか?
森山:焚き火とか撮り続けている動画とかですか?ASMR的なやつですよね。
濱田:それ!その文脈で僕の動画も語られることがあるんですよ。もちろんそんなつもりではなかったのですが、BGM的に/環境音楽的に動画を流したいみたいな、そういう文脈で捉えている人がいて、やっぱそういう文化がいま盛り上がっているというか。それは社会が疲れているから、またそういう話になるのですが(笑)。それとビジュアル表現する人がすごく増えたというのがくっついて、新規参入しやすくなっているんじゃないかと思っています。また余計にコロナ禍で例えば日本の風景とか、海外の人にとってより珍しく、憧れる存在になって、日本の電車が走っているだけとか、桜が散るだけというので、10万回以上再生されていたりして。そういう連鎖でみんな定点動画みたいなのをやり始めているのではと想像していて。
森山:なるほど。
濱田:それが僕の思っている新しい文脈です。でもその方法論自体はずっと前からありますし、なんだったら映画がまず始まったときに一番最初にやっているようなやり方なので、当たり前のことだと思うのですが、実はそういう見られ方の文脈が変わっているから、新しく見えるということを言っていて。そこに僕が取り組んでいたことがタイミング良くいまマッチし始めているなと感じています。もちろんそういう気持ちではやっていないのですが(笑)。
森山:(笑)。すごく良くわかります。濱田さんがおっしゃったように、定点で映像を撮るという技法自体は最もシンプルなものの一つとしてあるかと思います。では、そことの違いというか、例えば濱田さんが撮影されたものは、単に定点で撮影された映像というだけではないように感じています。それは受け取る側の文脈の違い、変化というところだけなのでしょうか?それを撮影する側にも違いや変化はあるのでしょうか。
濱田:特にSNSの場合だったら、そういう見られ方が浸透し始めていて、おそらく狙って作っている人もいると思うのですが、受け手側がまだはっきりと認識できていないと思います。「なんか気持ちいい動画がある」というくらいにしか感じていないというか。そのうちそれがはっきりとみんな気付き始めて、一気にやり始めるタイミングというのがあると思います。そうなるとみんな同じ感じになってしまって、「あれね」という感じになると思います。そもそも僕が写真でやっていることは、まだその言葉になっていないことを捉えていると。それはつまりこの世にないけど、新しい言葉になり得るという。それはビジュアル表現であるが故に、言葉を越えていろんな違う言語の人にも同じ気持ちを共有できる可能性があると思っているというところなんですよね。
森山:なるほど。それは写真か映像かというメディアが違うだけで、やっている側の濱田さん自身の取り組みとしては同じということですよね?
濱田:そうですね。フィールドレコーディングが言葉になり得るのかというのは、森山くんの話を聞いてからずっと考えていたのですが、それを提示すること、ある種の感情を提供することできると思うんですよ。その辺がどのくらいのレベルでできるかによって、結構変わるなと思っています。
森山:そこは実は、もう聴覚の負け!としか僕は感じられていなくて...。
濱田:そうなんですね。
森山:写真表現のように、映像表現のように、録音表現というのが同じレベルでできるのかというと、限界があるのではないかと、いま現在では思っています。
例えば、ある範囲の空間全体を収録したものを、ヘッドフォンつけて再生しながら歩き回れるみたいなことが簡単にできるようになったら、みたいなことを妄想してみたりはするのですが。
濱田:なるほど。
森山:でもいまのフィールドレコーディング的なものの延長線上で、そういうある種の言葉として世界を見つけるみたいなことができるのかと言われると、結構限界があるような気がするなという風に感じてしまっています。
濱田:そこはスイッチみたいなものだと思っていて、「こういうものですよ」と教えた途端に急に視界がひらけると思うんですよね。「写真というのはこういう捉え方ができるんですよ」と。音もそういう視点で聞いてみたら何か自分の中で広がるかもしれないというのは同じだと思います。ただやはりフォーマットというか、写真は共有しやすいですし、わかりやすいですよね。
森山:視覚的なものだからというところでしょうか。
濱田:写真が強いのは、一瞬をたった1枚で表現できるからなんですけど、動画も音もその分の時間がかかるじゃないですか?これは宿命だと思うんですよ。もちろん"パンっ"という動画や音であったら、一瞬で終わると思うのですが(笑)。それも正しいといえば正しいですが。
森山:少なくとも"パンっ"という音からは同じものは思い起こせないですね。
濱田:そうですよね。どうしても体験する側の向き合い方を、写真以上に拘束するものだと思うんですよ。基本的に同じだと思うのですが、写真の強い部分は一瞬でわかるという部分ですごく強いと思います。
「定点動画」=「光のフィールドレコーディング」
森山:録音が言語になりづらい理由として思っているのは、中盤でお話しした恣意的な選択が出やすいかどうかというところです。僕が先ほど妄想で挙げた例でも、表現というより記録だと思うんですよ。その音空間を、受け取る時に歩き回って、何の音を聴きに行くか決めているじゃないですか?それに比べると写真というのは撮影の時に先に入っている選択が強いというか。撮影者という他者の選択というのを大いに受け取れるのが写真の一つの側面だと思います。言語というのはやはり他者とのコミュニケーションのためにあるものだと思うんですよね。だから人の選択を知りたい、その人の世界の見方、切り分け方を知りたいというところが、言葉の役割ですよね。そこが写真が言語的でありうる大きな特徴でもあるところかなと。録音と比較すると、より際立ちます。
濱田:そうですね。なんかカメラがそうさせるんですよね。
森山:機械としての性質がということですか?
濱田:カメラのフレームの中に写っているものしか撮れないという。実はそれ以外のものになるはずなのに、一見してそれしか見えないというところが見る人によって、そのまま受け取る人がいるし、そうではなくそれ以外のものも想像できる人もいるし、そこがカメラの不安定というか、面白いところであり、困ったところなんですよね。それですごいいろんな問題を引き起こすのが写真なので、去年もその話をしましたけど、実際に見えるものしか撮れないところに振り回されるんですよね。
森山:選ばなかった部分への想いということですね。フレームという明確な枠の存在が、受け手によっては逆に写ってない部分に想いを向けさせるという両面性があるんですね。
少し話が戻りますが、カメラがそういうものになっていることや、マイクが今あるようなものになっているのは、目や耳の機能、身体性にあるんじゃないかなと感じています。仮に人間が馬のように横側に目があり、ほぼ360度同時に見ているとすると、その人間が発明したカメラはほぼ360度映るものになっていると思うんですよ。でも人間は生まれながらにして世界の見る場所を選びながら進化してきているから、見る場所を選ぶというのは当然のものとして、カメラも成立していると考えています。そこは超えられない壁なのでその意味では力不足感は音にすごくあると感じます。
濱田:力不足というか、僕はそういう意味では羨ましく思うんですよ。音はより自由で緩やかなものだと思うので。写真がそういう存在になれたとしたら、もっと違うものになるなと、今話していて思います。
森山:僕は濱田さんの定点動画にその可能性をすごく感じています。間にある存在として。
濱田:そこにいくんですね(笑)。自分が気づいていない考え方でしたね。
森山:やはり音から考えると、光というのはすごく羨ましいものに見えて、視覚から考えると聴覚にはそういう緩やかな部分に羨ましい側面があって、その間にあるものというか、その間にいきたいなという気持ちが両方から、音側からも光側からもあるのではないかなと。この2回通してフィールドレコーディングの話をしているとすごく感じるようになっていて、濱田さんの定点動画みたいなことが、先ほど言ったことの具現化したものとして1つ可能性があるのではないかなと。
濱田:だんだんわかってきました。たしかに定点動画は簡単に言うと、「光のフィールドレコーディング」ということですよね。
森山:たしかに!(笑)。まさにそうですね。選びながらも選びすぎないみたいな、それはすごく大切なバランスであって、もっと具体的な話で言うと、「はためきとまなざし」の映像であったり、"individuals 2022"のときの映像演出での定点動画が付加されることで、ある意味見ている人は少し想像の方向性を限定される。でも濱田さんの撮影される映像が選びすぎていないから、そこが限定的になりすぎない自由みたいなのが見る側に残されていると感じています。
「想像の余地を残す」と僕らもよく言ってしまうのですが、当然完全にフリーに残していることは不可能だし、できたとしてもそこに心地よさはなくて、やはり少しは選んで提示するみたいな。その幅をどのくらいにするか、というバランスというのは、一緒に作品を作らせていただく中で、とても影響を受けていますし、すごくありがたいことだなと感じています。
濱田:なるほど。その恣意性というのは、人間が意志を持って生きている以上、避けられないじゃないですか?その加減をどう配分するかだと思うんですよね。それくらい余白を残すか残さないかという。それさえも自分の意志なので、自分が思っている以上に引き算をしないとちょうど良くならないんじゃないかなと常にあるんですよね。
森山:なるほど。それが写真とずっと向き合っておられる濱田さんからの目線、光側からの目線だから、より引こうということになっているんですかね。
濱田:一番気持ちいい場所というのは実は窮屈なんじゃないかなと思っています。その人が気持ち良くても、他にも開かれているかと言ったらそうではないと思うんですよね。それで距離の話とかもよくするのですが、今ここから立って見えている景色が気持ちいいと思ったら、一歩下がるようにするのと同じで、それが音の場合どうなるのかはわからないですけど。
森山:一歩引かなきゃというのは、そういう恣意性が出過ぎる性質があるからこそといいますか、濱田さんがおっしゃったように他の人への開かれ具合が足りていないというところによるのかなと想像するのですが、先ほどの話からいくと音は逆に開かれすぎているわけですよね。だから逆に一歩寄るという考え方に実はヒントがあるのかも知れないなと、今のお話聞いて思いました。
濱田:すごい!なるほど。逆なんですね。
森山:では果たして「一歩寄るってどういうことなんだろう?」というのは考えないといけないのですが。
濱田:それは物理的にも精神的にも、という意味なのですが、それが反対になるというのは、音がもともとゆるいからそうなるというのはたしかにですね。
森山:そういう無い物ねだりといいますか、足りない部分というのを求めていくことで、どこかで出会えたらそれはいい表現になるかもしれませんね。
8月3日(水) オンエア楽曲
Ok Moon「Stones」odol「小さなことをひとつ」
odol「綺麗な人」
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Fink「We Watch The Stars (Berlin Session)」
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RADIO INFORMATION
FM 福岡「Room "H"」
毎週月曜日から金曜日まで深夜にオンエアされる、福岡市・警固六角にある架空のマンションの一室を舞台に行われ、次世代クリエイターが様々な情報を発信するプログラム「ミッドナイト・マンション警固六角(けごむつかど)」。"203号室(毎週水曜日の26:00~26:55)"では、音楽番組「Room "H"」をオンエア。九州にゆかりのある3組のバンド、ユアネスの黒川侑司、松本大、odolの森山公稀が週替わりでMCを務め、本音で(Honestly)、真心を込めて(Hearty)、気楽に(Homey) 音楽愛を語る。彼らが紹介したい音楽をお届けし、またここだけでしか聴けない演奏も発信していく。放送時間:毎週水曜日 26:00~26:55
放送局:FM福岡(radikoで全国で聴取可能)
番組MC
黒川侑司(ユアネス Vo.&Gt.)
福岡で結成された4人組ロックバンド。感情の揺れが溢れ出し琴線に触れる声と表現力を併せ持つヴォーカルに、変拍子を織り交ぜる複雑なバンドアンサンブルとドラマティックなアレンジで、
詞世界を含め一つの物語を織りなすような楽曲を展開。
重厚な音の渦の中でもしっかり歌を聴かせることのできるLIVEパフォーマンスは、エモーショナルで稀有な存在感を放っている。2021年12月1日に初のフルアルバム「6 case」をリリース。2022年6月1日にソロ第1弾シングル「この星からの脱出」をリリース。
オフィシャルサイト/ @yourness_on/ @yourness_kuro
松本大
2006年に長崎県で結成。バンド名「LAMP IN TERREN」には「この世の微かな光」という意味が込められている。松本の描く人の内面を綴った歌詞と圧倒的な歌声、そしてその声を4人で鳴らす。聴く者の日常に彩りを与え、その背中を押す音楽を奏でる集団である。
2021年12月8日にEP「A Dream Of Dreams」を配信リリース。
オフィシャルサイト/ @lampinterren/ @pgt79 / @lampinterren
森山公稀(odol Piano&Synth.)
福岡出身のミゾベリョウ(Vo.)、森山公稀(Pf./Syn.)を中心に2014年東京にて結成した3人組。ジャンルを意識せず、自由にアレンジされる楽曲には独自の先進性とポピュラリティが混在し、新しい楽曲をリリースする度にodolらしさを更新している。
2022年3月16日に「三月」を配信リリース。
オフィシャルサイト/ @odol_jpn/ @KokiMoriyama