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2021.01.27
ヨルシカの配信ライブ「前世」を見ました。
最近では、「この状況下でアーティストがどんなライブのやり方を選ぶのか」が、イコール、それぞれのアーティストがもっとも大切にしていることを象徴しているように思います。
徹底した感染対策のもとにライブハウスに立ち続けるロックバンド、配信ならではの趣向を凝らした演出やコミュニケーションの可能性を摸索したり、映像作品としての完成度を極限まで高めるアーティスト。いま音楽シーンが苦しい状況にあるのは間違いないですが、皮肉にもこの状況が、新しい表現の可能性を急速に押し広げていることも感じる日々です。
そんななか、ヨルシカが1月9日に開催した初の配信ライブ「前世」は、見る側の想像力を掻き立て、その世界へと没頭させる、まさにヨルシカの音楽そのもののようなライブでした。
会場は八景島シーパラダイス。様々な種類の魚が泳ぎ回る巨大な水槽の前に、ボーカルsuis(スイ)、コンポーザーでギタリストのn-buna(ナブナ)をはじめ、アコースティックギターの下鶴光康、ベースのキタニタツヤ、ドラム・パーカッションのMasack、ピアノの平畑徹也という実力に定評のあるサポートミュージシャン、村田泰子ストリングスも加えた総勢10人が並び、一夜限りのライブが繰り広げられました。
清涼感のあるバンドサウンドにsuisのボーカルが軽やかに弾んだ「藍二乗」を皮切りに、新旧楽曲が織り交ぜてライブは進みました。パーカッションを強く打ち出した「だから僕は音楽を辞めた」、ジャズセッションをブリッジに大人っぽく生まれ変わった「言って。」。この編成ならではの新たなアプローチは、もう何度も聴いた楽曲たちに、また別の発見と感動を与えてくれます。たとえば、中盤、suisだけがシャンデリアや暖炉がある部屋へと移動して、モニターと対峙しながら歌った「ただ君に晴れ」や「ヒッチコック」は、その異質なシチュエーションも相まって、孤独な陰りを帯び、とても寂しげに聴こえました。なかでも鮮烈だったのは、水族館というロケーションを最大限に活かした幻想的なインスト曲「海底、月明かり」から「ノーチラス」への流れ。生のストリングスが包み込む壮大なバンドサウンドとsuisの凛としたボーカルによって湧き立つ、旅立ちのような、終焉のような、あるいは心を縛るものから解放されるような感覚は、終盤の個人的ハイライトでした。
それにしても、このライブのタイトルに掲げた「前世」の意味は何なのか。「前世」という楽曲は、2018年に発表された『負け犬にアンコールはいらない』のオープニングを飾るインスト曲です。この日のライブは、そのアルバムに収録される「冬眠」で終わりました。<ここじゃ報われないよ>と綴られる「冬眠」は、死を意味する歌だと捉えることができます。とすれば、この日のライブは死へと向かう物語。ヨルシカの楽曲の多くは、それぞれのアルバムのコンセプトに紐づく登場人物がいます。「音楽を辞めた青年」「その意思を受け継いだ少女」や「音楽の盗作をする男」。「前世」というライブを見たとき、それら様々な主人公の記憶が次々に押し寄せてくるように感じました。そこにある苦悩も葛藤も悲しみもすべてが前世の記憶たち。そして、「冬眠」を経て、現世へと再生していく、そんな物語性を感じたのです。輪廻転生というものが本当にあるかはわかりません。ただ、命が巡り、魂が受け継がれてゆく物語を描く舞台として、太古の昔から生命を育み、連鎖させてきた「海」を彷彿とさせる場所を選んだことも意味があるように感じました。
ヨルシカの音楽は聴き手に様々な想像の余地を与えてくれます。コンポーザーであるn-bunaのなかには、きっとすべての仕掛けに意味があるのだろうと思います。ただ、正解はありません。その無限の余白のなかで、曲同士のつながりや歌詞の意味を読み解き、あれこれと考える。それが、とても幸せな時間なのです。
ヨルシカ『創作』
2020年1月27日(水)
視聴はこちら
@nbuna_staff
@yorushika_official_
Official YouTube Channel
最近では、「この状況下でアーティストがどんなライブのやり方を選ぶのか」が、イコール、それぞれのアーティストがもっとも大切にしていることを象徴しているように思います。
徹底した感染対策のもとにライブハウスに立ち続けるロックバンド、配信ならではの趣向を凝らした演出やコミュニケーションの可能性を摸索したり、映像作品としての完成度を極限まで高めるアーティスト。いま音楽シーンが苦しい状況にあるのは間違いないですが、皮肉にもこの状況が、新しい表現の可能性を急速に押し広げていることも感じる日々です。
そんななか、ヨルシカが1月9日に開催した初の配信ライブ「前世」は、見る側の想像力を掻き立て、その世界へと没頭させる、まさにヨルシカの音楽そのもののようなライブでした。
会場は八景島シーパラダイス。様々な種類の魚が泳ぎ回る巨大な水槽の前に、ボーカルsuis(スイ)、コンポーザーでギタリストのn-buna(ナブナ)をはじめ、アコースティックギターの下鶴光康、ベースのキタニタツヤ、ドラム・パーカッションのMasack、ピアノの平畑徹也という実力に定評のあるサポートミュージシャン、村田泰子ストリングスも加えた総勢10人が並び、一夜限りのライブが繰り広げられました。
清涼感のあるバンドサウンドにsuisのボーカルが軽やかに弾んだ「藍二乗」を皮切りに、新旧楽曲が織り交ぜてライブは進みました。パーカッションを強く打ち出した「だから僕は音楽を辞めた」、ジャズセッションをブリッジに大人っぽく生まれ変わった「言って。」。この編成ならではの新たなアプローチは、もう何度も聴いた楽曲たちに、また別の発見と感動を与えてくれます。たとえば、中盤、suisだけがシャンデリアや暖炉がある部屋へと移動して、モニターと対峙しながら歌った「ただ君に晴れ」や「ヒッチコック」は、その異質なシチュエーションも相まって、孤独な陰りを帯び、とても寂しげに聴こえました。なかでも鮮烈だったのは、水族館というロケーションを最大限に活かした幻想的なインスト曲「海底、月明かり」から「ノーチラス」への流れ。生のストリングスが包み込む壮大なバンドサウンドとsuisの凛としたボーカルによって湧き立つ、旅立ちのような、終焉のような、あるいは心を縛るものから解放されるような感覚は、終盤の個人的ハイライトでした。
それにしても、このライブのタイトルに掲げた「前世」の意味は何なのか。「前世」という楽曲は、2018年に発表された『負け犬にアンコールはいらない』のオープニングを飾るインスト曲です。この日のライブは、そのアルバムに収録される「冬眠」で終わりました。<ここじゃ報われないよ>と綴られる「冬眠」は、死を意味する歌だと捉えることができます。とすれば、この日のライブは死へと向かう物語。ヨルシカの楽曲の多くは、それぞれのアルバムのコンセプトに紐づく登場人物がいます。「音楽を辞めた青年」「その意思を受け継いだ少女」や「音楽の盗作をする男」。「前世」というライブを見たとき、それら様々な主人公の記憶が次々に押し寄せてくるように感じました。そこにある苦悩も葛藤も悲しみもすべてが前世の記憶たち。そして、「冬眠」を経て、現世へと再生していく、そんな物語性を感じたのです。輪廻転生というものが本当にあるかはわかりません。ただ、命が巡り、魂が受け継がれてゆく物語を描く舞台として、太古の昔から生命を育み、連鎖させてきた「海」を彷彿とさせる場所を選んだことも意味があるように感じました。
ヨルシカの音楽は聴き手に様々な想像の余地を与えてくれます。コンポーザーであるn-bunaのなかには、きっとすべての仕掛けに意味があるのだろうと思います。ただ、正解はありません。その無限の余白のなかで、曲同士のつながりや歌詞の意味を読み解き、あれこれと考える。それが、とても幸せな時間なのです。
RELEASE INFORMATION
ヨルシカ『創作』
2020年1月27日(水)
視聴はこちら
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@yorushika_official_
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