SENSA

2023.05.19

日本語と英語であふれ出る本音でつながる、2023年注目のラッパー──Wez Atlasインタビュー

日本語と英語であふれ出る本音でつながる、2023年注目のラッパー──Wez Atlasインタビュー

東京を拠点とするバイリンガルラッパー、Wez Atlas。今年3月には2ndミニアルバム『This too shall pass』をリリースし、SXSW 2023に出演。かつて住んでいたアメリカでの初パフォーマンスを果たし、新たな一歩を踏み出したタイミングの今、ここまでの歩みを語ってもらうインタビューを行った。インタビュアーはシャーリー富岡。全編英語で行われたインタビューを、ここでは日本語訳で掲載する。英語のやり取りならではのリラックスした本音が表れた会話から、Wez Atlasの大いなる可能性を感じてほしい。

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学校では居残りが多くなるくらいしゃべりすぎだった(笑)

―音楽の話に入る前に、少しWezくん自身のことを教えてください。生まれは日本ですか?


Wez:僕は大分で生まれて、7~8歳まで住んでいました。それからコロラドに引っ越して、15歳まで暮らして。高校1年生を終えて、東京に引っ越し、こっちの高校・大学に行き、そして卒業という感じです。

―Wezくんは日本とアメリカのミックスですよね。通常、英語で話すことが多いですか?それとも日本語?


Wez:いちばん多いのはちゃんぽん(日本語と英語のごちゃ混ぜ)ですね。

―小さい頃の言葉は日本語からスタートしたんですね。


Wez:ええ、僕はアメリカに引越しをするまでは、英語を話すことはほとんどありませんでした。 でも、引っ越したコロラドに日本人はほとんどいなくて。公立の小学校に放り込まれたんですけど、通常のクラスからESL(English as a Second Language:英語以外を母国語とする人たちが英語を習うコース)に通わされ、でも1年以内に普通のクラスに戻れたんです。その後、僕はGTというギフティッド&タレンティッド(gifted and talented)クラスに入って。
(※ギフティッド&タレンティッド クラスとは、同じ学年の生徒と比べてずば抜けて高い成果を挙げられる才能や能力を持った子供を対象に、よりレベルの高い教育が定められる)
僕は本当に(英語を)すぐに吸収したと思うし、その後、日本語を忘れたようなものでした。というのも、本当に日本語を話さなかったから。

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―日本語を話せる人がいなかったから、話す機会がなかったんですね。


Wez:はい。僕の母は日本人だけど、教師になるためにコロラドの学校に行ってました。それが、僕たちが引っ越した理由だったんですけど。だから、彼女は家でも英語で話そうとしていて、日本に帰ってきた今も英語でしか会話していません。

―高校で日本に戻ってきたときはどうだった?


Wez:日本の高校についていろいろ聞いていたので、楽しかったです。アニメで見ていたような、青春とか、文化祭とか、体育祭とか、制服とか、そういうの全部が。高校は普通の日本の学校だったんだけど、帰国子女が多くて、インターナショナルスクールのようだったけど、カリキュラムは日本のものでした。

―学校に通っていた頃はどんな少年だったのでしょうか?おとなしかった?


Wez:アメリカの学生時代とか、、僕はとてもうるさかったんです。居残りが多くなるくらい。でも、悪いことをしたわけじゃなくって、ただ、しゃべりすぎだったんです(笑)。先生も「そこ、黙れ」みたいな感じでした。年末にデンバーのダウンタウンにあるエリッチガーデンという遊園地に行ったり、キャンプに行ったりする旅行があったんだけど、僕はいつも問題を起こしていたので、そこに行くこともできなかったんです。 あと1回居残りか、あと1回停学になったら、年末の旅行には行けませんよ、と言われていて。

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ヒップホップは自分の物語

―おしゃべりでヤンチャしてたからワーズ(言葉)を使うことは上手かったんですね。ラップや音楽のための歌詞を作り始めたのはいつ頃からですか?


Wez:ラップを初めて自分でやってみたのは、アメリカに引っ越して2、3年経った頃かな。車の中でエミネムとかケンドリック(・ラマー)とか、大きなラジオ局で流れているような曲を聴いていました。エミネムとかの速いラップがすごく好きだったんです。そのおかげで英語も上達したし。超高速ラップの練習をしていたら、舌の動き、なんて言うんだろう...滑舌?がすごく良くなったんです。

―本格的にラップをやりたい、プロとして音楽をやりたいと思ったのはいつ頃でしたか?


Wez:日本に帰ってきてからです。アメリカでは、考えたこともなかったんです。僕はサッカーが好きで、だけど、プロになるほどの実力はなくて、それで、スポーツドクターになりたいと思っていました。でも、それはあくまでも僕が母に言い聞かせていたことで、それに対して母は、「いいね、お医者さん」という感じで(笑)。

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―(笑)それはお母さんは本当に安心されるでしょう。


Wez:でも僕は後々、内心、やっぱりいやだ、と思い始めて。そして、日本に帰ってきてから、ラジオだけでなく、ヒップホップを本格的に聴くようになったんです。本当に印象的だったのは、J.コールの『2014フォレスト・ヒルズ・ドライヴ』で。彼は僕とは全く違う人生を送っているんですが、彼がラップしていることは、「ああ、僕もそう思う」というよな、とても親近感のあるものだったから。
それがきっかけになったんでしょうね。高校卒業あたりに、ノートを開いて(歌詞を)書き始めたんです。そのほとんどは、反抗期で親に腹を立てて、イライラしているところからきていたと思います。ラッパーの場合、自分の声が届いていないと感じたり、何か発信しなければならないことがあると感じたりして、そこから始まるんだと思います。 だから、それが僕の(ラッパーとしての)最初だったのかもしれません。

―あなたの曲は主に英語で書かれていますが、日本語の歌詞も加えていますね。「Overthink」は本当に重要なセリフ("空気なんが読まなくていい" の部分)がひとつあって、それがすべてを説明するような感じになっていますね。 そういうのをどうまとめるかが見事だと思うんですよ。これは日本語で、これは英語でという使い分けとか。そのへんは、どのように考えているのでしょう?


Wez:ただ、なんとなく出てくるんです。会話をしているときも同じで、ただ言いたいことが日本語で出てくるような。たとえば〈空気なんて読まなくていい〉のフレーズは、英語ではどう言えばいいのかわからないんですよね。「空気を読む」は、「read the room」、みたいな感じだけど、それはちょっと(自分の言いたいこととは)微妙に違う。だから、そこは日本語で言わなきゃいけないっていう。

―音楽を作ったり、文章を書いたりするとき、「僕は日本にいるから、もっと日本語を加えなければならない」とか、悩むことはないですか。


Wez:僕はそれを、ビジネス的な見方で考えないようにしていて。ただ感情から来るものだと思うんで、まずそこを追求します。あるいは、starRoさんと「Zuum!」をやった時、サビと1番を歌い終わってから、「あれ、これ全部英語じゃん」と思って。だから、2番の歌詞は日本語なんです。たいてい、2番の歌詞は日本語になってしまうんですけど、それは英語で書き始めてから、日本語を加える必要を感じるからでしょうね。

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―あなたの歌で語られるストーリーは、英語と日本語が自然に出てきますよね。その曲の多くは、あなたの個人的な体験から生まれているのかもしれないと感じました。


Wez:ええ、100%そうです。僕は、三人称のようなものを書いたことがなくって。ヒップホップは、自分の物語だから(三人称は)難しいんだと思う。でも、それがデフォルトのようなものだし、いちばんしっくりくるんです。

良い言葉を話すこと、ポジティブな心で朝を迎えることが大事

―「Fun + Games」に出てくる〈Hope this 4 year degree pays off before I gotta pay it off〉(この4年間の学位が報われますように、じゃないと...)は、まさに当時大学生のあなただから生まれた歌ではないですか?


Wez:4年生の時、みんな就職活動をするんだけど、僕はそんなことしたくないって思ったんです。だから、なんというか、とても混乱した時期でした。でも僕は音楽をすべきだとは分かっていたと思います。 会社員にもしなっていても、1年とかで辞めちゃってたかもしれないし。

―あなたは、言葉が正しいかどうか分かりませんが、音楽の中に自己療法のようなものを見出しているのではないでしょうか。それを「TIMM」に感じたんですが、この曲を作ったときは辛い時期だったんでしょうか?


Wez:大学4年生の時、母が病気になって仕事をやめてしまって。僕はその頃、音楽をやりたいかどうか決めかねていて、とても大変な時期だったんです。だから、その感情を「TIMM」も収録している「Chicken Soup for One」のアルバムの中ですべて吐き出すことが気持ちよかったんだと思います。こういう内省的なリリックを書くのも実は子供の頃のことに繋がっていて。僕が子どもの頃、母が一日の終わりに、その日を振り返る文章を2文ほど書くように言っていたからです。 僕はまだそのノートをすべて持っていますが、とてもおかしくって...「今日はとてもうるさかった。もう少し冷静になるべきだ」とか、そんな感じです。あるいは、「今日はいい日だった。公園に行って、友達の犬の散歩をした」とか。僕の音楽の多くはそこから来ているんでしょう。

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―お母さんに感謝ですね。


Wez:ええ(笑)、母に感謝です。

―たとえ苦労や苦難を感じても、いつもポジティブな光があるように見せてくれる。そこも、あなたの音楽のとても好きなところです。


Wez:それが僕という人間で、それもまた母からもらったものです。母は「ザ・シークレット」のような本とか、スピリチュアルなものに夢中で、良い言葉を話すこと、ポジティブな心で朝を迎えることが大事だと言っていました。 僕はそのような教育で育ったし、そのような考え方を持ち続けようと思っています。本当にありがたいことです。

―あなた自身は、かなり前向きな性格でしょうか?パンデミックも乗り越え、私たちは幸いにも生き延びたけれども、あなたにとっても大変なことだったでしょう。


Wez:世の中にはもっとひどい目にあった人もいるし、僕はそんなにひどい目にはあっていないけど、僕が育てられた方法は、過度にポジティブであるようなものかもしれないです。そして大人になるにつれて、論理的であることも良いことだと思うようになってきて。自分で掴みに行って、自分で事を起こしたいんです。だから、そのマインドセットを維持しつつ、もっと分析的であることも学んでいます。自分の置かれている状況をよく見て、「どうすればもっと良くなるんだろう?」と考えてる、そんな感じです。

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―音楽を通して、またライブパフォーマンスを通じて、自分の音楽を表現する上で大切にしていることは何でしょうか?また、リスナーやファンからどのように見られたいですか?私はあなたがとても正直で、かなり(他のアーティストとは)異なるタイプのラッパーであると感じていますが。


Wez:ありがとうございます。そうですね、正直で生々しく、心から語っているように見てもらいたいですね。そういうのって大事ですよね。

―特にあなたの年代や世代は、育った環境や国籍が違ってても共感できる人が多いと思うんです。あなたが経験したこと、苦労したこと、恐怖に感じることは、他の人も共感できる。本音を語るWezくんは、本当に人とつながることができると思うんです。


Wez:ええ、僕はそうしたいです。そう、つながりは大切なんですよね。 こうやって話していても、なんか、こう、共感しあいたい、みたいな感じなんですよね。僕が感じていることを相手に感じてもらいたいし、相手が感じていることを僕も感じたいし、それが大切だと思うんです。 だからこそ、僕は「Fun + Games」で、僕は仲間の不満や経験したことを代弁しているようなものだ、と言っていて。そのつながりを維持したいです。彼らが何にストレスを感じているのか、日々どんな苦労をしているのかを聞く。そうすれば、彼らがそれを乗り越えられるような、あるいは、同じような思いをしている人がいるんだ、と思ってもらえるものを作ることができるんです。

今は、次にどこに行きたいかを見つける過程

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―今年3月に行われたサウス・バイ・サウス・ウエスト(SXSW 2023)に出演されましたが、どうでしたか?


Wez:30分ほどのセットで、2回公演をしました。ひとつはオースティンの中心部にある会場、もうひとつは日本酒バーで。とても楽しかったです。アメリカには高校卒業直後、一度だけ遊びに行ったけど、それ以来戻っていなくて。 だから5年ぶりぐらいでしたね。この5年間は、自分の半分を封印していたような気がしていたから、解放されたような気分でした。僕の周りには国際的な友人がいますが、SXSWのためにアメリカに戻ったとき、「ああ、待てよ、僕もアメリカ人なんだ」と思って。 街の人と交流したり、会場のスタッフや他のバンドと話したりするだけで、ここは居心地がいいと思えたんです。ああ、向こうでもやっていけるかもしれないというイメージを今回の旅でもてたので良かったです。それは、僕にとってもう一つの可能性が拓けたかも。

―あなたにとってのアメリカでの初演だったんですね。パフォーマンスをした時は日本語の歌詞はどうしましたか?


Wez:そのままです。でも曲間のMCは全部英語でした。自分の曲が何について歌っているのかを説明し、曲を聴いてもらい、それを組み合わせて、なるほどと思わせることができたのは、とても楽しいことでした。

―自分の新しい一面を見つけたりはしましたか?


Wez:ひとつだけ思っていたのは、自分の歌詞がアメリカ人に共感してもらえるかどうか、ちょっと心配だったんです。なぜなら、英語で歌っていても、僕が抱えている葛藤は、おそらく東京に住んでいるからこそのものだから。 とにかく自分を大切にすること、ペースを落とすこと、とか。でも向こうには、全く違う苦労があるような気がします。忙しすぎるとか、そういうことではないんです。もっと言えば、生活するのに苦労しているとか、薬物中毒で苦労しているとか。だから、ちょっと心配だったんです。僕が軟弱だとか、一生懸命働きたくないとか思われるんじゃないかって。

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―文化も生活も何もかもが全く違うから、その国にいないと理解できないでしょうね。でもWez Atlasというアーティストは何を届けてくれるのか、観客はすごく楽しみにしていたはずです。きっと見事にやり遂げたんでしょうね!


Wez:ええ、うまくいったと思います。足首を捻挫してしまったので、僕のパフォーマンスは、いつも出しているものより少し劣ってしまいましたが、まあまあでしたね。

―演奏中に捻挫したんですか?


Wez:いや、公演の前日に、他の人のライブを見ていて、ちょっと興奮しすぎて。今回の渡米は目を見開かされるような体験でした。たった10日間の滞在でしたが、 物事の見方が変わってきて、「僕もあっちに戻らなきゃ」と、新しい火がついたような気がします。 ここ(日本)で素晴らしいことをしたいけど、向こうで何ができるかも見てみたいんです。だから、ハッスルしなくちゃって感じです。

―Wezくんにとってまた新しい旅が始まるのが、本当に楽しみです。今後の予定は?


Wez:ちょうどにミニアルバム(『This too shall pass』)をリリースしたので、今は、次にどこに行きたいかを見つける過程にいるんです。直近では、5月に神戸でヒップホップフェスティバル(神戸メリケンパーク『KOBE MELLOW CLUES 2023』)に出演する予定があります。かなり楽しみです。

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取材:シャーリー富岡
撮影:岩澤高雄

RELEASE INFORMATION

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Wez Atlas「This Too Shall Pass」
2023年3月15日(水)
Format:Digital
Label:HIP LAND MUSIC

Track:
1.Life's A Game(Prod by VivaOla/ Kota Matsukawa)
2.Damn!(Prod by starRo)
3.Dandelion(Prod by starRo)
4.Go Round(Prod by nonomi)
5.Cul-de-sac(Prod by nonomi)
6.It Is What It Is(Prod by VivaOla/ Kota Matsukawa)
7.Me Today(Prod by uin)

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2023年6月3日(土)
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