2023.05.18
松本大がそう語ったとき、すごく納得いく感じがあった。まだ始まったばかりのバンドだが、筆者が目撃したそのステージの佇まいには、生命力や身体性で勝負するバンドマンとしての説得力が、確かにあった。
4月19日に1stEP『Q.』を配信リリースしたEnfants(アンファン)は、2021年末に活動を終了したLAMP IN TERRENの松本大が始動した新たなバンドだ。2022年3月に活動を開始し、そこから約1年間は正体を明かさずにライブを行ってきた。
『Q.』に収録された4曲は、ダークなギターサウンドに乗せてヒリヒリと閉塞感に満ちたリリックを歌う「Play」や「HYS」、抜けのいいメロディで決意表明のような言葉を歌う「Drive Living Dead」、アコースティックギターの優しい響きと共に子供の頃の夢を歌う「Autopilot」など、自分自身に向き合ったナンバーが並ぶ。
「怒り」が今のタームのテーマなのだと松本は言う。そもそもなぜ再びバンドを始めることを選んだのか? 「子供」を意味する名前のバンドで、どういうことをやろうとしているのか? いろんな疑問に真摯に答えてくれた。
ゼロからバンドを始めるということが自分の中で大事だった
―この取材をしているのがちょうど1st EP『Q.』のリリース日です。音源のリリースが告知されるまでEnfantsというバンドは情報を伏せたままで活動をしてきたわけですが、まず、そこにはどういう意図があったんでしょうか?
松本大:意図はいろいろあるんですけど、そもそもゼロからバンドを始めるということが自分の中で大事だったんです。LAMP IN TERRENというバンドのプロップスに乗っかりたくない。それにあやかるのは甘えだと思ってました。そもそも、LAMP IN TERRENはバンドの活動を終了させるということをニュースに出さなかった。ライブに来た人やファンクラブ、ホームページなどをチェックしてくれている人しかそれを知らない状態にしてたんです。その後インスタライブとかSNSで配信をやっているときにも、活動を終了させて新しいバンドを始めたけれども、しばらくは公にするつもりがないとずっと言っていて。ニュース出しもせず、ちゃんとお別れをしなかったので、応援してくれていた人の中でもEnfantsの発表でようやくLAMP IN TERRENというバンドがどうなったのかに気付いた人もいたくらいだった。かなり身勝手な判断だったと思います。でも、音源をリリースして納得させられる形をとれるまで、公にするのは筋が通らないような気がしていて。やっぱり音源ができてからが勝負だと思ってました。僕らとしても約1年以上ずっとリスナーのリアクションが全くない状態で音楽制作をするのはメンタル的に疲れたりもしたんですけれど、それでも納得する形をとれたと思います。
―先日の下北沢251でのライブを拝見したんですが、最初の印象として「バンドマンだな!」って思ったんですよ。変な言い方なんですけれど"バンドマンという生き物"という感じがしたというか。もちろんバンドをやりたくてバンドをやっているわけだけれど、それ以上にそうであるのがいちばん身体が活き活きとしている感じがあるというか。Enfantsをやっていて、その実感はありますか?
松本:あるというか、意図的に持つようにしてました。LAMP IN TERRENの活動を終了させてから、いろいろ考え直す期間があって。自分の姿勢で以前とは決定的に違うことなんですけど、ポップスになるということを諦めたに近いようなところがある。自分の身の回りにはポップスを担っている人間がたくさんいて。その人の話や解釈を聞いて考えたんですけれど、普遍性というものを主観というよりも俯瞰で見て表現するような人が自分の周りには多いんです。
―世の中でどういうものが求められているかにチューニングを合わせるタイプというか?
松本:そうですね。それを聞いて、自分はポップスじゃないのかなって。だとすれば自分はロックンロールであるなという思ったんです。じゃあ、ロックンロールって何ぞやと思った時に、最初に出てくる回答が"生き様"だった。LAMP IN TERRENの時は、「きっとこんな言葉が求められているだろう」とか、そういうことを考えながら曲作りしてきた面もあったんです。でも、このバンドを始めるにあたって最初に自分が姿勢を正したのは、主観の話しかしないということ。求められているものに対して回答を示していくというよりは、「これが歌いたい」という、それだけでモノづくりをしていく。
―なるほど。納得しました。というのは、当然、ニューカマーなんで、Enfantsの曲や音楽の佇まいには新人バンドのフレッシュさがあって。なんですけど、ステージに立っている感じが、めちゃめちゃふてぶてしかったんですよね。
松本:ははははは。そうですよね。
―ライブハウスに何年も立ってきたバンドマンだからそうなんだろうなと思っていたんですけれど、ただ単にそういうことではなくて。世の中に合わせていくとか、そういう発想を削ぎ落として、自分のやりたい音楽をやりたいようにやるのが大きいということなんですね。
松本:まさにそうですね。それは自分自身としてもリアクションがないがゆえにできた部分ではあると思うんですよ。そういう環境に身を置いたがゆえに生まれた初期衝動みたいなところではあるかなと思います。
バンドって箱の中に生きる不自由さが、強くなるための選択肢だった
―そもそもの質問なんですけど、LAMP IN TERRENというバンドが活動を終えた時点で、いろんな選択肢があったと思うんです。シンガーソングライターとしてのソロ活動も、たとえばユニットのような形態もあったかもしれない。ここ最近は役者として舞台に立つという経験もあった。極端に言えば音楽と離れる選択肢もあり得た。そういういろんな選択肢の中でバンドマンというカードを選んだ理由は何だったんでしょうか?
松本:正味、意地に近いところもあるかもしれないですね。もちろん、どの選択肢も想像しました。個人的に、松本大の価値観としていちばん楽な選択肢を選ぶとするならば、それはアレンジャーやプロデューサーみたいなところだったと思います。自分が表舞台に立たないという。でも、もう一度挑戦してみようと思った。やっぱりああいう終わり方をしているから、どっちみち逃げられないという感覚がすごくあって。で、いろいろな選択肢がある中で、結局バンドを選んだというのは、ソロアーティストの松本大として音楽を作る、表現をしていくということが、あまり自分の中ではいいものになる気がしなかったんです。自分の中ではフレディー・マーキュリーがそうで。憧れの気持ちも込めて、クイーンの中にいるフレディ・マーキュリーが俺はいちばん格好いいと思う。フレディがソロで出したアルバムは、あんまりピンとこなかったんです。あと、ソロの強みとして、プロデューサーを迎えたり、いろんな人とやったり、いろんなところに手助けを求めることができるというのがありますよね。でも、バンドという形式はより逃げられない感じがある。
―単純に発想の自由度は狭まりますよね。たとえばリズムを打ち込んでピアノでループを組んでその上で歌うという曲をファーストチョイスとして作るかといえば、ギターバンドとしてはそうはなりにくいわけで。
松本:そうなんですよね。バンドって、守られてる感じもあるんですけど、そういう箱を作ってしまうと絶対逃げられないんですよ。その箱の中に生きる不自由さが、より自分自身が強くなるための選択肢だったんだなと思います。
―メンバーに関してはどういう意識で選んでいったんでしょうか?
松本:これは大人の事情的な話でもあるんですけれど、一応、形態としては正式メンバーは僕しかいない状態になっているんです。LAMP IN TERRENのときもメンバーだった大屋真太郎と中原健仁、そして新しく出会った伊藤嵩が固定のメンバーとしているんですけど、僕はそこに関してはまだ曖昧にしておいてもいいかなっていう部分があって。
―というと?
松本:15年バンドをやった後に、ひとりのメンバーが辞めたいと言って。そこから、音楽を作ることよりも、この関係でいることが大事だったんだ、あの4人でいることが自分が音楽を続けていくエネルギーだったんだなって思ったら、怖くて。また誰かが辞めたいって言った時に、足取りが重くなってしまったり、それを止めるために四苦八苦したりすることはやりたくない。たぶんそういうものに依存していたと思うんですよ。LAMP IN TERRENの時もそうだったんですけど、バンドっていう形式って、共依存関係になっちゃうんです。お互いに自由が利かないというか。もちろんその不自由さが美しいものを呼ぶというのもあるんですけど。僕はいいんですよ、バンドがやりたくてバンドをやるわけだから。ただ真ちゃんと健仁は一緒にやりたいって言ってくれて一緒にやっている状態ではあるんですけど、比重としてはLAMP IN TERRENの時から9.5対0.5くらいの割合で作曲のアレンジメントが僕の意思によって決まってるところがある。その繰り返しになった時に、自分の音楽性や、やりたいことと合わないという気持ちが彼らに出てきた時に「辞めたい」と言えなくなるのはすごく嫌だったんです。だから、彼らが別の場所で生きていきたいと思った時にもそれができるように、一旦、正式メンバーは僕だけということにしておく。名前を言ってるぐらいなんで、僕はほとんどバンドとして考えてはいるんですけど、でも、お互いに距離を取りつつ、今はタイミングを見ている。いちばん奥底の話をすると、そういう感じです。これは一年やそこらで決められることではなかったですね。
表現をしていく上では「社会で通用しない」っていうことが大事な気がした
―Enfantsというバンドの名前はどういうところから付けたんでしょうか?
松本:これはいろんな理由があって。そもそもEnfantsという言葉にものすごく惹かれてたんです。中学生の時にやってたゲームに『恐るべき子供たち(Les Enfants Terribles)』というジャン・コクトーの小説のタイトルが出てきたんですよ。そこからその言葉が自分の中に引っかかって、どこかで使いたいなってずっと思ってた言葉だったっていうのと。あともう一個は全然別軸で、お前のテーマソングって何?みたいな、自分が作ってきた曲の中でいちばんお前っぽい曲って何?って言われた時に、僕にとっては「月のこどもたち」という曲なんですよ。で、「月のこどもたち」をそのまま検索すると、そのタイトルの絵本が出てくるんです。で、その絵本の表紙には「月のこどもたち」というタイトルの下に、英語じゃなくフランス語で「Les enfants dans la lune」って書いてあって。これはもう自分の中で運命なのかもしれないなと思って。しかも、28、29歳になってバンドを始めようなんて子供じみてるなと思ってたし。けれど、そういう純粋な気持ちを忘れずにいけるのもいいかなと思って。ほとんど他の案はなかったです。フランスではものすごくポピュラーな言葉なんで、本当にこれにすべきかどうか、他に何か案はないのかしばらく考えたんですけれど、結局これなんじゃないかって。
―「子供である」ということって、松本さんにとってはどういうことで、それがどういう風に大事だったんでしょうか。
松本:モラルを考えないとか、そういうことになってくるかもしれないですね。大人になるというのは、歯車になることだったり、誰かにバトンを渡すことだったりする。誰かとのつながりみたいなものが見えてくる。でも、子供ってとにかく自分がやりたいことがいちばんで。それって社会で通用しないじゃないですか。俺が何かしら表現をしていく上では、その「社会で通用しない」っていうことが大事な気がしたんですよね。ロックバンドでロックンロールをやるということ、生き様を見せていくって、そういうことなんじゃないかなって思うんですよ。ともすれば人としてあいつはおかしいって思われかもしれないけど、だからこそ言えることがあるというか。みんなが押し殺している言葉を俺だったら言えるんじゃないかなって。とりあえず自分の第一タームは怒りがテーマなんですけど、怒りがエネルギーになって解放されていくものがあるということを、自分だったら表現できるんじゃないかなって思ったので。つまり僕はモラルがない人間です、という。
―怒りがテーマであるというのを聞いてすごく納得した感じがあります。というのも、『Q.』の4曲って、すごく怒りが根底にあるし、どこか厭世的だと思うんです。不満を抱えいて、面倒くさくて、何もかもどうでもいいと思っている男の独白である。
松本:そうですね。
―そういうどんよりした言葉が、すごく活きののいいロックのギターリフと共に放たれているという風に僕は受け取りました。
松本:つまんない人生が輝けるのって、こういう風に表現したときだけな気がするんです。一応自分の中の目標としているタームの終わりまでに表現しきりたいのは、言ってしまえば、ひきこもりの賛美歌みたいな感じです。想像しうるワンルームの中の生活だったり、自分の生活の中にあふれていることが、どんどん言葉になっていっている気がします。
―こういうテーマを10代の思春期のバンドではなく、30歳前後の松本大という人が歌っていることに、重みを感じるところもあるんですけれども。自分の年齢やキャリアを踏まえたモチーフみたいなことを考えたりしましたか。
松本:もちろん考えましたね。ただ10代の頃の自分がこれを書けたかというと絶対書けなかったと思うんですよ。言えなかったと思うんです。本来の自分はものすごい気遣いなんで。ええかっこしいだし、嫌われたくないっていう気持ちがものすごい強かった。だから嫌われそうな言葉とかは意識的に排除していったんじゃないかと思うので。逆に20代後半になって始めたことだから、いろんな酸いも甘いも知った結果、正直に言葉を放つことを恐れなくなったと思います。
自分が納得できるかどうかが、ずっと自分の中のエネルギーの鍵
―歌詞とメロディやサウンドはどちらが先だったんでしょうか。
松本:基本的にはテーマというか、言葉が先でした。「でした」と言ってるのは最近ちょっと変えようかと思ってるからなんですけど。日記を曲にしていくっていうのが自分の中のテーマにありました。もともとは言葉もメロディもほとんど同時で弾き語りみたいに作っていたんですけど、ノートに書き殴ったことがメロディーを帯びたらどんな形になるのかなっていう興味本位があって。日記からメロディーやサウンドを生み出していくっていうのをやっていたんですね。
―「Play」はどういうところから書いていったんでしょう?
松本:あの曲はまさに、日記がそのまま曲になってますね。3ヶ月くらい、本当にゲームしかしていない時期があったんですよ。LAMP IN TERRENが終わってから、抜け殻になって、何もしたくないと思って、ひたすらゲームだけしていた。その中から生まれてきた怒りがそのまま曲になった感じです。あの曲に書かれてることはただただ事実です。で、曲はメジャーコードしか使わないっていうことで混沌とした感じを出してます。あとは歌詞とかサウンドにもちょっとしたオマージュがあって。途中でちょっと差し込んでくる銃声の音とかは実際に自分がやってたゲームの中からサンプリングして使ったりしています。
―「HYS」はどうでしょう。
松本:「HYS」は、もともとはハッピーで能天気な曲だったんです。そこから次第に本来自分が表現したかったものに近づいていった結果、メロディーは変わらずに、最終的にものすごくマイナー調のコードの曲になった。本来想定していたメロディーはめちゃくちゃ明るい意識で作っているんですけれど、バックのサウンドはめちゃくちゃ暗いっていう。この対比が自分の中でグッときてます。
―「Drive Living Dead」はどうですか? この4曲の中では爽快感がある感じですけれど。
松本:ひたすら部屋の中の曲ばっかり歌ってたんで、自分が楽しかった時期を思い出しながら曲を作ってみようかなというのがスタートで。健仁の幼馴染で、スノボに一緒に行く友達がいて。そいつらが一緒にスノボに行くたびに、僕らの曲を車の中で大合唱で歌ってたんですよ。その景色は今でも一瞬で鮮明に思い出せるくらい、自分の中ではすごくハッピーな記憶で。あいつらに似合う曲を作りたいなと思ったのがきっかけです。だから車が走っているという意識もすごくあったし。鬱屈とした現実を忘れられる瞬間に連れて行ってくれる曲を作りたかった。そしたら、結果、書いていくうちに自分の背景にも重なっていったという。根本にあったのはそういう景色と、俺なりの「ルージュの伝言」を作ってみたいという興味でした。
―「Autopilot」はどうですか? これはアコースティックで美しいメロディの曲ですけれども。
松本:これも歌い出しは事実です。〈いつか本当に憧れていた 空を自由に飛ぶパイロット〉と歌っているんですけれど、実際、幼稚園の卒業文集に将来の夢を「パイロットになりたい」と書いていたんです。そこに「かっこいいからです」って書いてあったんです。正確には「かこいいから」って。これ、自分の人生の主題だなと思ったんですね。その時点で「かっこよくありたい」と思ってたんですよ。自分が納得できるかどうかというのが、ずっと自分の中のエネルギーの鍵になっている。で、かっこよくある人生、自分が納得できる人生ってなんだろうなって、そのことを思い出した時に考えて。せっかくだから曲の中で考えてみようと。で、答えが見えないまま〈夢見ていたい まだ見ていたい いつか死に果てるまで〉という最後のところの歌詞を書いて。そんなのはどうでもよかったんだなって。ただただ夢を見ていたい、自分が美しいと思えるところに向かっていきたい、届かなくても手を伸ばし続けたい、っていう気持ちがあるんだな、今は。と思って。結局答えは出てないんですけど、ただただそれを残そうと思った。そういう曲です。
肩の荷が下りたというか、自由に飛べるようになった
―お話を聞いていてすごく納得したんですが、この4曲は決意表明なんだという気がします。最初に仰ったとおり、何が求められるかとか、さらに言えばバズるかどうかとか、そういうところと一切関係ないところで作る必要があった。
松本:そうですね。結果的にバズったらいいなと思いますけど、狙ってはないですね。それを虎視眈々と狙っている人間はいっぱいいるので。その対極に自分が位置してもいいのかなと思って。転がり続けてますね。
―「バズる」というのは世の中の波長とかムードとか、そういうところで左右されることに焦点をあわせるということだと思うんです。すごく速いスピードの動く歩道みたいなのに乗っかろうとするというか。でも生き様で勝負しているというのは、そうではなく、自分の足で歩いているということで。 ライブを観ていても、身体性で勝負してるなっていう感じがすごくありました。
松本:ただ、それなりに必殺技みたいなものを用意しとかなきゃいけないなっていう意識はありますね。たぶん自分の怒りと世の中の波長がマッチする瞬間があるっていうのは、これだけ長くやってるとなんとなく分かるんです。いつかそういう「ここだ」っていうタイミングができたときに、一発でKOできるパンチを持っておかなきゃいけないなと思う。なんとなくその心構えができてる感じはあります。昔は自分にしかできないことを探してたんですけど、今は「俺はここにしかいない」という意識なんですよ。価値観を変えることによって、ようやく楽になったというか。肩の荷が下りたというか、自由に飛べるようになった感じがします。
―ちなみにの質問ですが、役者はやってみてどうでした?
松本:ためになることはたくさんありました。というのは、歌って結局、芝居に近いものがあるんですよ。芝居の素養があると歌い方も変わってくる。表現したいことがしっかり表現できるようになる。今後はメロディーがないもの、グライムにやや近い感じというか、ポエトリーリーディングやラップまではいかないけれど、喋ってることがそのまま音楽になるようなものを作りたいと思っているんです。それに必要なのが演技力だと思って。あとは、これも身体性の話になってくるんですけれど、芝居は基本的に頭のネジを飛ばしてないとできないんです。そうじゃないとかっこつけてる感じ、甘えている感じになってしまう。別の人間の感覚や意識を自然に身に宿そうと思うと、頭のネジを飛ばすしかない。で、頭のネジを外せるようになったのは芝居をやった結果だったんで、それはめちゃくちゃ良かったなって思います。
―もっとやってみたいですか?
松本:必要とされる場所があるんだったらやりたいなと思います。だから、もし声かかったらいいなと思って、一生懸命芝居はしてました。ただ、芝居の仕事をもらうためにワークショップに参加したり、オーディションに行ったり、そういう風に自分から進んでやり始めると本業の姿勢がブレるんでやらないですけれど。もし今後も求められるのであれば全然やりたいし、その練度を増していきたいなと思います。
―歌手として誰かが作った曲を歌うということについてはどうでしょう? シンガーソングライターと違って歌手はどちらかというと役者に近い存在だと思うんですが、そういう自分がこの先の未来に存在している可能性はあり得ますか?
松本:全然あり得ると思います。Enfantsの中にいるときとそうでないときは別の話であって。メンバーを正規メンバーとして明確にしていないというのもそういうことなんです。それぞれが外で仕事できるようであってほしい。Enfantsに参加しているときはEnfantsのことを一生懸命やる。でもそこから一歩外に出たら、それぞれ自分の人生を生きる。それは自分についてもそうです。自分の人生を生きるために、Enfantsという箱と自分自身は別のものであるという意識が強い。LAMP IN TERRENのときは箱という意識すらなくて、同じ生命体になろうとしてたから。そこはだいぶ意識が違いますね。
―そういうことを踏まえた上で、Enfantsというのは松本大のバンドマンとして生き様を見せる場所である、と。
松本:そうですね。やっぱりそれ以外のところは使われる立場にある意識があるので。芝居に関しても、 たとえば歌に参加してくれって言われたとしても、それはやっぱり自分がどこか使われている側で、主導権を持った場所ではない感じがする。Enfantsは自分がいちばん自分で居られる場所という気がしますね。
取材・文:柴那典
撮影:浜野カズシ
RELEASE INFORMATION
Enfants「Q」
2023年4月19日(水)
Format:Digital
Label:MASH A&R / FRIENDSHIP.
Track:
1.Play
2.HYS
3.Drive Living Dead
4.Autopilot
試聴はこちら
LINK
オフィシャルサイト@enfants_jp
@enfants_jp