2023.04.26
歌詞もそんな作風とリンクするように「佐々木亮介」の人間性がそのまま表れていて、〈俺はハリボテ〉と自分に絶望しながらも、それを誰もが知る熊のグミをモチーフに「HARIBO IS MY GOD」とキュートに表現しているのがなんとも佐々木らしい。自分をさらけ出すことによって初めて救われるような感覚は、日本人ならではのゴスペル的な表現とも言えるように思う。
自分から出てきたものを精一杯面白がりたい
―『HARIBO IS MY GOD』はつい先日まで5曲入りと聞いていたのですが、急遽7曲入りになったそうですね。
佐々木:もともとは去年先行で配信した3曲(「自由研究」「JUDY JUDY JUDY」「夢は呪い」)と、「HARIBO IS MY GOD」ができてて、あと2曲新しい曲を作ってたんです。でもその2曲がどうしても間に合わなそうだったので、過去のデモを聴き直して、その中から結果的に3曲(「小さな世界」「Long Island iced-tea」「よしこさん」)をギリギリまで仕上げた感じです。曲自体は常に作ってて、5割くらいまで作るのは楽しいんですけど、10割まで持っていくためには締め切りが必要で。でも不思議なことに、締め切りを決めるとそれまでやってもやっても答えが出なかったものが、締め切り3日前くらいに急にわかったりするんです。で、それまで一生懸命作ってた曲を「やっぱりこれじゃない」って捨てて、そこからまた他の曲に手を出したりして、ギリギリまでいろいろ変わったのをスタッフに受け止めてもらいました。
―夏休みの自由研究もそうですよね。8月31日が見えてきたころにやっとはかどり出すっていう。
佐々木:そうですよね。フラッドはいろんな目標を持って活動してる部分があるんですけど、ソロに関してはホントに自由研究というか、その都度生きててマックスまで頑張ったレポートを提出してる感じがあるんですよね。これまで経験してきたこと、学んできたなにか、自分のしょぼさに気づいたこととか、そういうのを全部一回作品にするっていうことを、断続的にやってるというか。
―当初はメンフィスでのレコーディングも計画していたそうですね。
佐々木:「夢は呪い」という曲を結構気に入ってて、この曲をメンフィスで録りたくて、最初はその方向で走ってたんです。『LEO』(2017年リリースの1stソロアルバム)のときに使ったROYAL STUDIOのブー・ミッチェルがシルク・ソニックのプロジェクトを終えたタイミングだったから、連絡してデモを聴かせたら、「いいじゃん、やろうよ」みたいな話になったから、行けるかなと思ってたんですけど、また別のことで忙しくなっちゃったみたいで。別に断られたわけじゃないけど、「どうしよっか」ってところから結構時間が経っちゃって、「これずっと待ってたら俺死んじゃうな」と思って(笑)。なので、根本的な部分を他力本願にするのはやめて、ひとまず自力でできるところまでやろうと思って、デスクトップと向き合うことにしたんです。
―それで今回はひとりでミックス・マスタリングまでやることにしたと。
佐々木:そうなんです。で、そうやってひとりで曲を作ってると、今回歌ってることそのままなんですけど、いかに自分に中身がないか、いかに自分がハリボテかっていうことをすごく思ったんです。確固たる信念とか、メッセージみたいなものを自分も持ってると思ってたんですけど、なかったんですよ。ただジタバタしてるのをそのまま音楽にしてるだけで、そうやって自分を追い詰めて出てきた言葉の中に、自分が思ってることが出てくるのかなって。自分の中身のなさに最初気付いたときはすげえ情けない気持ちになったんですけど、でもそれが自分だと思ったし、自分が出てない音楽なんてこれ以上作ってもしょうがないと思ったんですよね。そうやって自分から出てきたものを精一杯面白がりたいし、それが誰かにとっても面白いものだったらいいなって、その欲張りでリリースしてる感じなんです。
絶望してるくせに、まだつかめる藁を探してるような、その情けなさがある
―今おっしゃったことはまさに「HARIBO IS MY GOD」の歌詞に表れているわけですけど、〈昨晩たなしんsaid りょうちゃん歌うことないね? さすがご存じで〉っていうのは実話に基づいているわけですか?
佐々木:言われましたね(笑)。滅多にないことなんですけど、フルカワユタカさん、忘れらんねえよの柴田(隆浩)さん、中田裕二さんと俺っていう、ボーカル4人集まって飲む機会があって、行ったらそこにたなしん(グッドモーニングアメリカ)もいて。で、「どんな歌を書いてるか」みたいな話になったときに、たなしんが「フルカワさんはギターと歌がすごく好きなのが伝わってくる」とか「柴田さんは童貞みたいなテーマがはっきりある」とか言ってて、でも俺は「りょうちゃんとは昔から一緒にやってるけど、歌うことないよね」って言われて。そこで「この野郎!」ってぶん殴った方が話としては面白かったんですけど(笑)、でも「そうなんだよね」ってなっちゃったんですよ。36歳にもなると自分を褒めてくれる人たちとの付き合いしかなくなってくるから、「この感じめっちゃひさしぶり」とか思ったりして。
―たしかに、だんだんそうなりますよね。
佐々木:そのときちょうど曲を作ってたから、単純に「これそのまま書いたら面白いな」と思ったし、「たしかに歌うことないんだよな」と思ったから、それをそのまま書いたっていう。「ハリボテ」からHARIBOを連想して、あれも「熊と言えば熊」だけど、自分も「ミュージシャンと言えばミュージシャン」くらいだなと思って、HARIBOっぽいなって。「この部分が自分の武器だ」みたいに主張する気も、もはやないというか、大事にしたのは音も歌詞も含めてただ自分でいること。それこそ誰かに何かを言われたとしても、自分でいられるかどうかを試し続けるしかないなって。自分がこの世の中をどういう態度で生きていくのか、情けなさやダメさも認めつつ発表しないと、音楽をやる意味がどんどんなくなっていくなと思ったんです。だから、とにかく自分に起きたことを何でも書こうと思ったし、「それでも明日は」みたいに強がってる自分を書くのはすごく嘘くさいと思ったので、きれいごとも言いたいけど、「僕はきれいごとを言ってます」っていうところまで書くことにしたんです。
―2月に出たフラッドの新作『花降る夜に不滅の歌を』の歌詞も「自分をさらけ出す」ということがテーマになっていたと思うし、そこにはリンクもありますよね。
佐々木:そうですね。ソロの影響はすごくデカくて、「JUDY JUDY JUDY」はすごく気に入ってる曲なんですけど、あの曲のトラックができて、ミックスまでやるって決めたときに、最初はすごいダメなミックスだと思ったんですけど、音でさらけ出してると思ったんです。誰かにお金を払ってやってもらうんじゃなくて、手の届く範囲でマックスまでやった自分がこれだなって、「JUDY JUDY JUDY」を作ってすごく思って、これだったら歌詞も、もっとあるんじゃないかなって。バンドに合わせてとか、ライブをイメージしてとかじゃなくて、音に導かれるまま自分をそのまま書いたのが「JUDY JUDY JUDY」の歌詞で、これはホントに何か「ぶってない」自分だと思ったんです。自分の好きな部分も嫌いな部分も全部入ってて、それができたときに「俺これしか歌うことないじゃん」と思って、それでフラッドの曲の歌詞もどんどんそうなっていったから、繋がってると思います。
―そこで出てきたのが〈この人生もうバイバイ〉なのもすごいですよね。『Rainbow Pizza』(2019年リリースのソロ2ndアルバム)のリリース時にアルバムに参加していたROTH BART BARONの三船(雅也)さんと対談をしてもらって、そのときに「ポジティブに絶望してる」という話になったのをすごく覚えてるんですけど、やはりそこは佐々木さんらしさで、今回より強く出ているようにも感じました。
佐々木:〈この人生もうバイバイ〉は「これまでの人生にバイバイしたい」って読めれば、ギリギリ前向きかなって。「HARIBO IS MY GOD」の歌詞に〈全然ネアカ〉ってあって、それもたなしんに言われたんですよ。「歌うことないね」って、プロレス的にある種ケンカを売ったのに、「そうなんですよ」って返ってきたから、「りょうちゃんってネアカだよね」って。それって「ポジティブに絶望してる」みたいなこととも近くて、俺はずっとそうかもしれない。今回のアートワークは友達の平松(典己)くんっていう画家に曲を聴いて描いてもらったんですけど、目の焦点が合ってなくて、むなしそうで、頭の植物はもう枯れちゃってるんだけど、でもギリギリ笑ってるっていう、これは見事に俺だなと思ったんですよ。
―顔ジャケという意味では『花降る夜に不滅の歌を』の奈良美智さんによるジャケともリンクしてますよね。あっちのジャケも何とも言えない表情をしてるんだけど、ソロに比べるともう少し明るいトーンなのは、バンドの作品だからこそかなって。
佐々木:ソロの方はすがってる感があるんです。絶望してるくせに、まだつかめる藁を探してるような、その情けなさがある。バンドが最高なのはメンバーがいるってことで、それでフラッドのジャケはギリギリ明るくなってるのかもしれないけど、ひとりになるとこうなるっていう。でも暗さをキャラクターにしようとは思ってなくて、「HARIBO IS MY GOD」はハリボテっぽいギターリフを意識してるんですけど、もっとやろうと思えばマリリン・マンソンみたいにメイクをして、ホラーっぽさを出したり、それこそプロレス的な見せ方もできたかもしれないけど、それはできないし、したくない。それをやっちゃうと自分じゃないと思ったときに、平松くんがこの絵を描いてくれて、すごいしっくり来たんですよね。
迷子っていうことが今の自分にとってアートのチャンス
―アルバムの音楽的な方向性については、どの程度青写真がありましたか?
佐々木:ソロはバンドと違って何でもありなんですけど、ホントはもっと引き算をした方がかっこいいというか、音楽の評価の中に「無駄な音が少ない」とか「一個一個の音に意味がある」っていうのがあって、自分もそう思うんですけど、でもそれをやらないようにしようっていうのがコンセプトというか。「HARIBO IS MY GOD」のミックスをしたときは、音がどんどんつぶれて何をやってるかわからないようにしたくて、後半はとにかく人の耳を傷つけたい、聴いてて止めたくなる音楽にしたいと思ってたんです。これもまた矛盾してるんですけど、絶望してるようでいて、それを楽しみたいっていうポジティブが乗っかってきて、音数がだんだん増えていくことで思考がウワーッてなっていく感じを出せたらなって。
―特定のアーティストやジャンルがリファレンスとしてあったわけではないと。
佐々木:いろいろ新しい音楽を聴いてはいるので、何かしら影響は受けてると思うんですけど、「これならいい感じだな」とか「これやったらおしゃれだな」とか、そっちには行きたくなくて、なるべく恥ずかしいところを見せようっていうのがありました。フラッドのミックスをやってくれてる池内(亮)さんと話したときに、「リファレンスがあっても全然思った通りにならなくて困ってます」みたいなことを言ったら、「できてない方がいいんじゃない」みたいなことを言われて、それもそうだなと思ったり。まあ、サウンドそのものではなくて、態度的にラーニングできたのは韓国のMudd The Studentですかね。池内さんに教えてもらって、彼も自分でミックスしていて、すごく上手いんですけど、やりたいことを際限なくやろうとしてるのが伝わってきて、その態度がすごくいいなと思ったんです。
―FRIENDSHIP.のキュレーターをやってるのでデモテープを聴く機会が多いんですけど、やっぱり最近のDAWで作られてる音源はきれいにまとまってたり、完成度の高いものは多いんですよね。ただ「これは聴いたことがない」みたいな独自の個性を持っている音源は逆に少なくて、今はそっちの方が価値があるようにも思います。
佐々木:ちょっと話がそれるかもしれないけど、昨日洋服を買おうと思って悩んでたんですよ。古着屋で全身いい感じにコーディネートするのも違うし、今セリーヌのデザインをエディ・スリマンがやってて、ストロークスとかリバティーンズをもう少しきれいにした感じだったりするけど、「ハイパーポップを聴いてる俺はもうリバティーンズには戻れない」とか思って。でもセレクトショップはさっきのDAWの話にも近くて、きれいにはまとまるけどでも......って感じで、結局どこの服も上手く買えない、みたいになってて(笑)。
―楽曲制作の比喩としても納得です(笑)。
佐々木:でもチャレンジ精神を失って、今まで通りの俺でいいやって思うほど過去の自分を評価もしてないし、すごい迷子なんですよね。でもだったらその迷子っていうことが今の自分にとってアートのチャンスだと思って、それを全力で書き切れたらなって。みんなどこかでかっこつけたいし、「さらけ出す」にしても過去に戻っていくと思うけど、「今困ってる」ってことをちゃんと書こうと思ったんです。
―何かをそのままトレースするんじゃなくて、いろんなものを混ぜてオリジナリティを生み出していく佐々木さんの作家性と、ハイパーポップというジャンルの成り立ちには近しいものを感じたりもしてるんですけど、ハイパーポップはよく聴かれてるんですか?
佐々木:それだけにめっちゃハマってるというよりは、新しいものを聴いてると避けては通れない、くらいの感じではあります。逆にそこに接続されないようなもので、でもハイパーハイパーポップみたいな状態まで行けたらいいなとは思ってますね。ラップとブルースって似てると思ってて、ブルースは「ライトニン・ホプキンス」みたいに名乗って、12小節で、シャッフルビートで、3コードでっていう中に、自分のキャラを持ち寄るわけじゃないですか。ラップもそうで、「Lil~」みたいな名前を付けて、今だったらトラップのビートに自分のキャラを乗せていく。自分はどこかに参加してるつもりはないけど、しいて言えば「今の面白い音楽」ではありたいと思っていて、そこにどんなキャラで参戦するかというと、「日本語ロックンローラー」なんですよね。どういう音楽を作るにしても、ギターは絶対に捨てられない。「ベンジーごっこ」とか「チバさんごっこ」って言われながらやってきた俺が、自分の声やギターをトラックメイクの中で爆発させることができれば、少なくともそれは自分だけのものになるんじゃないかって、そこは信じたいなと思っていて。
―「JUDY JUDY JUDY」はまさにそんな一曲だと思います。エモトラップとのリンクもあると思うけど、でもこれはラッパーではなくて、ロックンローラーの作る一曲だなって。
佐々木:これはアメリカ人はやらないと思うので、そう思ってくれるならうれしいですね。
ハイパーポップは「ハリボテでいい」って言ってくれてる感じがする
―「Long Island Iced-tea」はハイパーポップを意識して作ったというわけではない?
佐々木:あの曲はいちばん「ハリボテ」っていうテーマに沿って作った曲なので、ある意味いちばんコンセプチュアルですね。何年か前に初めてガレージバンドで作ろうって決めたときの、誰でも使えるサンプルしか入れてないので、ガレージバンドを使ったことがある人なら、「これをこんな恥ずかしげもなく使ってるやついなくね?」ってなると思います。ただ、そこにギターを入れたり、最後にトラックを作り直して、ミックスもし直してるので、ビートとかはもう少し今の耳で作りました。自分でトラックメイクをしてる人のラップの歌詞で「俺はサンプルを並べてるだけじゃねえ」みたいなのをよく聴くから、これも逆張りですけど、「俺はサンプルを並べるだけでもいいと思ってる。それくらい俺は中身がない」っていう。
―歌詞もジャンルを混ぜる感覚を意識しているのかなと思ったのですが、そういうわけでもない?
佐々木:それもなくはないですけど、ハイパーポップでいちばんうれしくなるポイントは新しさとか混ざり方よりも、「ハリボテでいい」って言ってくれてる感じがするんですよね。ハイパーポップの人たちのライブを観ると、ホントしょぼいんですよ(笑)。音源かけてみんなでキャイキャイしてるだけで、音圧もないし、迫力もグルーヴもなくて、でもそこがよくて。オーセンシティシィとか本物感、批評的な正しさを求められがちだけど、彼らのライブはそこを全然意識してなくて、自分もそうだからそれが気持ちいいんです。本物に対しての逆張りを意図的にやってる人は志が高いなと思うけど、自分はただしっくりくるというか、許される感覚が好きで。自分ひとりでトラックを作ったものの、出し場がなくて困ってたところから、ソロを始めて、「こんな俺でも出していいんだ」と思えたときの感じにしっくり来たんですよね。「本物になろう」とか思ってなくて、ただ「これを吐き出さないとやってられない」みたいな感覚。この間NHKのラジオに出て、ハイパーポップとかのかけたい音源を提出したら、全部ダメだったんですよ。JASRACに登録されてないから。みんなちゃんと売ろうとしてなくて、とりあえず出してて、その感じもすごいわかるなと思ったし、今度対バンする(No Busesの近藤大彗のソロプロジェクト)Cwondoくんもそうで、No BusesのMVはある種の戦略も感じるんだけど......。
―CwondoのMVのDIY感は最高ですよね。
佐々木:最高っすよね。「これでいいんだな」と思うし、でも開き直りというわけでもなくて、あと何年か後に第一線のポップミュージシャンたちがこれを取り入れてるだろうなってわかる感じ。カート・コバーンのボロボロのズボンを、何年かしてハイブランドがみんな取り入れるみたいな。あのハリボテ感はこれからみんなやり出すだろうし、もうそうなってきてるかも。別に自分に先見の明があるって言いたいわけじゃなくて、今の自分にはそれがしっくりくるってだけだけど、Cwondoくんがやってることには先見の明があるように見える。
―No Busesではあくまでバンドとして表現しつつ、ソロでは自分から出てくるものをとにかく吐き出してる感じが、佐々木さんのフラッドとソロの関係値とも似ていて、おふたりが共演するのを知って、「なるほど!」と思ったんですよね。
佐々木:もともとシカゴでのレコーディングから帰ってきたその日に、SANABAGUN.の(澤村)一平と2人でRUDE GALLERYのオールナイトイベントに出て、そこにNo Busesも出てて、すごいかっこいいバンドだなと思って。そしたらそこに彼らをプロデュースしてる(岩本)岳士もいて、紹介してくれて、近藤くんが「フラッド聴いてました」って言ってくれたのがめっちゃ嬉しくて。「いつか一緒にやろうね」って話をしたのが、4年越しにやっと叶いました。
傷つくことは嫌ですけど、それが全くないところでは成長できない
―7曲目の「よしこさん」はパーソナルなテーマの曲かと思うのですが、なぜこの曲を最後に入れようと思ったのでしょうか?
佐々木:この曲はもともとバンドのことを考えずにひとりで何でも作ってみようと思って作った最初の曲だったんです。フラッドの「花」を作った時期で、今年出たアルバムを作ったときとも近いんですけど、当時歌詞を書くのがすごくしんどくて、しかも今以上に視野も狭かったから、音楽を作ることの楽しさを忘れちゃうくらいのところまで行っちゃって。なので、音楽の楽しさを取り戻すためにソロで曲を作り始めたんですけど、ビートルズっぽいメロトロンを使って、当時のカニエ・ウェストがやってたようにオートチューンで歌って、「よしこさん」っていうタイトルをつけるっていう、バンドでは絶対にやらなそうなことをやって。結局そのときリリースはしなかったけど、それを一回形にしたことで、今の自分が始まったというか。それ以前の自分だったら絶対髪をピンクになんてしなかったと思うけど、「思いつきで生きてもいいか」ってなって、そこから今の自分が始まった気がするんですよね。
―歌詞を読むと、別れの曲なのかなと。
佐々木:よしこさんはもう亡くなってしまったんですけど、最後はボケちゃって、話しかけても的外れなことを言ったり、会話がずれちゃったりして。でも心のどこかでちゃんと伝わってると思い込んでる自分もいて、この感じが自分の生きてる態度かもと思ったんです。なので、音楽のスタイルとして、自分をもっと出してもいいなと思った最初の曲でもあるし、自分が誰かと関わるうえでの根本的な考え方の表れてる曲でもあるなって。ちょっとお花畑っぽいというか、それこそネアカな部分。会話ができてないのに、絶望し切れてない、それが自分なのかもなって。今回新曲を作るのはもう無理だと思って、昔のデモを聴き返したときにこれを見つけて、今の自分にとってこの曲が必要かもしれないと思ったんです。
―「HARIBO IS MY GOD」とともにアルバムの精神性を象徴する曲になってますね。ちなみに、「よしこさん」はご親族の方ですか?
佐々木:そうです。すごく悲しかったのが、よしこさんが亡くなったときに、お金をたくさん払って立派な戒名をつけたんですよ。でも俺はそれが寂しくて、「よしこさんなんだからよしこさんって書けよ」みたいに思って、自分が墓碑銘を与えるなら「よしこさん」かなって。自分が経験してきた大小全てのことから生まれる態度を出した方がいいと思うから、戦争の話もすれば、よしこさんの話もするっていう方が俺にはしっくりくるんですよね。
―そういう大小の様々な出来事に直面しながら、このジャケットのような顔を佐々木さんがしている。作品全体からそんなムードが伝わってきます。
佐々木:無邪気に誰かを肯定するような曲は今の自分には書けないですけど、またそういう歌を改めて歌おうと思ったときに、今回出したような部分もあると、また違った聴こえ方をするかもなっていうのもあって。ずっと辻褄合わせをしてるというか、自分の曲にはそういう虚しさがあることにも気づいてしまったけど、「誰かを勇気づけよう」とも思ってないし、辻褄を合わせながら生きてる人はいっぱいいると思うから、そういう人たちが何かを感じてくれればいいなって。
―今回は残念ながらメンフィスには行けませんでしたが、次こそは行きたいですか?
佐々木:絶対行きたいですね。メンフィスに行ってもシカゴに行っても、「できたな」じゃなくて、「恥かいたな」って思うんですよ。自分の底の浅さを自分が尊敬してる人たちに見られたなって思う。でもそれで気づくことがあって、それがあったから今回ひとりでミックスまでやれたんだと思うし。だから、ホントにたなしんには感謝してます(笑)。傷つくことは嫌ですけど、でもそれが全くないところでは成長できないと思う。みんなにそうしろって言ってるわけじゃないけど、俺は傷つかないと気付けないんですよ。飛び込んで、恥かいて、傷ついて、そこから学んだことを、またレポートしたいなと思います。
取材・文:金子厚武
撮影:RYO SATO
RELEASE INFORMATION
佐々木亮介「HARIBO IS MY GOD」
2023年4月26日(水)
Format:Digital
Track:
1.HARIBO IS MY GOD
2.JUDY JUDY JUDY
3.小さな世界
4.Long Island Iced-tea
5.夢は呪い
6.自由研究
7.よしこさん
試聴はこちら
Music Video
LIVE INFORMATION
Ryosuke Sasaki LEO presents "自由研究 I"
2023年4月27日(木)新代田FEVER
open 18:30/start 19:00
ACT:佐々木亮介、Cwondo