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2022.02.10
【読むラジオ】MC:松本大 プロデューサー/エンジニア 生駒龍之介ゲスト出演「Room H」 -2022.02.09-
FM福岡で毎週水曜日 26:00~26:55にオンエアしている音楽番組「Room "H"」。九州にゆかりのある3組のバンド、ユアネスの黒川侑司、松本 大、odolの森山公稀が週替わりでMCを務め、彼らが紹介したい音楽をお届けし、またここだけでしか聴けない演奏も発信していく。
今週のMCは、松本 大が担当。SENSAでは、オンエア内容を一部レポート!(聴き逃した方やもう一度聴きたい方は、radiko タイムフリーをご利用下さい。)
松本:FM福岡から松本大がお送りしているRoom "H"。ここからは@リビングルーム拡大版、お客様に来ていただいております。レコーディングエンジニア/サウンドプロデューサーの生駒龍之介さんです。こんばんは!
生駒:こんばんは生駒龍之介です。
松本:よろしくお願いします。僕らのレコーディングとかをやってくれている生駒さんなんですが、生駒さんには今週ともう1週の2週にわたって登場していただきます。まずは1週目、よろしくお願いします。なんか硬くないですか、大丈夫ですか?
生駒:めちゃめちゃ硬いね(笑)。
松本:緊張してる(笑)?
生駒:大の前で喋るのは緊張するんだよ。
松本:何でですか。
生駒:(笑)。
松本:もう結構長い仲じゃないですか(笑)!そんな我々の出会いなんですが、LAMP IN TERRENの作品づくりで 『The Naked Blues』というアルバムからかなり深く関わっていただいております。お互いの初対面の印象は?ということなのですが、初対面の印象覚えてます?
生駒:なんかね、普通に歌を聴く前は、大の雰囲気で「こいつ話しづらいやつなのかな」って一瞬思ってたのね。でも歌声を聴いた後は、今度は逆に自分も昔歌ってたから、理想像みたいなのがそこにいるから、もうこっちからすると変な緊張をするようになって。逆に対峙している感じの雰囲気は今も昔も変わんない。
松本:そうなんですね。
生駒:変に血流が高くなるというか。
松本:なるほど、どっちにしろ喋りづらいという(笑)。
生駒:(笑)。
松本:なんか切ないですね(笑)。そういえば、僕は最初生駒さんのスタジオに行ったときびっくりしました。レコーディングが進んでいく中で、『The Naked Blues』を録っているのは生駒さんの家じゃないですか?ちゃんとドラムとかは別のスタジオで録って、ギターとかから生駒さんの家のスタジオを使わせてもらってたんですよね。3階建てになってて、1階が普通にギターとか録れるような、コントロールルームもあるスタジオになってて、2階が憩いの場みたいな感じのところになって、3階もまたレコーディングブースとピアノが置いてあるボーカルブースとコントロールルームになってて、2階がマジで田舎の高校生の部屋みたいな感じになっているんですよね。
生駒:(笑)。
松本:雑誌というかマガジンみたいなのが置いてあって(笑)。僕、あの部屋めっちゃ好きなんですよ。一度LAMP IN TERRENの「SEARCH ONLINE」って企画をやった時の写真で使わせてもらったんですけど、あの部屋めちゃくちゃ気に入っているんですよね。結構あそこで寝たりしたもんね。
生駒:たしかにね。作業場になってたね。
松本:まずは生駒さんのプロフィールを簡単にご紹介します。1976年生まれ香川県、うどん県ご出身の日本の音楽プロデューサー/エンジニア/作曲家・編曲家/マルチプレイヤーとたくさんの肩書きがございますが、ご自身で名乗られる際の肩書きは?
生駒:プロデューサー/エンジニアかな。
松本:Wikipediaによると高校時代は、ギター同好会に入っていたとか。最初に手にした楽器はギターですか?
生駒:お金がなくて、当時Xが流行ってて。
松本:X Japan?
生駒:そうそう。X Japanになる前、Xだったんだよ。
松本:X Japan、Xという時代があったんですか?
生駒:そうなんだよ。アメリカ進出するときに、X Japanになったんだよね。それでXが流行ってて、その時のデモテープかなにかを、千葉にいたうちの姉貴の友達が送ってきて、それを聴いて衝撃受けて、「これコピーしようぜ」ってなったんだけど、みんな楽器が初めてで、俺はその時にギターやりたかったんだけど、周りのやつらが旅館の息子とか、弁当屋の息子とか、そういうちょっとお金持ってる人が多かったから、「早いもの順でいいんじゃない?」となって。2日後くらいには、ギターとかベースとか全部埋まったのよ。
松本:なるほど!
生駒:じゃあどうするかってなったら、「あ、ボーカルだったらマイクとかいらなくない?」と思って、「じゃあ、ボー...」と言い出したら、隣のやつが「俺ボーカルやるから」と言って、「生駒、スティック買えばドラムできるからさ」ということで、「ドラムはリハスタにあるから、ドラムいらないじゃん」って言われて、「じゃあスティック買って、ドラム始めるわ」から始まった。
松本:へー!ドラムだったんですね。もうずっとドラムやっていたということ?
生駒:中学校の2年間やってたね。
松本:他にもいろいろ楽器できるんですか?
生駒:すごい中途半端に大体やるという感じかな。
松本:ベースもピアノもってこと?
生駒:そうだね。いろんな楽器を大体中途半端に、大体やるって感じです。
松本:全部独学ですか?
生駒:そうだね。
松本:独学で楽器を弾けるようになるんですよね。俺も独学でピアノを弾けるようになったので、皆さん頑張って下さい。ということで最初に曲を作ったのは何歳の時でしたか?
生駒:高校2年生の時かな。
松本:どんな曲だったか覚えてます?
生駒:B'zみたいな打ち込みのアッパーで、誰もやってないことやりたい感じがあって。昔、自分の実家は、香川の観音寺という田舎だから、普通にJUN SKY WALKER(S)とか、当時のいわゆるロックバンド、THE BLUE HEARTSとかをカバーしてる人ばかりだったんだよね。そんな中でYAMAHAのEOSっていうシーケンサがあるキーボードがあるんだけど、そのキーボードと外部のシーケンサーだけのマシーン、打ち込むだけのマシーンを用意して、完全に打ち込みだけでドラムもベースも全部同期で出して、俺がギターを弾き、しかもそのYAMAHAのシーケンサを再生すると、MIDIというのに繋がってて、俺のギターのマルチエフェクターが常にステージの前にいても、勝手に音色がどんどん変わっていくみたいなことをやってた。もう何年前なんだろうという話だけど。
松本:最初からかなりテクいことやってますね(笑)。
生駒:そうなんだよ(笑)。トラブルが起きて当たり前みたいなことをやってたね。
松本:打ち込みをその段階でできるのがすごいですね。
生駒:好きだったからね。
松本:俺なにやってたかな。でもギターを持って作って、ふと「こんな感じ!」とメンバーに言いながらやってるだけだったかな、最初の方は。
生駒:でも最初弾き語りっぽいのをやってはいたんだけど、やっぱカバーだったんだよね。オリジナルでやろうと思ったら、「こういうのどうやってやるんだろう?」と思って、ピコピコ打ち込んで、キーボードやってたやつと一緒にずっと作ってた。
松本:へえ〜でもいいですね。俺は最初の14歳の時に、それまで幼稚園から好きだった女の子がいたんですけど、その子に当てたラブレターみたいな曲でしたよ(笑)。
生駒:(笑)。
松本:激フォークソングでしたね。
生駒:でもそこはちょっと似てる気がする(笑)。
松本:今の仕事を目指そうと思ったのはいつ頃ですか?でも生駒さんって、"ここからエンジニア"っていう感じじゃないですもんね?
生駒:じゃないよ。
松本:そうですよね。ヌルッとやってますもんね。
生駒:高校2年の時に曲を書いて、ギター弾いてでやってる時に、漠然とプロになりたいなって、「ギターでプロになりたいなー」みたいなのを漠然とは思ってたんだけど。そんな断固たる決意みたいなわけでもなく。
松本:じゃあ今の仕事とか、総じてプレイヤーとしての原点ってどこなんですか?きっかけというか。
生駒:基本的にはシンガー・ソングライターになりたいというのがありました。大阪に出たその日の夜に、見に行った大阪のバンドのライブで挫折しました。自分から見たら、「これがギタリストなのか」っていう自分の考えが甘すぎて、「俺はギタープレイヤーだったんだな」みたいな、ギターをちょっとそっと置くような、そういう出来事があって。
それでそこから自分が詩を書いて、曲書いて、歌ってみたいなことでも、自分1人ででも音楽できるじゃないかと思って、シンガー・ソングライターをやってました。それでオーディションいっぱい受けてたんだけど、ことごとく落ちて、でも諦められなくて東京出て行った時に、新人発掘やってるソニーミュージックグループのオーディションで、自分が一緒にやってた女の子がたまたま通って、「そのアレンジやってるやつ面白いじゃん、一緒に呼んできてよ」って言われて、呼ばれて入ったのが初めて。
松本:じゃあエンジニア業をやってみようかなと思ったきっかけは、どこだったんですか?
生駒:それはものすごく覚えてて。昔からNirvanaがすごく好きだったんだけど、「Nirvanaって、何でNirvanaなのか」というか、「なんでああいう音なんだろう」って考えたこともなかったんだよね。当時若い時は、その音を漠然と聴いて「かっこいい」と思ってただけで、そこからいろんな新人発掘の仕事だったり、クリエイティブとかもいろいろ手伝ってやってる間に、Nirvanaのプロデューサーがブッチ・ヴィグっていうんだけど、「そのブッチ・ヴィグという人は、どういう人なのか?」というのに興味が湧いて、いろいろ掘っていったら、海外というのはトラックメイク、コンポーズ、ミックス、そういうのって垣根がなくて全部1なんですよね。エンジニアさんはエンジニアで、曲を書く人は曲書く人でというよりかは、基本的には全部自分でメイキングするというのが主流というか、そうなんだというのが分かって、自分で曲も作れるし、提案もできるし、自分で音も録れてミックスまで出来るような、トータルな仕事ができる人になりたいってそこで初めて思ったんだよね。
松本:なるほど。
生駒:そこから足掛け10年ぐらいかな?編曲とかをずっとやりながら、プロデュース業やって、35〜36歳にようやくエンジニア・プロデューサーとしてちゃんと仕事をもらうようになったという。
松本:なるほど。
生駒:夢まで行くには、結構長かったんですけどね。
松本:そうですね。35〜36歳って、俺の5年後くらいですよね?そんな長かったという感覚はないですね、自分が30近いからかもしれないけど(笑)。
生駒:まあ(笑)。
松本:(笑)。ということでこの辺りで1曲、音楽をお届けします。ここでは生駒さんの音楽の仕事に導いてくれたルーツソング的な1曲を選んでもらえました。どんな曲ですか?
生駒:尾崎豊の「街路樹」ですね。
松本:この曲はどんな理由で選曲されましたか?
生駒:さっき大が言ったんだけど、高校の時にそもそもギターというものをずっと弾いてた俺は、歪んでるギターのカッコ良さみたいな、あとステージングで派手に動き回るギタリストとか、そういうカッコ良さや憧れしかなかったんだけど。その時にすごく自分が好きになった女の子が、とにかく尾崎が好きだから、学園祭で歌いたいから、この曲のギター弾いてくれと。3曲あるんだけど、「別にいいよ、余裕だよ」と言ってかっこつけて、当時MDディスクにまとめてもらって、それをもらい、家で聴いてコピーしてて、「全然余裕だね」と思いながらやってたら、何回も聴いている間に気付いたら、歌と歌詞しか入って来なくなってしまって、その歌詞に全部頭を洗脳されて。泣きのギターとかいうけど、本当にそのギターを弾いて、泣く人ってあんまりいないんだけど、言葉ってやっぱり直接ダイレクトに人に届くんだなっていう感動があって、それがもう俺の中の一大転換だったんだよ。
松本:なるほどね。
生駒:それが無かったら、歌詞沁みるとか泣くみたいなことはなかった。
松本:なるほど。あるよね、そういうことね。
松本:さてまず今ラジオを聴いている人の中には、レコーディングエンジニアってどんなことをするんだろう?って思ってる人も多いかもしれません。俺にとっては、自分の深い海に潜っていく作業を、溺れ死なないように監督してくれてる人だという(笑)。
生駒:(笑)。うまい!
松本:本当にアップダウン激しい、曲作りとかそういう感じなんですけど、自分の底に潜って行って、それを水面に持って行かなきゃいけないという作業を繰り返していく中で、やっぱ1人で潜って行ったりする作業だったりするので、自分が持ってきたものが何なのかわからないという。それを生駒さんと精査しながら、「これはいいよね、あれはいいよね。これ使えるよね、これいいよね」みたいなことを言い合って、その作業に永遠に付き合ってくれるのは生駒さんだけというか。普通はスタジオを使っているので、時間があるわけですよ。でも僕がこれ完全に甘えちゃったんですけど、生駒さんは生駒さん家なので朝までいっても、お金かからないみたいな(笑)。
生駒:いやいや一応あるんだけどね(笑)。
松本:そうですよね(笑)。だからそういう感じで完全に甘えちゃってますね。でもどこまでも嫌な顔せずに付き合ってくれるので。
生駒:嫌な顔は当然しない。やっぱ忍耐だから、エンジニアって。
松本:へえ〜。聞いたかエンジニアを目指している皆の衆(笑)。
生駒:(笑)。
松本:こういう俺みたいな人間がいるから、忍耐の作業が必要だよという。他の人のときも忍耐が必要だったりするんですか?
生駒:エンジニアになってからというか、プロデューサー・エンジニアと自分で思っているけど、そういう立ち位置になってからは、一番大変なのはやっぱり大じゃないかな?
松本:俺でした(笑)。
生駒:アレンジやっているのも、その時から含めて考えると、忍耐のことって、音楽のことを裏方で支えるのって、やっぱそうだと思うんだよね。アーティストがいて、その表現したいものを、さっきは海で表現してたけど、潜ったところの温度が、発想したものによってどんどん変わっていったりもするじゃん?その時にその温度に合わせてあげて、それがもっとよくなる方向に取るにはどうしたらいいかとか、こんな風にしたらいいんじゃないかという提案をやっていくのって、やっぱじっとそこで聴いて、その音を聴いて自分が反応できるようにしておかなきゃいけないじゃん?
松本:そうですね。
生駒:だからやっぱイライラして「何やってんだこれ」とか「この時間何?」みたいに言ってると、そういうのが浮かばなくなっちゃうから、結構フラットでいるように心がけてはいる。
松本:やっぱ生駒さんのすごさって、最初の方は俺の中であんまり気づけない部分だったんですよ。でもあとあとよく考えてみると、こういう風にしたいという俺の要望があって、その要望を叶えた上で、ちゃんと自分の見えてない部分、いわゆる低音の残し方だったり、これちょっと込み入った話になるのですが、そういうところまでちゃんとカバーしてもらってて。大体のエンジニアさんって、言ったらそれは叶えてくれるけど、それ以外の部分は別にカバーしてくれてないというパターンが多いんですけど。生駒さんは完成してみて、僕が言ってるだけの要望だったら、ものすごいチープな音になってるはずのものが、ちゃんと必要な音が出てるという事に気付かされたのって、生駒さん以外と仕事してる時だったりするんですよね。
生駒:なるほど。なんか嬉しいけど(笑)。
松本:俺にとってはめちゃくちゃ重要ですね。だから船がちゃんと用意されているイメージ。僕は潜って上がってくることを繰り返していく中で、ちゃんと船を用意してくれているという、そのぐらい重要な方ですね。
生駒:アーティストと仕事する時に、昔それこそ新人発掘の現場のところでいた自分の業界の師匠というか、きっかけなった人がいて、その人が僕に教えてくれたことで、「アーティストは神輿に乗る人だ」と。「神輿を担ぐ人間というのがスタッフで、神輿を担いでる自分が神輿に乗ろうとしたら、祭りは成立しないから、どれだけその神輿に乗ってるアーティストが輝くかを考えて、高くまで持ち上げようとする気持ちがあるかで、アーティストの輝きが変わる」というのをすごい教えられました。それで自分の座右の銘にしてるのが、アーティストにとっては本当に自分の一生をかけた1曲、僕ら裏方にして考えると、数多く出会う内の1曲。それを同じ天秤にかけちゃいけないんだよね、絶対。
松本:なるほど。
生駒:その気持ちを100%で答えられないんだったら、関わっちゃいけないんだよ。
松本:なるほど。いやー私は運のいい出会いをしております。
松本:さて生駒さんのプロの耳で聴いて、この曲のサウンドメイクはすごいと昔から思っている、思い入れのある曲は?その曲のサウンドのどの部分がすごいと思うのかもあわせて聞いてみたいなと思うんですけど。
生駒:これはちょっと真面目な、音楽話に繋がるというよりかは、自分の気持ち的な部分を支えるというか。
松本:マインド大事ですからね。
生駒:根本的な部分という意味で、自分が自信を失ったりとか、自分が歌を歌ってた時に自分の声はダメだなって思って、諦めようとした時とか、いろんな時に常にこの曲を聴いて「すげーな」というか、支えられたというか。そういう曲があって、それがSIONの「俺の声」という曲なんだけど。たしか山口出身なのかな?福岡の方で活動してたのかな。結構声なき声というか、声じゃないんだよね。歌声としてピッチがあるか、ないかとか言うんじゃない声で歌う人で。自分の音楽でいうところのソウルというか、そういうのを支えてる部分というか、根っこというか、そういう曲です。
松本:お送りしたのは、SIONで「俺の声」でした。ではここで松本も1曲。この曲のサウンドメイクはすごいと昔から思っている曲をかけます。昔からということだったので、自分のマインドで僕も選んでいます。"歌力"、割と俺がここに至るまで気持ちでメロディー作っているタイプだったりするので、その原体験というのがここなんだなと思う曲です。Queenで「We Are The Champions」。
松本:お送りしたのは、僕がサウンドメイクですごいと昔から思っている1曲、Queenで「We Are The Champions」でした。それでは生駒さんから見たミュージシャン、松本大ってどんなミュージシャンということなんですが、僕がどんな人間に見えているのか、どんな感覚なのか。僕について覚えてるエピソードみたいなのは?
生駒:一番最初に歌を録って、そこからたぶん「BABY STEP」をやるぐらいのタイミングだったのか。マイクにサインしてもらったのを覚えてる?
松本:覚えてます。
生駒:あのマイク自体が、俺がさっき言ってた敬愛しているブッチ・ヴィグという人が、Foo Fightersとかを録るときに使ってたマイクで、それをすごく探して、そのマイクと同じやつを買って、俺はマイク大好きだから、結構マイクを大事にするんですよ。そのマイクにサインを書いてもらうということって、自分の中でいう「自分の声がもしこうだったら」みたいなさっきの俺の声もそうだけど、俺は唯一無二に憧れたのさ。でもやっぱり生まれ持ったものは違うから、それで大のはじめて歌声を録ったときに、「自分もこんな風に生まれてたら良かったな」って思う人が目の前にいたから、サインもしてもらって、今でも緊張するのさ(笑)。
松本:本当に僕の音楽の歴史の中でも、マイクにサインしたのはかなり覚えてるエピソードです。僕は僕で、ものすごく声を評価されてきて、それは自分の作ってるものが評価されてないんじゃないか。自分が生まれ持ったものが先行しちゃってるんじゃないかという感覚がすごいあって、そこに対してネガティヴだった時期というのが、かなり長かったんですけど。結果としてそれは生まれ持ったものというか、魂を褒めてもらってるんだなという風に思えて、自分の中のポリープみたいなのはちゃんと取れたんですけど。でもそういうのがあったので、マイクにサインをした日、生駒さんの話も含めて、そこで完全に自分の中のポリープなくなった感覚があったんですよね。『The Naked Blues』ってアルバムを作ったのも、ポリープ取った直後ぐらいだったので。
生駒:そうだったよね。
松本:たぶん自分の中のシンガーとしての転換期だったように思います。自分の状況も含めて、あのレコーディングがあったこととか、ああいう風にサインを書いてくれって言われたこととか、生駒さんの俺の歌に対する感想とか、そういう話とかいろいろ聞いてて、自分が背負ってきた呪縛みたいなものから解き放たれる感覚があったのが、もう全てが『The Naked Blues』だったんですよね。
生駒:なるほどね。最初にかけてた尾崎豊も、すごく憧れて大好きだったし、そういう憧れていた人たちが歴史に残って、今でも誰かに影響を与えている人、亡くなった後もそういう風になってるような人。そういうような人になれるんじゃないかと俺は思って、「このマイクにいつか価値が出るんじゃないか」という笑い話をあの時にしながら書いてもらったじゃん?そういう期待感とかそういうのも持たせてくれるような、それってたぶん歌が上手いとか、声がいいだけじゃダメで、やっぱそれを持ってる雰囲気だったり、不器用な所だったり、大という人間って一言で言えないんだよ。形がわからないので。真っ直ぐ見たら、丸かもしれないけど、横から見たら四角みたいな、そういうようなもので、見る角度で全く形が違ってて、体調とかテンションによっても、やっぱり全然雰囲気も変われば、曲によってもやっぱりテンション感が変わるし、自信がある時とない時で顔も変わるし。
松本:たしかに。
生駒:そういうのを含めてやっぱアーティストなのよ。人間力というか。
松本:なるほど。そんな僕らと関わっていく中で、特に印象に残っている作品を1曲挙げるとするなら、どの曲になるでしょうか?
生駒:もうこれは間違いなく、「BABY STEP」です。
松本:なるほど!そうだよね。「BABY STEP」は初めてストリングスを生で入れたりしたし、それまでもたぶん打ち込みでも入れたことないし、レコーディングの途中に「これストリングスいるんじゃない?」みたいな話になって、なんとなく家でLogicで一旦作って、それを丸投げして、生駒さんが完璧に譜面に起こしてくれるという。
生駒:でもその後も、うちの2階でも大はずっとストリングス作ってたんだよ。
松本:あ、そうですね。だから「すげえな」と思っていました。
生駒:「こんな感じになってるんですよね」っていうのを俺は聴いた時に、「これは来るな」って俺の中でもう完全につかまれたものがあって。「これはもう絶対にストリングスは、生にした方がいい」という流れだったからね。あと歌詞だね。俺も抜けられない自分からそれをぶち破って、もう1つ前へ前へと思ってやってるタイプだから、その自分のその時にあった迷いだったり、葛藤みたいなものを全部解き放ってくれる曲だった。ぶっちゃけるとミックスやっている時は泣いてた。
松本:えー!でもミックスあがったとき、ブースの外でマネージャーが泣いてましたけどね(笑)。
生駒:(笑)。
松本:あれまじで面白かったですね。
生駒:でもあの曲はいまでもライブのときに必ずリハで飛ばしたりしてるけど、自分の中で思い浮かんで、どんどんそれを形にしていった時に、自分がやることで跳ね返ってくる音でよくなればなるほど、本当にもう鳥肌が立って、お世辞なく墓に持って行きたい曲の一つ。個人的にもというか、みんな好きだと思いますけど(笑)。
尾崎豊「街路樹」
SION「俺の声」
Queen「We Are The Champions」
LAMP IN TERREN「BABY STEP」
番組へのメッセージをお待ちしています。
Twitter #FM福岡 #RoomH をつけてツイートしてください。MC3人ともマメにメッセージをチェックしています。レポート記事の感想やリクエストなどもありましたら、#SENSA もつけてツイートしてください!
放送時間:毎週水曜日 26:00~26:55
放送局:FM福岡(radikoで全国で聴取可能)
黒川侑司(ユアネス Vo.&Gt.)
福岡で結成された4人組ロックバンド。感情の揺れが溢れ出し琴線に触れる声と表現力を併せ持つヴォーカルに、変拍子を織り交ぜる複雑なバンドアンサンブルとドラマティックなアレンジで、
詞世界を含め一つの物語を織りなすような楽曲を展開。
重厚な音の渦の中でもしっかり歌を聴かせることのできるLIVEパフォーマンスは、エモーショナルで稀有な存在感を放っている。2021年12月1日に初のフルアルバム「6 case」をリリース。
オフィシャルサイト/ @yourness_on/ @yourness_kuro
松本大
2006年に長崎県で結成。バンド名「LAMP IN TERREN」には「この世の微かな光」という意味が込められている。松本の描く人の内面を綴った歌詞と圧倒的な歌声、そしてその声を4人で鳴らす。聴く者の日常に彩りを与え、その背中を押す音楽を奏でる集団である。
2021年12月8日にEP「A Dream Of Dreams」を配信リリース。
オフィシャルサイト/ @lampinterren/ @pgt79 / @lampinterren
森山公稀(odol Piano&Synth.)
福岡出身のミゾベリョウ(Vo.)、森山公稀(Pf./Syn.)を中心に2014年東京にて結成した5人組。ジャンルを意識せず、自由にアレンジされる楽曲には独自の先進性とポピュラリティが混在し、新しい楽曲をリリースする度にodolらしさを更新している。
2022年1月26日に「望み」を配信リリース。
オフィシャルサイト/ @odol_jpn/ @KokiMoriyama
今週のMCは、松本 大が担当。SENSAでは、オンエア内容を一部レポート!(聴き逃した方やもう一度聴きたい方は、radiko タイムフリーをご利用下さい。)
ゲスト:レコーディングエンジニア/サウンドプロデューサー 生駒龍之介
松本:FM福岡から松本大がお送りしているRoom "H"。ここからは@リビングルーム拡大版、お客様に来ていただいております。レコーディングエンジニア/サウンドプロデューサーの生駒龍之介さんです。こんばんは!
生駒:こんばんは生駒龍之介です。
松本:よろしくお願いします。僕らのレコーディングとかをやってくれている生駒さんなんですが、生駒さんには今週ともう1週の2週にわたって登場していただきます。まずは1週目、よろしくお願いします。なんか硬くないですか、大丈夫ですか?
生駒:めちゃめちゃ硬いね(笑)。
松本:緊張してる(笑)?
生駒:大の前で喋るのは緊張するんだよ。
松本:何でですか。
生駒:(笑)。
初めて会った時の印象について
松本:もう結構長い仲じゃないですか(笑)!そんな我々の出会いなんですが、LAMP IN TERRENの作品づくりで 『The Naked Blues』というアルバムからかなり深く関わっていただいております。お互いの初対面の印象は?ということなのですが、初対面の印象覚えてます?
生駒:なんかね、普通に歌を聴く前は、大の雰囲気で「こいつ話しづらいやつなのかな」って一瞬思ってたのね。でも歌声を聴いた後は、今度は逆に自分も昔歌ってたから、理想像みたいなのがそこにいるから、もうこっちからすると変な緊張をするようになって。逆に対峙している感じの雰囲気は今も昔も変わんない。
松本:そうなんですね。
生駒:変に血流が高くなるというか。
松本:なるほど、どっちにしろ喋りづらいという(笑)。
生駒:(笑)。
松本:なんか切ないですね(笑)。そういえば、僕は最初生駒さんのスタジオに行ったときびっくりしました。レコーディングが進んでいく中で、『The Naked Blues』を録っているのは生駒さんの家じゃないですか?ちゃんとドラムとかは別のスタジオで録って、ギターとかから生駒さんの家のスタジオを使わせてもらってたんですよね。3階建てになってて、1階が普通にギターとか録れるような、コントロールルームもあるスタジオになってて、2階が憩いの場みたいな感じのところになって、3階もまたレコーディングブースとピアノが置いてあるボーカルブースとコントロールルームになってて、2階がマジで田舎の高校生の部屋みたいな感じになっているんですよね。
生駒:(笑)。
松本:雑誌というかマガジンみたいなのが置いてあって(笑)。僕、あの部屋めっちゃ好きなんですよ。一度LAMP IN TERRENの「SEARCH ONLINE」って企画をやった時の写真で使わせてもらったんですけど、あの部屋めちゃくちゃ気に入っているんですよね。結構あそこで寝たりしたもんね。
生駒:たしかにね。作業場になってたね。
音楽を始めた・今の仕事を目指したきっかけ
松本:まずは生駒さんのプロフィールを簡単にご紹介します。1976年生まれ香川県、うどん県ご出身の日本の音楽プロデューサー/エンジニア/作曲家・編曲家/マルチプレイヤーとたくさんの肩書きがございますが、ご自身で名乗られる際の肩書きは?
生駒:プロデューサー/エンジニアかな。
松本:Wikipediaによると高校時代は、ギター同好会に入っていたとか。最初に手にした楽器はギターですか?
生駒:お金がなくて、当時Xが流行ってて。
松本:X Japan?
生駒:そうそう。X Japanになる前、Xだったんだよ。
松本:X Japan、Xという時代があったんですか?
生駒:そうなんだよ。アメリカ進出するときに、X Japanになったんだよね。それでXが流行ってて、その時のデモテープかなにかを、千葉にいたうちの姉貴の友達が送ってきて、それを聴いて衝撃受けて、「これコピーしようぜ」ってなったんだけど、みんな楽器が初めてで、俺はその時にギターやりたかったんだけど、周りのやつらが旅館の息子とか、弁当屋の息子とか、そういうちょっとお金持ってる人が多かったから、「早いもの順でいいんじゃない?」となって。2日後くらいには、ギターとかベースとか全部埋まったのよ。
松本:なるほど!
生駒:じゃあどうするかってなったら、「あ、ボーカルだったらマイクとかいらなくない?」と思って、「じゃあ、ボー...」と言い出したら、隣のやつが「俺ボーカルやるから」と言って、「生駒、スティック買えばドラムできるからさ」ということで、「ドラムはリハスタにあるから、ドラムいらないじゃん」って言われて、「じゃあスティック買って、ドラム始めるわ」から始まった。
松本:へー!ドラムだったんですね。もうずっとドラムやっていたということ?
生駒:中学校の2年間やってたね。
松本:他にもいろいろ楽器できるんですか?
生駒:すごい中途半端に大体やるという感じかな。
松本:ベースもピアノもってこと?
生駒:そうだね。いろんな楽器を大体中途半端に、大体やるって感じです。
松本:全部独学ですか?
生駒:そうだね。
松本:独学で楽器を弾けるようになるんですよね。俺も独学でピアノを弾けるようになったので、皆さん頑張って下さい。ということで最初に曲を作ったのは何歳の時でしたか?
生駒:高校2年生の時かな。
松本:どんな曲だったか覚えてます?
生駒:B'zみたいな打ち込みのアッパーで、誰もやってないことやりたい感じがあって。昔、自分の実家は、香川の観音寺という田舎だから、普通にJUN SKY WALKER(S)とか、当時のいわゆるロックバンド、THE BLUE HEARTSとかをカバーしてる人ばかりだったんだよね。そんな中でYAMAHAのEOSっていうシーケンサがあるキーボードがあるんだけど、そのキーボードと外部のシーケンサーだけのマシーン、打ち込むだけのマシーンを用意して、完全に打ち込みだけでドラムもベースも全部同期で出して、俺がギターを弾き、しかもそのYAMAHAのシーケンサを再生すると、MIDIというのに繋がってて、俺のギターのマルチエフェクターが常にステージの前にいても、勝手に音色がどんどん変わっていくみたいなことをやってた。もう何年前なんだろうという話だけど。
松本:最初からかなりテクいことやってますね(笑)。
生駒:そうなんだよ(笑)。トラブルが起きて当たり前みたいなことをやってたね。
松本:打ち込みをその段階でできるのがすごいですね。
生駒:好きだったからね。
松本:俺なにやってたかな。でもギターを持って作って、ふと「こんな感じ!」とメンバーに言いながらやってるだけだったかな、最初の方は。
生駒:でも最初弾き語りっぽいのをやってはいたんだけど、やっぱカバーだったんだよね。オリジナルでやろうと思ったら、「こういうのどうやってやるんだろう?」と思って、ピコピコ打ち込んで、キーボードやってたやつと一緒にずっと作ってた。
松本:へえ〜でもいいですね。俺は最初の14歳の時に、それまで幼稚園から好きだった女の子がいたんですけど、その子に当てたラブレターみたいな曲でしたよ(笑)。
生駒:(笑)。
松本:激フォークソングでしたね。
生駒:でもそこはちょっと似てる気がする(笑)。
松本:今の仕事を目指そうと思ったのはいつ頃ですか?でも生駒さんって、"ここからエンジニア"っていう感じじゃないですもんね?
生駒:じゃないよ。
松本:そうですよね。ヌルッとやってますもんね。
生駒:高校2年の時に曲を書いて、ギター弾いてでやってる時に、漠然とプロになりたいなって、「ギターでプロになりたいなー」みたいなのを漠然とは思ってたんだけど。そんな断固たる決意みたいなわけでもなく。
松本:じゃあ今の仕事とか、総じてプレイヤーとしての原点ってどこなんですか?きっかけというか。
生駒:基本的にはシンガー・ソングライターになりたいというのがありました。大阪に出たその日の夜に、見に行った大阪のバンドのライブで挫折しました。自分から見たら、「これがギタリストなのか」っていう自分の考えが甘すぎて、「俺はギタープレイヤーだったんだな」みたいな、ギターをちょっとそっと置くような、そういう出来事があって。
それでそこから自分が詩を書いて、曲書いて、歌ってみたいなことでも、自分1人ででも音楽できるじゃないかと思って、シンガー・ソングライターをやってました。それでオーディションいっぱい受けてたんだけど、ことごとく落ちて、でも諦められなくて東京出て行った時に、新人発掘やってるソニーミュージックグループのオーディションで、自分が一緒にやってた女の子がたまたま通って、「そのアレンジやってるやつ面白いじゃん、一緒に呼んできてよ」って言われて、呼ばれて入ったのが初めて。
松本:じゃあエンジニア業をやってみようかなと思ったきっかけは、どこだったんですか?
生駒:それはものすごく覚えてて。昔からNirvanaがすごく好きだったんだけど、「Nirvanaって、何でNirvanaなのか」というか、「なんでああいう音なんだろう」って考えたこともなかったんだよね。当時若い時は、その音を漠然と聴いて「かっこいい」と思ってただけで、そこからいろんな新人発掘の仕事だったり、クリエイティブとかもいろいろ手伝ってやってる間に、Nirvanaのプロデューサーがブッチ・ヴィグっていうんだけど、「そのブッチ・ヴィグという人は、どういう人なのか?」というのに興味が湧いて、いろいろ掘っていったら、海外というのはトラックメイク、コンポーズ、ミックス、そういうのって垣根がなくて全部1なんですよね。エンジニアさんはエンジニアで、曲を書く人は曲書く人でというよりかは、基本的には全部自分でメイキングするというのが主流というか、そうなんだというのが分かって、自分で曲も作れるし、提案もできるし、自分で音も録れてミックスまで出来るような、トータルな仕事ができる人になりたいってそこで初めて思ったんだよね。
松本:なるほど。
生駒:そこから足掛け10年ぐらいかな?編曲とかをずっとやりながら、プロデュース業やって、35〜36歳にようやくエンジニア・プロデューサーとしてちゃんと仕事をもらうようになったという。
松本:なるほど。
生駒:夢まで行くには、結構長かったんですけどね。
松本:そうですね。35〜36歳って、俺の5年後くらいですよね?そんな長かったという感覚はないですね、自分が30近いからかもしれないけど(笑)。
生駒:まあ(笑)。
ルーツとなった一曲を紹介
松本:(笑)。ということでこの辺りで1曲、音楽をお届けします。ここでは生駒さんの音楽の仕事に導いてくれたルーツソング的な1曲を選んでもらえました。どんな曲ですか?
生駒:尾崎豊の「街路樹」ですね。
松本:この曲はどんな理由で選曲されましたか?
生駒:さっき大が言ったんだけど、高校の時にそもそもギターというものをずっと弾いてた俺は、歪んでるギターのカッコ良さみたいな、あとステージングで派手に動き回るギタリストとか、そういうカッコ良さや憧れしかなかったんだけど。その時にすごく自分が好きになった女の子が、とにかく尾崎が好きだから、学園祭で歌いたいから、この曲のギター弾いてくれと。3曲あるんだけど、「別にいいよ、余裕だよ」と言ってかっこつけて、当時MDディスクにまとめてもらって、それをもらい、家で聴いてコピーしてて、「全然余裕だね」と思いながらやってたら、何回も聴いている間に気付いたら、歌と歌詞しか入って来なくなってしまって、その歌詞に全部頭を洗脳されて。泣きのギターとかいうけど、本当にそのギターを弾いて、泣く人ってあんまりいないんだけど、言葉ってやっぱり直接ダイレクトに人に届くんだなっていう感動があって、それがもう俺の中の一大転換だったんだよ。
松本:なるほどね。
生駒:それが無かったら、歌詞沁みるとか泣くみたいなことはなかった。
松本:なるほど。あるよね、そういうことね。
"レコーディングエンジニア"という仕事について
松本:さてまず今ラジオを聴いている人の中には、レコーディングエンジニアってどんなことをするんだろう?って思ってる人も多いかもしれません。俺にとっては、自分の深い海に潜っていく作業を、溺れ死なないように監督してくれてる人だという(笑)。
生駒:(笑)。うまい!
松本:本当にアップダウン激しい、曲作りとかそういう感じなんですけど、自分の底に潜って行って、それを水面に持って行かなきゃいけないという作業を繰り返していく中で、やっぱ1人で潜って行ったりする作業だったりするので、自分が持ってきたものが何なのかわからないという。それを生駒さんと精査しながら、「これはいいよね、あれはいいよね。これ使えるよね、これいいよね」みたいなことを言い合って、その作業に永遠に付き合ってくれるのは生駒さんだけというか。普通はスタジオを使っているので、時間があるわけですよ。でも僕がこれ完全に甘えちゃったんですけど、生駒さんは生駒さん家なので朝までいっても、お金かからないみたいな(笑)。
生駒:いやいや一応あるんだけどね(笑)。
松本:そうですよね(笑)。だからそういう感じで完全に甘えちゃってますね。でもどこまでも嫌な顔せずに付き合ってくれるので。
生駒:嫌な顔は当然しない。やっぱ忍耐だから、エンジニアって。
松本:へえ〜。聞いたかエンジニアを目指している皆の衆(笑)。
生駒:(笑)。
松本:こういう俺みたいな人間がいるから、忍耐の作業が必要だよという。他の人のときも忍耐が必要だったりするんですか?
生駒:エンジニアになってからというか、プロデューサー・エンジニアと自分で思っているけど、そういう立ち位置になってからは、一番大変なのはやっぱり大じゃないかな?
松本:俺でした(笑)。
生駒:アレンジやっているのも、その時から含めて考えると、忍耐のことって、音楽のことを裏方で支えるのって、やっぱそうだと思うんだよね。アーティストがいて、その表現したいものを、さっきは海で表現してたけど、潜ったところの温度が、発想したものによってどんどん変わっていったりもするじゃん?その時にその温度に合わせてあげて、それがもっとよくなる方向に取るにはどうしたらいいかとか、こんな風にしたらいいんじゃないかという提案をやっていくのって、やっぱじっとそこで聴いて、その音を聴いて自分が反応できるようにしておかなきゃいけないじゃん?
松本:そうですね。
生駒:だからやっぱイライラして「何やってんだこれ」とか「この時間何?」みたいに言ってると、そういうのが浮かばなくなっちゃうから、結構フラットでいるように心がけてはいる。
松本:やっぱ生駒さんのすごさって、最初の方は俺の中であんまり気づけない部分だったんですよ。でもあとあとよく考えてみると、こういう風にしたいという俺の要望があって、その要望を叶えた上で、ちゃんと自分の見えてない部分、いわゆる低音の残し方だったり、これちょっと込み入った話になるのですが、そういうところまでちゃんとカバーしてもらってて。大体のエンジニアさんって、言ったらそれは叶えてくれるけど、それ以外の部分は別にカバーしてくれてないというパターンが多いんですけど。生駒さんは完成してみて、僕が言ってるだけの要望だったら、ものすごいチープな音になってるはずのものが、ちゃんと必要な音が出てるという事に気付かされたのって、生駒さん以外と仕事してる時だったりするんですよね。
生駒:なるほど。なんか嬉しいけど(笑)。
松本:俺にとってはめちゃくちゃ重要ですね。だから船がちゃんと用意されているイメージ。僕は潜って上がってくることを繰り返していく中で、ちゃんと船を用意してくれているという、そのぐらい重要な方ですね。
生駒:アーティストと仕事する時に、昔それこそ新人発掘の現場のところでいた自分の業界の師匠というか、きっかけなった人がいて、その人が僕に教えてくれたことで、「アーティストは神輿に乗る人だ」と。「神輿を担ぐ人間というのがスタッフで、神輿を担いでる自分が神輿に乗ろうとしたら、祭りは成立しないから、どれだけその神輿に乗ってるアーティストが輝くかを考えて、高くまで持ち上げようとする気持ちがあるかで、アーティストの輝きが変わる」というのをすごい教えられました。それで自分の座右の銘にしてるのが、アーティストにとっては本当に自分の一生をかけた1曲、僕ら裏方にして考えると、数多く出会う内の1曲。それを同じ天秤にかけちゃいけないんだよね、絶対。
松本:なるほど。
生駒:その気持ちを100%で答えられないんだったら、関わっちゃいけないんだよ。
松本:なるほど。いやー私は運のいい出会いをしております。
思い入れのある一曲を紹介
松本:さて生駒さんのプロの耳で聴いて、この曲のサウンドメイクはすごいと昔から思っている、思い入れのある曲は?その曲のサウンドのどの部分がすごいと思うのかもあわせて聞いてみたいなと思うんですけど。
生駒:これはちょっと真面目な、音楽話に繋がるというよりかは、自分の気持ち的な部分を支えるというか。
松本:マインド大事ですからね。
生駒:根本的な部分という意味で、自分が自信を失ったりとか、自分が歌を歌ってた時に自分の声はダメだなって思って、諦めようとした時とか、いろんな時に常にこの曲を聴いて「すげーな」というか、支えられたというか。そういう曲があって、それがSIONの「俺の声」という曲なんだけど。たしか山口出身なのかな?福岡の方で活動してたのかな。結構声なき声というか、声じゃないんだよね。歌声としてピッチがあるか、ないかとか言うんじゃない声で歌う人で。自分の音楽でいうところのソウルというか、そういうのを支えてる部分というか、根っこというか、そういう曲です。
松本:お送りしたのは、SIONで「俺の声」でした。ではここで松本も1曲。この曲のサウンドメイクはすごいと昔から思っている曲をかけます。昔からということだったので、自分のマインドで僕も選んでいます。"歌力"、割と俺がここに至るまで気持ちでメロディー作っているタイプだったりするので、その原体験というのがここなんだなと思う曲です。Queenで「We Are The Champions」。
印象に残っているエピソード・LAMP IN TERRENの楽曲
松本:お送りしたのは、僕がサウンドメイクですごいと昔から思っている1曲、Queenで「We Are The Champions」でした。それでは生駒さんから見たミュージシャン、松本大ってどんなミュージシャンということなんですが、僕がどんな人間に見えているのか、どんな感覚なのか。僕について覚えてるエピソードみたいなのは?
生駒:一番最初に歌を録って、そこからたぶん「BABY STEP」をやるぐらいのタイミングだったのか。マイクにサインしてもらったのを覚えてる?
松本:覚えてます。
生駒:あのマイク自体が、俺がさっき言ってた敬愛しているブッチ・ヴィグという人が、Foo Fightersとかを録るときに使ってたマイクで、それをすごく探して、そのマイクと同じやつを買って、俺はマイク大好きだから、結構マイクを大事にするんですよ。そのマイクにサインを書いてもらうということって、自分の中でいう「自分の声がもしこうだったら」みたいなさっきの俺の声もそうだけど、俺は唯一無二に憧れたのさ。でもやっぱり生まれ持ったものは違うから、それで大のはじめて歌声を録ったときに、「自分もこんな風に生まれてたら良かったな」って思う人が目の前にいたから、サインもしてもらって、今でも緊張するのさ(笑)。
松本:本当に僕の音楽の歴史の中でも、マイクにサインしたのはかなり覚えてるエピソードです。僕は僕で、ものすごく声を評価されてきて、それは自分の作ってるものが評価されてないんじゃないか。自分が生まれ持ったものが先行しちゃってるんじゃないかという感覚がすごいあって、そこに対してネガティヴだった時期というのが、かなり長かったんですけど。結果としてそれは生まれ持ったものというか、魂を褒めてもらってるんだなという風に思えて、自分の中のポリープみたいなのはちゃんと取れたんですけど。でもそういうのがあったので、マイクにサインをした日、生駒さんの話も含めて、そこで完全に自分の中のポリープなくなった感覚があったんですよね。『The Naked Blues』ってアルバムを作ったのも、ポリープ取った直後ぐらいだったので。
生駒:そうだったよね。
松本:たぶん自分の中のシンガーとしての転換期だったように思います。自分の状況も含めて、あのレコーディングがあったこととか、ああいう風にサインを書いてくれって言われたこととか、生駒さんの俺の歌に対する感想とか、そういう話とかいろいろ聞いてて、自分が背負ってきた呪縛みたいなものから解き放たれる感覚があったのが、もう全てが『The Naked Blues』だったんですよね。
生駒:なるほどね。最初にかけてた尾崎豊も、すごく憧れて大好きだったし、そういう憧れていた人たちが歴史に残って、今でも誰かに影響を与えている人、亡くなった後もそういう風になってるような人。そういうような人になれるんじゃないかと俺は思って、「このマイクにいつか価値が出るんじゃないか」という笑い話をあの時にしながら書いてもらったじゃん?そういう期待感とかそういうのも持たせてくれるような、それってたぶん歌が上手いとか、声がいいだけじゃダメで、やっぱそれを持ってる雰囲気だったり、不器用な所だったり、大という人間って一言で言えないんだよ。形がわからないので。真っ直ぐ見たら、丸かもしれないけど、横から見たら四角みたいな、そういうようなもので、見る角度で全く形が違ってて、体調とかテンションによっても、やっぱり全然雰囲気も変われば、曲によってもやっぱりテンション感が変わるし、自信がある時とない時で顔も変わるし。
松本:たしかに。
生駒:そういうのを含めてやっぱアーティストなのよ。人間力というか。
松本:なるほど。そんな僕らと関わっていく中で、特に印象に残っている作品を1曲挙げるとするなら、どの曲になるでしょうか?
生駒:もうこれは間違いなく、「BABY STEP」です。
松本:なるほど!そうだよね。「BABY STEP」は初めてストリングスを生で入れたりしたし、それまでもたぶん打ち込みでも入れたことないし、レコーディングの途中に「これストリングスいるんじゃない?」みたいな話になって、なんとなく家でLogicで一旦作って、それを丸投げして、生駒さんが完璧に譜面に起こしてくれるという。
生駒:でもその後も、うちの2階でも大はずっとストリングス作ってたんだよ。
松本:あ、そうですね。だから「すげえな」と思っていました。
生駒:「こんな感じになってるんですよね」っていうのを俺は聴いた時に、「これは来るな」って俺の中でもう完全につかまれたものがあって。「これはもう絶対にストリングスは、生にした方がいい」という流れだったからね。あと歌詞だね。俺も抜けられない自分からそれをぶち破って、もう1つ前へ前へと思ってやってるタイプだから、その自分のその時にあった迷いだったり、葛藤みたいなものを全部解き放ってくれる曲だった。ぶっちゃけるとミックスやっている時は泣いてた。
松本:えー!でもミックスあがったとき、ブースの外でマネージャーが泣いてましたけどね(笑)。
生駒:(笑)。
松本:あれまじで面白かったですね。
生駒:でもあの曲はいまでもライブのときに必ずリハで飛ばしたりしてるけど、自分の中で思い浮かんで、どんどんそれを形にしていった時に、自分がやることで跳ね返ってくる音でよくなればなるほど、本当にもう鳥肌が立って、お世辞なく墓に持って行きたい曲の一つ。個人的にもというか、みんな好きだと思いますけど(笑)。
2月9日(水) オンエア楽曲
Nirvana「Smells Like Teen Spirit」尾崎豊「街路樹」
SION「俺の声」
Queen「We Are The Champions」
LAMP IN TERREN「BABY STEP」
番組へのメッセージをお待ちしています。
Twitter #FM福岡 #RoomH をつけてツイートしてください。MC3人ともマメにメッセージをチェックしています。レポート記事の感想やリクエストなどもありましたら、#SENSA もつけてツイートしてください!
RADIO INFORMATION
FM 福岡「Room "H"」
毎週月曜日から金曜日まで深夜にオンエアされる、福岡市・警固六角にある架空のマンションの一室を舞台に行われ、次世代クリエイターが様々な情報を発信するプログラム「ミッドナイト・マンション警固六角(けごむつかど)」。"203号室(毎週水曜日の26:00~26:55)"では、音楽番組「Room "H"」をオンエア。九州にゆかりのある3組のバンド、ユアネスの黒川侑司、松本大、odolの森山公稀が週替わりでMCを務め、本音で(Honestly)、真心を込めて(Hearty)、気楽に(Homey) 音楽愛を語る。彼らが紹介したい音楽をお届けし、またここだけでしか聴けない演奏も発信していく。放送時間:毎週水曜日 26:00~26:55
放送局:FM福岡(radikoで全国で聴取可能)
番組MC
黒川侑司(ユアネス Vo.&Gt.)
福岡で結成された4人組ロックバンド。感情の揺れが溢れ出し琴線に触れる声と表現力を併せ持つヴォーカルに、変拍子を織り交ぜる複雑なバンドアンサンブルとドラマティックなアレンジで、
詞世界を含め一つの物語を織りなすような楽曲を展開。
重厚な音の渦の中でもしっかり歌を聴かせることのできるLIVEパフォーマンスは、エモーショナルで稀有な存在感を放っている。2021年12月1日に初のフルアルバム「6 case」をリリース。
オフィシャルサイト/ @yourness_on/ @yourness_kuro
松本大
2006年に長崎県で結成。バンド名「LAMP IN TERREN」には「この世の微かな光」という意味が込められている。松本の描く人の内面を綴った歌詞と圧倒的な歌声、そしてその声を4人で鳴らす。聴く者の日常に彩りを与え、その背中を押す音楽を奏でる集団である。
2021年12月8日にEP「A Dream Of Dreams」を配信リリース。
オフィシャルサイト/ @lampinterren/ @pgt79 / @lampinterren
森山公稀(odol Piano&Synth.)
福岡出身のミゾベリョウ(Vo.)、森山公稀(Pf./Syn.)を中心に2014年東京にて結成した5人組。ジャンルを意識せず、自由にアレンジされる楽曲には独自の先進性とポピュラリティが混在し、新しい楽曲をリリースする度にodolらしさを更新している。
2022年1月26日に「望み」を配信リリース。
オフィシャルサイト/ @odol_jpn/ @KokiMoriyama