2024.07.26
かつてはパリと東京をベースとするライフスタイルブランド「Kitsuné」のクルーとしてパリで活動し、2020年からは日本列島の伝統文化にアプローチするレーベル、Hyōguを立ち上げるなど、興味深い活動を展開してきたShōtaro Aoyamaが『SOCIAL CLUB』で試みたものとは何だったのだろうか。ダンスミュージックのさまざまなトレンドを吸収した新時代の日本語ポップス集ともいうべき『SOCIAL CLUB』について、Aoyamaに話を聞いた。
一郎さんと会ってなければ、音楽をやってなかったと思います
─自身名義のダンストラック集としては今回の作品が初アルバムとなりますよね。これまで自身名義のアルバムを出すことに対するこだわりはなかったのでしょうか。
Shōtaro Aoyama:そうですね、「いつか自分のアルバムを作りたい」という思いもそれほどなかったんですよ。今回ももともとアルバムにするつもりはなかったんですけど、曲を集めていったらアルバムサイズになっていたんです。
─AoyamaさんはもともとパリのKitsunéで活動されていたわけですが、当時自身のアルバムを作るという構想もなかった?
Shōtaro Aoyama:Kitsuné時代はファッション部門のデザイナーアシスタントをやっていたです。そのころは音楽制作もほとんどやっていなくて、自宅でちょこちょこ作っているぐらいで。あくまでも遊びの感覚だったと思います。
─当時作っていたのは現在に繋がるようなダンストラックだったんですか。
Shōtaro Aoyama:そうです。自分はもともとバンドをやってたんですけど、大学時代にマイアミに夏季留学したことがあって、そこで初めてクラブを体験しました。バンドのようにメンバーがいないとできないと思っていた音楽ですが、DJがプレイしているところを見て、ひとりでこんなにたくさんの人たちを踊らせられるのか!と感動しちゃって。これだったら自分にもできるかもしれない、とダンスミュージックの世界に入っていきました。
─音源制作を本格的に始めたのは?
Shōtaro Aoyama:パリにいたころはフレンチエレクトロ第二世代の時代だったんですけど、一度日本に帰ってきたあとパリに戻ってみると、90年代のハウスのリバイバルの流れになっていて。ケリー・チャンドラーやラリー・ハードのDJで盛り上がってたんですよ。その一方でアフリカ的なトライバルの盛り上がりがあって、それがすごくおもしろかった。自分でもトライバルから刺激を受けたアフロ的なものを作るようになって、ヴァイナルでリリースしていました。ホワイトレーベルにスタンプを押しただけの作りで、本名ではなく変名でやってましたね。
─2016年にはサカナクションの山口一郎さんが主宰するプロジェクト「NF」に参加されますよね。山口さんとの出会いはやはり大きかった?
Shōtaro Aoyama:めちゃくちゃ大きいですね。一郎さんに育ててもらいましたから。パリにいたころ、一郎さんはパリまで来てくれたんですよ。当時は日本に帰ったら音楽以外の仕事に就こうかなと思っていたんですが、一郎さんが「一緒に『NF』をやろう」と言ってくれて。俺がどんなやつかわからないのに、大丈夫なのかな?と思って(笑)。一緒に活動していく中で自分の将来など相談しているときに、「ミュージシャンになりたいです」と伝えたところ、「俺の前でミュージシャンになりたいと言ったからには、全力でバックアップするから」と言ってくれました。
─それはすごいですね。
Shōtaro Aoyama:そうなんです。もう一度音楽をやってみたいと思えるようになったのは、一郎さんとの出会いが本当に大きかった。一郎さんと会ってなければ、音楽をやってなかったと思います。
人と関わりながらものを作ること自体が好きなんです
─2020年には自身のレーベルであるHyōguを立ち上げ、同じ年には北海道・阿寒湖のアイヌ音楽伝承者の方とのコラボレーション作『Ainu Utasa EP』をリリースします。日本列島の伝統と向かい合ったそうした活動を始めるきっかけは何だったのでしょうか。
Shōtaro Aoyama:「NF」でDJをやるなかで、一郎さんと「自分の音源をかけて、お客さんが『あの曲だ!』と盛り上がるような流れを作れたらいいよね」という話をしてたんです。それで自分でも本格的に音を作ろうと考えていたころ、コロナ禍になったんですね。それまでは海外にばかり目が向いてたんですけど、海外にいきなり行けなくなってしまうなかで、日本のことに目が向かいつつあったんですよ。そんなときに(2020年から阿寒湖で開催されているイベント)「ウタサ祭り」から声をかけてもらって、アイヌの方々と出会ったんです。そのなかで『Ainu Utasa EP』を作ることになって。
─以降、香川・本島の民謡に取り組んだ『The tape from Honjima』、知床国立公園の真冬の流氷をモチーフにした『Shiretoko EP』などをHyōguからリリースしていますが、Aoyamaさんはいずれの作品でも現地を訪れ、土地の人とコミュニケーションを取ることを重視していますよね。
Shōtaro Aoyama:その土地を訪れると、まずはその土地の人と酒を飲むところから始まるんですよ。阿寒湖でも(アイヌ文化の継承者である)Kapiw&Apappoのふたりと彼女たちの母親である床みどりさんの4人に、酒を飲みながらお話を聞きました。みどりさんたちが言うには、昔は地域の古老に歌を習いに行くときも最初はカセットデッキを隠していたというんですね。たくさんのお土産とお酒を持って行って、一緒に酒を酌み交わして、打ち解けたあとに「おねえさん、歌を教えてくれない?」と聞くと。そこで許可をもらって初めてカセットデッキを出してきたというんですよ。
─Aoyamaさんも阿寒湖で同じようにコミュニケーションを重ねたわけですね。
Shōtaro Aoyama:そうですね。アイヌの方々はじめ地方独自の文化のある地域の方々は、文化をうまく利用されてしまった過去がある方も多く、まずは自分が何者なのかを知ってもらう必要があったんですね。まだ作品にはしてないんですけど、奄美大島や沖縄にも行きました。ただ、一回行ってすぐに出すのではなくて、何度も通うことでようやく自分のなかで咀嚼できるタイミングがあると思うんですよ。その土地の歌と電子音楽を組み合わせて作品を作るわけですけど、水と油な部分もあるので、そこをうまく提案したいと思っています。やっぱりその土地の方々にもおもしろがってもらえるものにしたいので。
─そういった活動のモチベーションになっているものとは何なのでしょうか。
Shōtaro Aoyama:「この人と曲を作りたい」というだけですね。地域を訪ねるそうした活動も人と出会うところから始まってるんですよ。生活の一部となり世代を超えて伝えられてきた音楽なので、新鮮に感じたり新しい学びがすごく多いです。
─その意味では、阿寒湖でやってることも「NF」でやってることも、そして今回の作品でやっていることも基本的に変わらないわけですね。
Shōtaro Aoyama:うん、全然変わらないですね。人と関わりながらものを作ること自体が好きなんですよ。言い方は悪いですけど、いくら有名な人でもグルーヴが合う人としか作れない。その感覚はKitsunéから受け継いだものかもしれないですね。
全体的に本気で遊んでる感覚
─では、今回自身名義の作品を出すことになった経緯とは何だったのでしょうか。
Shōtaro Aoyama:コロナ禍が明けるころから、どんぐりずとか若いアーティストに声をかけてもらう機会が増えたんですよ。自分もDJする機会が戻ってきて、DJで使いやすい曲も出していきたいなと思って。そこであえて歌ものをやるのもおもしろいかなと思ったんですね。それも日本語のダンスミュージックで。
─なぜ日本語でやろうと思ったのでしょうか?
Shōtaro Aoyama:単純に日本語のダンスミュージックってあまりないと思ったんですよ。それもディープハウスみたいなダンストラックでできないかなと。ミーハーなことを言うと、New Jeansがああいうことをやり出したときに刺激を受けた部分もありました。UKガレージみたいなトラックを使ったポップスが爆発的にヒットしたわけで、日本でもああいうことがありになるんじゃないかなと思ったんですよ。
─タイトルの『SOCIAL CLUB』はパリに住んでいたころ、よく遊びに行っていたクラブの名前だそうですね。
Shōtaro Aoyama:今はもうないんですけど、Social Clubには毎晩のように遊びに行ってたんです。そのころ、パリでいちばんいけてるクラブがSocial Clubだったんですよ。初めて遊びに行ったとき、金曜日はボーイズ・ノイズ、土曜日はユクセックがやっていて、2日間とも一人で遊びに行ってTシャツがびしょびしょになるぐらい踊ったことを覚えてますね。Social Clubではインディーバンドのライヴもやってたし、ジャンルもめちゃくちゃクロスオーバーしていたんですよ。今回の作品では、僕がこれまで辿ってきた道のりをまとめたものを作りたかったんです。集大成的なものというか。それで『SOCIAL CLUB』というタイトルにしました。
─そうしたコンセプトは楽曲にも表れていますね。
Shōtaro Aoyama:そうですね。xiangyuに歌ってもらった「75」はM.I.A.が好きだったころの感覚を意識してバイレファンキ的なものにしたし、どんぐりずと作った「Ding Dong」は2manyDJsがかけていたような15年ぐらい前のエレクトロ・ヒップホップ、「Nowhere」はちょっとアシッドジャズっぽいダンストラックで、そこからディープハウスに入っていくという。だから、全体的に10~15年ぐらい前の、すこし懐かしい感じでまとめたかったんです。今の20代はそのころの音ってあまり触れていないので、逆に新鮮なんじゃないかと思ったんですよ。ジャケットもあえてKitsunéのアートワークを意識しました。
─それは感じました(笑)。あの時代のことを知ってる世代はニヤリとするし、若い世代にはフレッシュというところを狙ってるわけですね。
Shōtaro Aoyama:そうそう。全体的に本気で遊んでる感覚というか。だから、僕自身が遊んできた道を今のミュージシャンと辿ったような感覚なんです。
かなり欲張りな作品だと思います(笑)
─パフォーマーと共作するときは通常どのようなプロセスで進めていくのでしょうか。
Shōtaro Aoyama:自分のやり方ってちょっと特殊かもしれないです。まずは3分ぐらいのデモトラックを作って、そこに3パターンぐらいのメロディーを入れてもらうんですよ。
─歌詞の入っていない状態の歌を歌ってもらうということですか?
Shōtaro Aoyama:そうです、ハミングみたいな形で。その歌を送ってもらって、「ここ、いいな」というポイントをサンプリングして新しくメロディーを作っていくんですよ。それを元に歌詞をつけてもらうんです。今までいろんなやり方をしてきたんですけど、このやり方に落ち着きました。お互いのストレスがないし、結果的におもしろいものになるんですよ。予想外なものになるというか。
─そこがコラボレーションの醍醐味でもある?
Shōtaro Aoyama:そうですね。コラボレーションって自分で想像できないところにいくためのものだと思うんですよ。
─元yonawoの荒谷翔大さんを迎えた「Once」にはまさにコラボレーションのおもしろさが出てますよね。
Shōtaro Aoyama:「Once」ではちょっとグランジぽいロックをイメージしていました。タイトなビートで哀愁ある感じというか。これも荒谷くんには一度ハミングで歌ってもらって、そこから作っていきました。荒谷くんのものはどこか英語っぽい感じのあるハミングだったんですけど、そこに日本語を乗せると結構イメージが変わるんですよ。なので、英語も少し入れながら日本語と組み合わせていきました。それは他の曲も一緒ですね。
─先ほど収録曲に関してはAoyamaさんの音楽的変遷を表しているとおっしゃってましたけど、曲の流れが一晩のパーティーの流れを表現しているようにも感じました。
Shōtaro Aoyama:そのイメージもありました。クラブについたらxiangyuとどんぐりずがやっていて、めちゃくちゃ盛り上がっている、と。そこで女の子と出会い、クラブを抜け出すのが3曲目の「Nowhere feat. ナガンサーバー,Yunoa」。ドライヴをしながら聴くのがディープハウスぽいインストの「Gravity」と「Dark Energy」で、夜が明けるなか聴くのが「All alone feat. Grace Aimi」、ひとりになって聴くのが「Once」という流れです。DJをするときもいつもストーリーを意識しているんですけど、今回の曲順でもそういうストーリーを意識していました。
─DJとしての感覚を活かしつつ、日本語ポップスとしても成立させようとしたわけですね。
Shōtaro Aoyama:だから、かなり欲張りな作品だと思います(笑)。アルバムだからこそ表現できることもあると思いますし。
─このアルバムは東京という都市の暮らしを描いた作品でもあると思うんですよ。Aoyamaさんは今まで香川や北海道で作品作りをしてきたわけですが、今回の作品は東京という都市で育まれた音楽でもあるな、と。
Shōtaro Aoyama:僕自身は東京生まれだし、自分のルーツとなると東京の都心部になるんですね。だから、自分自身の記憶をもとに作品を作ろうとすると、どうしてもこういうものになるんですよね。自分の中にある個人的な感覚と、今のパフォーマーの感覚が混ざり合ったものを作りたかったんです。
取材・文:大石始
撮影:後藤武浩
RELEASE INFORMATION
Shōtaro Aoyama「SOCIAL CLUB」
2024年7月24日(水)
Format: Digital
Label: Hyōgu
Track:
1. 75 feat. xiangyu
2. Ding Dong feat. どんぐりず
3. Nowhere feat. NAGAN SERVER, Yunoa
4. Gravity
5. Dark Energy
6. All alone feat. Grace Aimi
7. Once feat. 荒谷翔大(ex. yonawo)
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